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2012年11月12日 (月)

茨城県立図書館@水戸 講演

20121104
報告がえらい遅くなりましたが(著者校の後に風邪でへたれていたので)、11月4日、水戸の茨城県立図書館で講演をして来ました。写真は駅前の黄門さま像。もっとも、黄門さまはけっこうあちこちにいらっしゃるのだそうで、「駅の黄門さま前」じゃ待ち合わせにならないらしい(私が通学してた頃には黄門さま像なんて一個もなかったのよ~。いつの間にこんなことに)。

昼前、上野から講談社の堀彩子さんと一緒にスーパーひたちに乗る。土浦なんかには止まらない、本当にスーパーなスーパーひたちなので、1時間5分で水戸に着いてしまうのだ! ちなみに常磐線の各駅だと土浦まで1時間10分。スーパーひたちは本来、上野から仙台まで4時間かそこらで行けてしまうのだが、現在は東日本大震災の被害と原発事故の影響でいわきまでしか行かないのだった。哀しい……。早く復旧して、本当にものすごくスーパーなスーパーひたちに戻ってくれることを祈るばかりです。

水戸……何万年ぶりだろう(笑)。少なくとも21世紀になってからは初めてだ。駅と駅ビルは一瞬タイムスリップ感が味わえるくらい二十数年前と変わっていない部分もあれば、どこの都会ですかというくらいキレイになっている部分もある。そう、東日本大震災の復旧跡は新しいのだ。

現在の茨城県立図書館は、旧県議会議事堂を再利用した建物に入っている。講堂は実は元本会議場で、その時の設備をそのままま使っているので、平土間席はすごくいい椅子が議員定数設置されている。別な視点から見ると、演者の楽屋とか無いので(議会の時は発言者は議席から演壇に上がるから)、段取りがタイヘン。段取り自体もぐだぐだ感があって、正直、講演の前後にどこに行ったらいいのか分かんなくてウロウロしました(笑)。いや私に対してだったら別にいいんですけど、でも、県外からエライ先生とか呼んできてコレやらないようにね(笑)。ものすごく茨城っぽいから(笑)。栃木や群馬にツッコミどころを与えてはいかん(笑)。

まあこういう人前に出る系の企画はそれなりに慣れたとはいえ、最初に話すことを決めておかななくちゃならない講演とか講義とかはやっぱりあまり得意ではないですね。対談とかインタビューとかのほうがまだ話しやすいというか。ピン芸は難しいよ~。今回も一人で話すより質疑のほうがやりやすかったです。私にもぐだぐだ感はあったものの、ほぼ満席で、県外や東京からも来て下さった読者さんもいらっしゃって、たいへんありがたかったです。

最期に、今年アメリカで出版された震災チャリティ・アンソロジー「Tomo: Friendship Through Fiction—An Anthology of Japan Teen Stories」を図書館に寄贈してきました。Tomoに関しては以下のエントリもご参照ください。

【震災関係】Tomo launch  

アメリカの震災チャリティ・アンソロジーTomo発売へ

【震災関係】アメリカのチャリティ・アンソロジー「Tomo(友)」

正直、日本語版計画は全然進んでません……。講談社が関心を持ってくれるのが一番いいんですけどねえ。

帰りは堀さんと別行動で、ちょっと駅前を歩いてから帰る。う~ん。さすがに不況感あふれる閉店っぷりだが、私が通ってた頃すでに「地元の古い店」だったところは案外残っていて、八十年代後半、つまりバブル期に改装してテナントを入れまくったようなところは全滅だった。この日は日曜日で休みの飲食店が多かったけど、平日はもうちょっと賑わっていそうだ。マニアックな感じのライブハウスが何軒かあり、ジャズ系のところはイスラエルからトリオを呼んだり、ロック系のところは若者が行列していたりして、ディープに活動しているようだ。文化的だなあ。いいなあ。こういうところはさすがに水戸だ。土浦じゃあり得ないもん。

今回の講演は(私の怠慢により)告知が遅れて、来られなかった読者さんが何人もいて大変申し訳ありませんでした。やっぱり告知関係は早くやらないといけないですね。というわけで、東京でのイベント予告を。週明けすぐくらいに公表になるのでもう言っちゃっていいでしょう。12月6日、ロシア大使館で、亀山郁夫さん、沼野充義さん、高野史緒で鼎談をする企画があります。場所が場所なので、セキュリティ上の都合で事前予約必須です。詳細や予約方法などは公式の告知が出たら、また改めてご案内いたします。よろすく~。

2012年3月13日 (火)

【震災関係】Tomo launch

10日、青山の東京ウィメンズ・プラザで、「Tomo(友)」の出版記念イベントがあって、行ってまいりました。

基本的に英語のイベントなので、正直、ビビりながら行ってきました 小心者なので 

内容的には、「Tomo(友)」の紹介、そして執筆者や翻訳者たちのスピーチと朗読、質疑応答という感じ。スピーチ、って……朗読、って…… 翻訳者のハート・ララビーさんとコーディネーターの池上小湖さんに寄りかかりまくって何とか乗り切りました(大汗)。

