『カラマーゾフの兄妹 オリジナル・ヴァージョン』盛林堂ミステリアス文庫
で、まあ、それはそうと実はこのほど、第58回江戸川乱歩賞受賞作である『カラマーゾフの妹』の、投稿時のオリジナル・ヴァージョンを盛林堂ミステリアス文庫さんから私家版として上梓する運びとなりました。
もともと、2020年が作家としてデビューしてから25周年になるので、何かしたいとは思っていたのですが、SF大会も何もかもコロナで吹っ飛び、そのままになっていたのですが、2021年11月にイラストレーターYOUCHANさんの個展の時に久しぶりにお目にかかった盛林堂の小野純一さんにそういうような話をした時、小野さんが目の覚めるような速度で私の夢を実現して下さったのです。
それがこの『カラマーゾフの兄妹 オリジナル・ヴァージョン』です。盛林堂版にその経緯や背景をまえがきとして書きました。ご購入の参考としていただきたく、以下にそのまえがきの全文を掲載いたします。
盛林堂ミステリアス文庫版まえがき
二〇一一年、東日本大震災は、直接には被災しなかった者たちの人生をも変えた。私もそうした変化を被ったうちの一人である。もっとも大きな変化は、憧れながらもついに一度も応募しなかった江戸川乱歩賞に、その時書きかけだった、私のキャリアの中でも特別な一冊になるであろう作品を送り出すという決心だった。一生に一度だけ、乱歩賞に応募したい。そうすれば少なくとも、大地震の地割れに飲みこまれながら「ああー! 乱歩賞に応募しておけばよかったー!」とわめかなくても済むのではないだろうか。
もちろん、作家として地味ながらもそれなりにキャリアを積んできた私が落選すれば、相当に恥をかくのは分かっていた。では別ペンネームで応募するか? しかしその場合、受賞すればそれまでの読者を裏切ることにならないだろうか。そうなるくらいなら、自分が恥をかく覚悟で、高野史緒の名前で応募すべきではないか。
ありがたいことに、私の『カラマーゾフの兄妹』は第五十八回江戸川乱歩賞として選んでいただいた。選考委員の先生方の評価も、厳しいお言葉も、全てがありがたく、今でも私の糧として生きている。日本推理作家協会会長(当時)の東野圭吾先生のご助言により、タイトルを『カラマーゾフの妹』に変更したが(原タイトルのままだと口頭で『カラマーゾフの兄弟』と区別がつかず、損をすることもあるだろうということで)、それ自体は正しい判断だったと思っている。が、実は出版に当たっては大幅な改稿を余儀なくされており、そのことがずっと心残りとなってい
た。
乱歩賞の受賞作が出版時に改稿されるのは普通のことである。もっともそれは、新人の原稿を編集者とともに練り上げるという意味でのことだ。しかし私の場合の改稿は事情が違っていた。まず第一の理由が、私自身が応募に際して意図的に削った部分を復活させることだった。この原稿はどう考えても応募規定の五百五十枚以内に収まりきらないのは分かっていたので、だったらストーリーを損なわない程度に描写や台詞を削っておいて、出版する時にしれっと足しとけばいいや、ということだ。そこはまあ、プロなので、そのくらいの技術はある。それはいい。それはい
いのだが、しかし、問題は第二の理由だった。出版社サイドから、「あまりにもSFすぎるので、これはちょっと……」と言われたのだ。
正直に言おう。『カラマーゾフの兄妹』はそもそも、『カラマーゾフの兄弟』×『Xファイル』という企画だったのだ。当然、私としては、そんな改稿は認めたくなかった。が、あんまり粘ると出版してくれなさそうな雰囲気になってきたので、仕方なく改稿したのである。ロケットやバベッジ・コンピュータも実はすごく渋られたのだが、そこは押し通した。さすがにそれを抜くと作品の趣旨自体が変わってしまう。
『Xファイル』……そう、私は『Xファイル』が好きなのだ。『カラ兄』とどっちが好きかと言われると困るくらい好きだ。当然、『兄妹』オリジナル・ヴァージョンでは、「あんなもの」や「こんなもの」が出て来る。もうすでにお分かりの方もいらっしゃるかと思うが、イワン・カラマーゾフ=フォックス・モルダーだ。半地下のオフィスも妹の存在も、当然と言えば当然なのだ。
出版ヴァージョンは、第一の改稿理由によって、応募原稿よりは小説としては出来がいいという印象はあるだろう。本人としても、今読み返すと書き直したいというより、ゼロからやり直したいと思わずにはいられない。が、応募原稿はコンパクトさも手伝って、「なんかスゴイ」感はある。選考委員の先生方に認めていただいたのはこのヴァージョンなのだから、これはこれで自分でも認めてあげたいと思うのだ。もしチャンスがあれば、いつかはこちらも私家版として出版してみたいと以前から思っていた。もちろん、我が子の中でもとりわけ大切な作品なので、誰に託
してもいいというわけにはいかない。そうこうするうち、乱歩賞からまもなく十年という年月が経ってしまった。そんな中、二〇二一年の十一月、イラストレーターのYOUCHANさんの個展に集ったメンバーに話半分という感じでこの件を相談してみたところ、盛林堂書房の店主小野純一さんがあっという間に実現の段取りをつけてくださったのである。もちろん小野さんならば、我が子を託す相手としてはこんなにありがたい存在はない。しかも、解説は細谷正充さん、装丁はYOUCHANさんという豪華さだ。細谷さんには、拙著『まぜるな危険』(早川書房)が第
四回細谷正充賞でお世話になったばかりだが、まるで長年のお付き合いがあったかのように快くこの仕事を引き受けて下さった。一方、YOUCHANさんとは友人としての付き合いは長くなったが、いつか一緒に仕事をしたいと思いつつ、なかなかその機会がなかった。小野さん、細谷さん、YOUCHANさんのお三方が揃うというのは、商業出版でもなかなか望めない、嬉しいのを通り越して申し訳ないとさえ思ってしまう豪華な布陣だ。こんなにありがたいことがあるだろうか。
二〇二一年は乱歩賞から十周年記念の年である。この私家版は、その記念であるとともに、これまでの私を支えてくれた友人たち、読者さんたち、出版関係者、家族への感謝の表明だ。お楽しみいただければ幸いである。
予約は3月6日から。販売は3月19日からです。3月17~21日の第61回神田古本まつり青空掘り出し市の盛林堂書房ワゴンで先行発売いたします。私も応援に行こうと思っておりますので、皆様よろしくお願いいたします。
今、ロシアは本当にシャレにならない状況ですが、本書中盤の、アリョーシャによる政権批判が、まさか今日に至るまで変わりがないということに心底驚いています。ロシアの文化は、単に文化というだけではなく、常に圧政のもとにあったロシアの市民たちの抵抗と自由への希求の声でもあるので、そうした文化人や市民の声を受け継ぐためにもロシアの文化を愛し続けたいです。でもこのアリョーシャの長台詞なんて、案外今のロシアでも出版できないかもしれませんね。まさか21世紀にこんなことになろうとは……
販売ページはこちら→ 盛林堂ミカテリアス文庫『カラマーゾフの兄妹 オリジナル・ヴァージョン』
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