201203101 もともと日本在住の執筆者が多いのですが、中にはわざわざ来て下さった方もいらっしゃるんじゃないかと思います。

写真は編者のホリー・トンプソンさん。小柄でかわいらしい容姿ながら、深く静かにエネルギッシュという感じの方。震災の時に真っ先に考えたのが「自分に何ができるか」ということだったそうです。一時的な寄付だけに終わらない何か……その結論がこの「Tomo(友)」だったということです。考えつくだけだったらけっこうたくさんの人が考えついたんじゃないかと思いますが、それを実現してしまうというのがすごい。見習いたいところです。

当日参加した執筆者・翻訳者・コーディネータは以下の通り。

Holly Thompson (Editor)
Ann Slater (Auther)
Charles De Wolf (Auther)
Deborah Iwabuchi (Translator)
Yuko Katakawa (Auther)
Mariko Nagai  (Auther)
John Paul Catton  (Auther)
Fumio Takano (Auther)
Hart Larrabee (Translator)
Sako Ikegami (Translator)
Louise George Kittaka (Auther)
Leza Lowitz and Shogo Oketani  (Authers)
Lynne E. Riggs (Auther)
Marji Napper  (Auther)
Juliet Winters Carpenter (Translator)
Arie Nashiya  (Auther)

やっぱりヨーロッパ諸語の文化圏って、著者による朗読ってとっても重視しますねえ。う~ん勉強になります……。それぞれの作品は、震災をテーマにした描き下ろし作品もありますが、そういうのも含めて、朗読の際には必ず一度は笑いが起こるような、「フツウに楽しい」作品ばかりでした。チャリティ云々、震災云々を抜きにしても、純粋に「面白い本」というか。短いながらもけっこうな読解力を要する古典から、まだ読書慣れしていない若い子でもどんどん楽しく読み進められるようなユーモア小説まで網羅していて、誰でもいくつかはお気に入りの作品が見つかるんじゃないかと思います。笑いが起こったところに限って聞き取れなくて取り残されるのは自業自得だよ>ぢぶんorz

アメリカの人主体のイベントって、気楽でアットホームなところがいいですね。ワタシのような語学問題ありの小心者でも楽しく過ごせました。震災に対するお悔みや励ましの美辞麗句大会にならなかったのもよいことだと私は思っています。やっぱり何だかんだ言って、まだまだアメリカに学ぶべきことはなくなってないと思う。てめえ自身はまず英語を学べというのは……とりあえず置いといていただけるとありがたい

集合写真は手に入ってから掲載します。とりあえず、ちょっとでも興味を持っていただけた方は、まず実物を手に取っていただけるとありがたいです。

Amazon.jpのページ

2012年2月25日 (土)

アメリカの震災チャリティ・アンソロジーTomo発売へ

41tne3uc09l__ss500__3 いよいよ、Tomo: Friendship Through Fiction—An Anthology of Japan Teen Storiesが発売になります。

これは日本在住の作家ホリー・トンプソンさんが編者となって、Stone Bridge Pressから発売される本で、日米両国とカナダ、オーストラリア等の英語圏の作家たちによる、日本をテーマとした作品を集めたヤングアダルト向けのアンソロジーです。小説、詩、イラスト・ストーリー形式の36作品を収録。うち10作品が日本語から英語への翻訳作品となります。東日本大震災の一周年に合わせて発売され、収益は東北の子供たちの支援のために使われます。

詳しい内容及び著者・翻訳者インタビュー、寄付先等の情報は公式サイトにあります。

Tomo公式サイト  Tomo公式サイト日本語ページ

ただ今、プロの翻訳者たちによる著者インタビューの日本語翻訳作業中。

Amazon.jp(日本)のページ  Amazon.com(アメリカ)のページ

その他、カナダ、イギリス、フランスのアマゾンでも買えます。ううむ。さすがだ……。英語の威力恐るべし。

公式には3月10日(日本時間で3月11日)発売ということになっていますが、アメリカのアマゾンではもう買えますね。プレスリリースを必要とされる日本のメディアの方は、どうやらアメリカ側に何もかも対処してもらうのは大変なようなので、まず私にメールを下さい(takanositemail@mbr.nifty.com)。日本語版を作りたいという出版社歓迎。

友情を旨とするティーンエイジャー向け企画でありながら、よほどのエリート教育を受けた語学が得意な子でもない限り日本の一般の中高生には読めないわけで、日本のティーンエイジャーに疎外感を感じさせるようなことになってはいけないと考えています。現在アメリカ側に日本語版の企画を任せてもらえないかと提案中です。あの東欧アンソロジーに比べたらラクな仕事ですしね

日本をテーマとした日米合同のアンソロジー企画というのは、どうやら今まで存在しなかったようです(調査不足の可能性もあるので、ご指摘があればお願いします)。すでに英語版を読んだ人の感想では、チャリティ企画としてだけではなく、純粋にティーン向けの書籍として大変面白く、価値のあるものだそうです。ならば何としてでも日本語版を作って、日本の若き読者たちに届けたいです。

私のインタビューはこちら。フォトショを使わない人なので(「使えない」とは言いたくないw)、なんともリアリズムなお写真 着付けに気を取られ過ぎてて机の上を片付けないまま撮ってるし……。万年筆は日常使い用のスーベレーンM400ホワイトトートイスとタルガ・ブレステージですね。えらいリアリズムだ 「鐘の皇帝」は2001年に撮影したもの。私が小さい人なので、鐘がよけい大きく見えますねw これ本気で鳴らすつもりで作ってたロシアの人たちって、何考えてたんだろう……

2011年10月13日 (木)

本当に原発がらみ?

東京・世田谷で高い放射線量、雨で運ばれ蓄積か

でもさ、これ、原因が本当に原発事故だと断言できるんだろうか。

全然原発事故と関係なく、何らかの理由で放射性物質が流出している、というか、流出・流通させている人がいたりしないんだろうか。

理学部や薬学部、大病院の放射線科には、けっこう、「実験に使った残りの処分に困って……」という伝説があるのよね。単に都市伝説みたいのだけじゃなくて、「先輩が冷蔵庫に放置して卒業しちゃった」という経験者も知っている。あとはほら……某国の陰謀と噂される某放射性物質テロ事件みたいなことを民間でやってる人が絶対にいないと言い切れるんだろうか。シルクウッド事件みたいなこととかね……

コメントする専門家も、地面の線量が最も高いのなら分かるが、地面より高いところの線量のほうが高手のが解せないと口々に言っているし、シロウト目にもなんかヘン。

原因が原発事故じゃなかったら、それはそれで怖い気がしますけど。

10月14日付記

世田谷の高線量:瓶の中身はラジウムか 文科省
東京都世田谷区の民家の床下から見つかった瓶について、文部科学省は13日、中身は放射性ラジウムと推定されると明らかにした。同省は、放射性セシウムが検出されないことから福島第1原発事故とは関係ないと断定した。(共同)

やっぱりそういうことか……

研究室から放射性物質をゴニョゴニョしちゃったという伝説の多さから考えると、わりちあっちこっちでこういうことが起こってそうだ

2011年10月12日 (水)

【震災関係】アメリカのチャリティ・アンソロジー「Tomo(友)」

41tne3uc09l__ss500_ 東日本大震災から7か月経ちました。

現実の被害や経済的困難もさることながら、精神的な打撃が深刻なんですよねえ。私もあの日以来、着物を着て出かけられなくなっちゃったのであった。若いころから着慣れている人なら着物で被災してもなんとかなると思えるかもしれないけど、私のキモノライフはぶっちゃけシュミの付け焼刃なんで。インシュリンも一週間は生き延びられる量を持ってないと近所のスーパーにさえ行けなくなってしまった。まあ、それまでのミニマムな装備で出かけていたこと自体が間違いっちゃ間違いなんですが。東京にいてさえこうなんだから、被災地の人々の心労はいかばかりかと思います。まだ「終わった」わけでもないし……

この強烈にトラウマ的な出来事の後に心の支えになったことの一つに、海外からの支援やメッセージがあったのではないかと思います。私のところにも、アンソロジーの東欧編やロシア編で関わっている作家や編集者たちからたくさんメッセージをいただきました。生まれてこの方「地震」とか「津波」なんてものに一度も遭ったことはないであろう地域の方々からも、その想像のつかない状況を軽く見ることなく、本当に真摯で温かい言葉をいただきました。テレビで見る各国からの支援の様子とか、ハリウッド映画のようにカッコイイ米軍の「トモダチ作戦」とか、21億円の義捐金をたったの4時間で集めてくれた台湾の心とかが、実際の支援だけではなく、我々の心の栄養になったのではないかと思います。

そういう海外の人々の気持ちというのは今でも続いていて、今、アメリカでは来年に出版するチャリティ・アンソロジーが準備されているところ。これは日本在住歴の長い作家・大学講師のホリー・トンプソンさんが編者として立ち上げた企画で、アメリカ人と日本人が書いた日本をテーマとした短編を集めたヤング・アダルト向けのアンソロジーです。出版予定は東日本大震災からちょうど一年の2012年3月11日、出版社はカリフォルニアで日本関係の書籍を多く出版しているStone Bridge Pressです。タイトルは「友」Tomo: Friendship Through Fiction--An Anthology of Japan Teen Stories。収益は東北の子供たちを支援する団体に寄付されます。「友」についてのトンプソンさんのブログはこちら。「日本語」やSubmissionsのページは関係者向けの初期の作業用ページなので、本についての情報はトップページとContributorsのページのみです。

このお話をいただいたのは4月の半ばでした。少額の寄付や支援買いをするくらいしかできないことに苛立ちを感じ始めていた頃だったし、もう光の速さでお受けして、「アントンと清姫」を供出しました。翻訳者は長野県在住の翻訳家ハート・ララビー(M. Hart Larrabee IV)さん。ララビーさんは奇しくも20年前に西洋演劇を取り入れた新作能「新作道成寺」の翻訳もされている方で、本文中の長唄についてはこちらからは一切何の説明の要がなかったという奇跡のコラボ(ていうかもしかしたら道成寺についてはララビーさんのほうが詳しかったりするかもだよ)。

国際企画のアンソロジーがどれだけ大変かは、多分今は私が日本でもっともよおおおーーーーーーーく思い知らされてる人間なのでw、トンプソンさんがいかに大変な思いをしたのか分かります。ほんとに頭が下がります。作家はすでにある作品を提供するだけだけど、編者と翻訳者、コーディネーターは、ものすごくタイトな締切と戦いながらガチただ働きで夏を過ごしたのでした。「アントンと清姫」はちょっと量的に長すぎたので、ララビーさんとどこをどう削ってどう改造するかずいぶんメールのやり取りをしたのですが、カケラの手抜きもない、一瞬たりともやる気の揺るがない仕事ぶりで、いやあ、なんて言うか、癒されました。みんなこんなに日本のことを思ってくれてるんだと思うだけで、癒されるし明日への活力になります。

デッドラインまでにすべての訳稿が揃ったそうで、予定通りに出版できそうです。収録されている作家は、みな多彩なバックグラウンドを持った人たちで、チャリティということを抜きにしても、純粋に「本として」面白そうです。ううう、でも全部英語なのよね(<当たり前じゃ)。でもティーン向けなので、日本人でも読める人が多いんじゃないかと思います。

発売が近くなったらまた情報をupします。

新しい情報を2012年2月25日のエントリに追記しました。Amazon.com等で発売中です。

2011年5月 8日 (日)

痛茶とシュルレアリスム

今年のゴールデン・ウィークのトレンドは近場だ!ということで、うちも近場で過ごしております。

……嘘です。今年だけじゃなくて、毎年近場です。

しかし、近場も近場、一番遠くまで行ったのが六本木というありさま。いいのだろうか、こんなことで。いや、別にいいんですが……

で、何しに行ったかというと、もはや会期末で待ったなしの状態になった「シュルレアリスム展」を見に国立新美術館に行ったのです。六本木は何故か21世紀になってから私にとっては常に結界が張ってある場所になってしまい、20年以上前から知っているはずのサントリー・ホールにもまっすぐたどり着けなくなって、ごくわずかの距離をタクシーで移動するような真似を何度もやっているナゾの場所。今回は井上が珍しく電車を間違え、もうこうなったら「歩いて東京を把握する」の一環ということにしようというわけで、渋谷から六本木まで歩いたのであった。井上にとってはこの道は中高生の時の通学路なので(普通の生徒は地下鉄で通学する。彼が何故歩いたのかは不明である)、よく知っているという。私は東京はほとんど「路線と駅とその近所」という形で把握していたので、こういう移動は初めてでした。

やっぱり東京はあちこちで小さな工事をやってますね(うちの近所もだけど。というか、うちのマンションも補修工事中ですorz)。渋谷の金王神社に至っては、一の鳥居にひびが入って、二の鳥居は倒壊。石垣に「災害時はここに集合し云々」と書いたプレートが取り付けてあるんだけど、そこを上ると根元しか残ってない鳥居があるという……

渋谷駅から国立新美術館までは道なりで3キロ半ほどだけど、見るべきものが特になくて退屈なので、妙に疲れる感じはする。が、途中で立ち寄ったコンビニでこんなものを発見。

20110504_2

コミケ限定発売だったという「痛茶」。おお……こっ……これは確かに痛いw でもかなり萌えじゃないですか。絵師は西又葵さん。中身はやや大味な麦茶系ブレンド。けっこう値引きしてあったし、要するに在庫処分なんだろうけど、何故こんなそっち系の人が全然来なさそうな六本木の片隅で売っているのかはナゾ。痛茶を飲んでつまらない高架下通りの疲れを癒し、我々はまた国立品美術館に向かって歩くのであった……

しかし、シュルレアリスム運動っていうのは、あれですね、運動のコンセプト自体に一番意義があったのであって、必ずしもその運動の中から生み出された作品がどれもこれも魅力的というわけではない。今回の展示は特に、うちではあんまり評判のよくないアンドレ・マッソンの作品をやたらとたくさん持ってきているので、なおさら「シュルレアリスムってこんなもんか~?」感が強い。マグリットやマン・レイ、ダリはシュルレアリスムという運動がなかったとしても充分評価されただろうし、デュシャンは作品自体より、その「やったもん勝ち」の一発芸が勝負なわけだし(もちろん、デュシャンは「やった」ので「勝った」わけですが)。

シュルレアリストを名乗っていたわけではない、運動の周縁の画家の作品もあるんだけど……ごめん、正直、そっちのほうがよっぽど魅力的だったりする。ミロがどんだけ天才かよーく分かった……。美術に限らず、文学や映画もそうだけど、シュルレアリストを名乗らなかった人たち、むしろシュルレアリスムを嫌っていた人たちの作品でも、実際にやってることはシュルレアリスムと何が違うんだ、という作品は多い(コクトーもそうですが)。しかし、もしあのセンセーショナルで世界の目を引いたシュルレアリスムという運動がなかったら、彼らが評価される時代はもっと遅かっただろうし、彼らの創作意欲と評価される時代がずれることによって閉塞を生じていたかもしれない。それを考えると、すっごく魅力的という作品は多くはないとしても、やはり「シュルレアリスム運動」というもの自体に大変大きな意義があったのだと分かる。

……んだけれども、やっぱりカッコよさで言ったら未来派とかドイツ表現主義のほうが上だし、何と言ってもロシア・アヴァンギャルドのカッコ良さがダントツだよね。しかし、ロシア・アヴァンギャルドって、なんであんなに強烈にカッコいいんだろう。

帰りはフツウに電車で帰る。うちに帰ってから調べたら、痛茶って緑茶もあったのだそうだ。

2011年4月30日 (土)

【震災関係】法王ダライ・ラマ十四世による東日本大震災四十九日法要@護国寺・動画

前エントリ「【震災関係】法王ダライ・ラマ十四世による東日本大震災四十九日法要@護国寺」の続きです。You Tubeに般若心経とメッセージをupしました。ファイルは4つあります。

……すみません、ようつべupなんてしたことなかったんでいろいろ混乱しました。今度こそ大丈夫だと思います

般若心経

チベット語によるメッセージ(日本語翻訳つき)

チベット語によるメッセージ(日本語翻訳つき)、英語によるメッセージ

英語メッセージの日本語訳

【震災関係】法王ダライ・ラマ十四世による東日本大震災四十九日法要@護国寺

28日の夕方突然ネットで知り、緊急のイベントに適応できない私は行くかどうかものすごく悩んだのですが、類稀なる行動力(当社比)によって行ってきましたよ。

2011年4月29日、東京文京区の護国寺にて、法王ダライ・ラマ十四世による東日本大震災犠牲者四十九日法要に行ってまいりました。法王はもともと5月にアメリカ訪問の予定があり、4月29日の午後にトランジットで成田を通過する予定だったそうなのですが、28日はちょうど東日本大震災の四十九日に当たるので、移動を前倒しして28日に来日されたのだそうです。

法要は誰でもウエルカムとのことで、いったいどんだけ人が来るんだ?!と思うとなかなか躊躇するものはありましたが、一念発起してとりあえず突入。一時間ちょっと前に会場入りして(荷物検査、金属探知機あり)、おお、これはもうダメか?と思ったものの奇跡的に席は確保。まあ足元は立ちっぱなし覚悟の装備で行きましたが、ちょっと足の裏を痛めていたので、これはありがたかったです。

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参列者はやはりチベット人、チベット支援関係者、仏教関係者が多かったですが、ネットで知って来たと思しき若い人がかなりいて、子連れのちょっと「スピリチュアル系」ぽい夫婦とかもいて、年齢層はそれこそ「あらゆる世代」という感じ。そう、スピ系カップルとか、あんまり化粧っ気がなくてナチュラルファッションな20代~40代の女性(そういう人はみんな一人で来ている)がいっぱいいました。私は……う~ん、やはりカテゴライズするとしたらスピ系おひとりさま女に見えるんだろうなあ。いや別にいいんですけど(面と向かって言われたらイヤだけど)。雰囲気としては、一般的な四十九日法要ほどしんねんむっつりとはしていないけれど、イベントのノリでもなく、だいたいにおいて「神妙な初詣」くらいの感じ。

目で見て概算、ということが非常にニガテなので、席がどのくらいあったのかはちょっと自信ないけど東京文化会館小ホール(650席)よりは少ない感じか。立ち見はかなりいたし、法要中に参拝だけして帰って行った人を入れたら……万単位まで行ったかもしれない。いや、こういうことニガテなんで、参考程度に流し読んどいてください。

前方の数か所に巨大なモニターが設置され、寺にハイテクなところがちょっとサイバーパンクな感じw 

待つこと一時間少々。長い(でもかなりあっさりとした)お坊さんの行列とともに法王のご入場。この時はお姿は拝見しましたが、シャッターチャンスは逃しましたorz 写真がヘタなのは相変わらずです……

待っている間はじりじりと日が照りつけてきて、けっこう暑い。日焼け止めは塗りまくってきたものの、でもこれは日焼けするだろうなあ、と思っていたら、各種ご挨拶の間にちょっと曇ってきて、法要が始まったらあっという間に気温が下がりました。にわか雨という予報もあってこれは「来る」なあという感じ。

201104292

法要本体は、(私にとってはある程度慣れ親しんだ)キリスト教の聖務とは違って、それぞれの経文を何のアナウンスもなくぶっ続けで読経。チベット仏教の典礼を編集なしの動画やライヴで見たことがなかったので、これにはちょっと驚きました。そうかそういうものなのか……。法王は読経に集中しながらも時々あごや首筋をポリポリと掻いたり、え~っと次って何だっけ~という感じで一般参列者に配られたのと同じ冊子を見たりしてて、なんともフリーダム。法要の後のお話でも笑ったりしてました。なんだけれども、それでいて不謹慎な感じはまったくせず、こういう自然体でフリーダムなところもこの方の魅力なんでしょうねえ。

お経は次の通り。字がなかなか出てこないのがあるので、ちょっと抜けてますが、重要な部分は全て入ってます。

帰依発心
四無量心
『仏母般若波羅蜜心髄経』
道場退魔法
普賢菩薩行願讃
入菩薩行論廻向品
千手千眼観自在菩薩御真言
地神と四大天女に対する供養文
七句祈願文 (蓮華生菩薩御真言 厄障消除祈願略文)
廻向文
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
光明真言
如意輪観世音菩薩御真言

般若心経を三回唱えて法要はおしまい。そのあとまたご挨拶関係があって、法王からのメッセージ。

このメッセージは次のエントリでYou Tubeにupした動画にリンクします。内容はビックリするくらい現代的、科学的で、スピリチュアル系の人たちはかえってガッカリしたんじゃないかと思うくらい実際的なものでした。カール・セーガンかと思うじゃないですか 日頃安易にアセンションがどうのとか、ポジティブ・シンキングで何でもいいことが引き寄せられるとか言ってる人たちはちょっと反省して欲しいことです。

このお話の最中についに雨が降り始め、しまいにゃ幾つか雹が混じる始末。もう動画を撮りはじめてしまったので傘をさすのもままならず……。なんで人間ってカメラ持ってるとシロートのくせにへんな使命感に駆られたりするんだろう   ハンカチでカメラを守るのが精いっぱいで、おろしたての一張羅の黒ジャケットは、東京の凶悪な酸性雨の餌食に。暖かい気候に慣れてきた体は超冷え冷え。お話が終わるころに雨もやみ、その後何事もなかったかのように晴れてしまいました。

201104293_2

お帰りの際も荘厳な大行列にしないでわりと普通に帰っちゃう。参列者はよけい混乱するぢゃないですか シャッターチャンスなようなそうでないような、ビミョーな写真ですみません。心は温まれども、この後、気温も上がらず、身体は冷え冷えのまま震えが来るありさまだったので、下山後友達と合流して日没前にすでに酒を飲んでましたw いや~、だって、寒かったんですよ、マジで。

壮大な感動に包まれたとか、人生が変わったとかの大げさなことはなく、これからまた長い復興の道のりを歩いてゆくためにちょっと(しかし確実に)手を貸していただいたという感じの法要でした。

作家というのは言葉を扱う仕事で、被災した方々に対して心に響くようなメッセージを発するべきと思われるかもしれません。が、私の昔からの読者さんならば、私がそういう感動メッセージ系の作家ではないことはよく御存じだと思います。何かを心に思うことと、それを形にすることは全然別な問題で、苦手なことをどうにか形にしたところで、それが本当に心を反映しているとは限らないと私は思っています。だから、私の出版やこういうブログを通じて、各自自分が欲しいと思うものを受け取ってくれればいいと考えています。今回の法要には、当の被災者の中で出席できたという人はほとんどいないでしょうし、緊急に告知されたので都内にいても知らなかった、出席できなかったという人は多いでしょう。次のエントリで般若心経と法王からのメッセージの動画をupしますので、参加できなかった方、被災地の方々に見ていただければと思っています。

次エントリに動画を貼りました。

2011年4月18日 (月)

【震災関係】プロコフィエフからの震災見舞い

16日、日本ユーラシア協会文化サロンの第一回として、プロコフィエフ生誕120年記念の講演と映画上映があったので、行ってきました。でも行く前から大きな余震。うぐぐぐぐぐぐぐ。少なくともインシュリンだけは「一日、二日は帰ってこられない」装備で出かける。しくしく。

前半は沼辺信一さんの講演で、プロコフィエフのソ連帰還の経緯とその謎について。後半はプロコフィエフが初めて映画音楽というものを手がけた作品『キジェー中尉』(1934年、アレクサンドル・ファインツィンメル監督)の日本初上映。

『キジェー中尉』は、普通、日本では『キージェ中尉』と表記されるけど、ロシア語のアクセントとしては「キジェー」が正しいようだ。英語やフランス語で表記される時は最後の「e」にフランス語のアクサン記号がついてて、確かにこれだとフランス語でも「キジェー」だよねえ(ちなみに映画の中では「キジェーの先祖はフランスからの移民でして」というセリフがある)。でもなんか「キジェー」だとおさまりが悪い気がするのよねえ。ただの刷り込みかもしれないけど。でもとりあえずこのエントリの中では「キジェー」に統一します。……忘れなければね。

映画のストーリーは組曲の解説にある通り。昼寝の邪魔をされた皇帝の怒りをそらすため、廷臣たちが架空の「キジェー中尉」をでっちあげて罪をなすりつけようとする。が、皇帝のきまぐれでキジェーはシベリアに送られたり、呼び戻されて女官と結婚させられたり、昇進したり。めんどくさくなった廷臣たちがキジェーは死んだことにすると、キジェーの葬式まであげられる。ブロコフィエフが五曲からなる組曲にした方ばかりが有名で、映画のほうは「そういえばそんなものもあったっけね」的な扱いになりがちで、日本ではほとんど誰も見たことのないシロモノ。で、実際に見てみると、「そりゃわざわざ上映したりDVDにはしないなあ」というお品物でした。

はっきり言って、だるい。何よりも、長い、長いよ! 長すぎる。このネタでよくも80分もやってくれたね。これ、プロコフィエフの音楽を要として20~30分の短編にびしっとまとめたら、今でもけっこう名作と言われていたんじゃなかろうかと想像。トーキーというものができたばかりの時代の作品なので、セリフや音楽を入れた映画をどうやったものか誰もつかめていない感じで、プロコフィエフの音楽も、組曲の何分の一かしかない。組曲の中に取り入れられたライトモチーフがちょっと出てくるくらいの感じ。『スター・ウォーズ』のCD二枚分のサントラとかに慣らされた現代人には衝撃なのだが、組曲はながーーーい映画音楽のいいところを取ってコンサート・ピースとしてまとめたんじゃなくて、映画にちょびっとだけ取り入れられた音楽を発展させて拡大したのが組曲なのだった。

でも、ストーリーにはロマンスあり、女の見栄や官僚の事なかれ主義、コメディ、権力風刺といろいろな要素があってなかなか面白く、こんなダルイ映画にしちゃったのがつくづく惜しまれる。スターリン時代によくこんな権力批判の映画を上映できたなあと思うけど、実は30年代前半というのはまだそういう時代ではないとのこと。この監督はその後は「沈香も焚かず屁もひらず」的な映画作りを続けたおかげで、特に何のおとがめもなく(かといって特別な名誉もなく)スターリン時代を生き延びたという。なるほどね。

井上はこの字幕つくりのために、モスクワの国立映画保存所で正式に台本を複写させてもらったんだけど、そこまで労力を費やす必要があったのか?!というくらいダルい映画でした。ネットに英語字幕の動画が出回ってるけど、これがまたあちこちに誤訳があるんだって。けど、字幕を台本から起こしてちゃんと上映したからこそ、それを見た我々は「いや~、あの映画ね、実際にみると名作には程遠くて……」とか、偉そうに語る権利ができたというものです(笑)。そこは喜ぶ所かどうか分かんないですけど。

で、話が前後しましたが、前半は沼辺信一さんの講演。プロコフィエフは生涯にわたって詳細な日記を書き続けた人ですが、ソ連帰還後の日記(全部ではない)が21世紀になってからやっと出版されたばかりで、最近になってから分かってきたこともたくさんあって、これからプロコフィエフ像は大きく変わってくるかもしれないとのこと。

プロコフィエフは1918年にアメリカに渡る途中で日本に立ち寄った際、徳川家の末裔で私設のコンサート・ホールや音楽図書館を持っていた文化人である徳川頼貞や、音楽評論家大田黒元雄らと交流している。1923年に関東大震災が起こった際、パリで活動していたプロコフィエフの元にそのニュースが届くや否や、彼は徳川や大田黒に当てて、英語でとても心のこもったお見舞いを出している。徳川らが受け取った現物は残っていないけど、ブロコフィエフという人はこまごまと日記をつけてただけじゃなくて、人からもらった手紙はもちろん、自分が出した手紙の下書きとかもぜーーーーーーーーんぶ何でもかんでも取っておく人だったので、日本に当てた手紙も下書きが残っているのだった。

今この時期にその手紙を読むと、なんか今の我々をプロコフィエフが心配してくれているみたいでちょっと嬉しかったことです。

イベントの後は青山の飲み屋で宮城の「浦霞」を飲みながら原発の話。浦霞で酔っ払ってて、みんななかなか原発の名前が出てこないのだった……

2011年4月14日 (木)

【震災関係】地震予知(流言飛語と受け取られかねない内容を含みます)

「地震の予知は不可能」…東大教授が寄稿

「地震の長期予測や予知は不可能で、東海地震の予知研究はやめるべきだ」などとする、ロバート・ゲラー東京大教授(地震学)の論文が14日、英科学誌ネイチャー電子版に掲載された。

この人は昔っっっから地震予知不可能派だもんね~。この手の発言は今に始まったことではない。しかし、地震学って、せいぜい半世紀ほどしか歴史はないという。その程度の研究で我々人類が「地震予知は可能か、不可能か」に結論を出せると考えるのはどうなんだ?と思う。数百年単位でデータの蓄積と研究をしないと判断できないことなんじゃないだろうか。どうなんだろう?

科学還元主義者や似非科学と戦うこと自体が趣味の人たちは、地震にまつわる「昔からの言い伝え」を(軽視する意味で)「利用可能性ヒューリスティック」と言って科学の領域からは排斥する方向で発言するが、本当にそれでいいのだろうか? たとえば、(日本では)「大地震の前年は猛暑」という「昔からの言い伝え」系の言説がある。しかし、1994は観測史上二番目の猛暑で1995年1月17日に阪神大震災、2010年は観測史上最高の猛暑で2011年3月11日に東日本大震災という事実、うちの父方母方のじいちゃん、ばあゃんたちが言ってた「関東大震災の前の年がその後経験のないほどの猛暑で、ひどい年が続いて辛かった」という昔話を科学から切り離すのは、切り離してOKという論拠を蓄積しないとできないのではないだろうか。

友人のハードSF系作家は「地震をもたら地殻活動と海洋条件は無関係ではなく、海洋条件と気象は無関係ではない。猛暑と地震に関連性があっても不思議ではない」と指摘する。そう、ヒマラヤの雪解けとインド洋の温度と(間に幾つかファクターが入る)北極圏の寒気団の蛇行が関連しているみたいに。←これだって、ちゃんと説明してもらわないと「風が吹けば桶屋が儲かるかよ!」と思っちゃう。もし地殻活動と海洋と気象の関係性を分析し続ければ、科学的に有用な結果が得られるのではないだろうか。そこまで観測も分析もしてないのに似非科学扱いするのは科学的態度とは言えないのではないだろうか。

○○を食べないでいると××の病気になる、△△を食べると□□の症状が改善される、みたいな経験則を科学的に扱うことによってビタミンが発見され、微量元素の必要性が分かってきたのと同様、天変地異に関する「昔の人の生活の知恵」を科学的に検討することは必要なんじゃないだろうかと私は考えている。

何世代も前から暦を扱ってきた神職系の人の中には、「大地震の後の大潮となんとかが重なった日は要注意」等と言うらしい。「でも、人前で言うと流言飛語になりかねないから言えない(泣)」と。しかし、断層が不安定になってて、実際にM7級の余震が頻発している今に、衛星の引力や普段より大量の海水がその断層に作用することを考えると、科学的に言っても大地震の後の大潮ってヤバいと考えるのは当然なような気がする。もっとも、何がいつどのくらいの規模で起こるのかを断言できないので、それは「予知」とは言えないのも事実だけど。

科学的この上ない緊急地震速報の精度も33%だそう。つまり、10回びびらされてもそのうち3回程度しか役に立たないということ。でも打率だったら33%ってスゴイ。イチロー並みだよ。これを有用とみなすか無用とみなすかは、実際の市民生活の中でどうだったかを検証しないと判断できないので、この数値だけを挙げて論じるのはあまり意味がないだろう。

地震の予知というほどではないが、予測に関しては、こんな発表もあったり。

震源域東側でM8級、早ければ1か月内…専門家

東日本大震災の震源域の東側で、マグニチュード(M)8級の巨大地震が発生する可能性が高いとして、複数の研究機関が分析を進めている。

日本海溝の東側で海のプレート(岩板)が引っ張られる力が強くなっているためで、早ければ1か月以内に津波を伴う地震が再来する危険がある。

ちなみに、東日本大震災後最初の大潮は4月18~26日。「昔からの言い伝え」系と矛盾しない。「予知」ができない以上、この間に何ができるというわけでもない。だが、科学者はデータを蓄積する義務はあるのではないだろうか。役に立つのは数百年、数千年後かもしれないし、それまでに人類が滅亡していないとも限らないけど。

数百年に一度、数千年に一度の災害にどの程度備えるか、その数百年後かもしれない災害に備えるために今現在の国民の血税をどの程度使ってもいいのか等、政治的な問題は別として、少なくとも科学者は、何百年後に必要になるか分からないデータを蓄積する義務があると考える。まあ、義務はあっても予算がないとか、そういう問題もあるでしょうけれど。でも、科学の道義としては義務はあると思う。

ところで、あれ以来、犬を飼っている友人、知人に会うたび、地震の前後のわんこたちの様子はどうだったかと聞いてるんだけど、みな一様に「地震の後に甘えん坊になった。地震の前の様子は変わらなかった」と言う。そうか……わんこ予知はムリか いや、いいんだよ、甘えん坊でも。可愛いからいいことにしよう(笑)。