フォト
2025年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »

2015年8月17日 (月)

映画『筑波海軍航空隊』

20150816終戦70周年より一日遅れて、夫と『筑波海軍航空隊』を見てきた。夏休みの銀座はガイコクの人もますます多く、なんか「上品なブレードランナー」みたいになってたw

清く正しい王道のドキュメンタリー。私は正しすぎるドキュメンタリーに対してはわりと冷淡なのだが、この映画は、作っている側に「いかにも平和主義です、感動をお届けします」的な態度が見えず、また特攻隊員をことさら美化することもなく、かなりニュートラルに作っているということに敬意を覚える。この映画の使命は「あったことをできるだけあったままに伝える」ことで、作為的な感動も主義主張も盛り込まないという方針なのだろう。その筋を通しきったのだなという印象。

しかし、話を拡大するけど、戦争関係のフィクションもノンフィクションも、どれもこれも「戦争はこんなに悲惨! 戦争反対! ラブ&ピース!」までやっとけば世間からよしとされ、加えて「感動」を盛り込めば官軍、みたいな雰囲気に無力感を感じる。戦争が悲惨なのも、戦争がアカンのも、まとも日本人はみんな分かっているんだよ。我々が今考えなきゃいけないのは、「戦争はだめだよね」ってことじゃなくて、「では、それを避けるためにどうするべきなのか。今この世界で、日本が何をするべきなのか」の「どうする」の部分ではなかろうか。それは原発反対運動についても言える。そりゃ原発なんて、無いなら無いほうがいいに決まっている。反対と叫んで人を組織化してまた反対と叫ぶことにばかり労力を使ってないで、原発がなくてもやってゆけるエネルギー体系を開発する方に力を使おうよ、と思う。

テレビでも、私の直接知ってる人たちでも、私よりはるかに頭のいい人たちが、「いかにして戦争/ 原発を押し進める人たちを論破し、屈服させるか」にものすごい労力を使っちゃってのをよく見かける。あれもったいないよ……。あなたのその優秀な能力を、戦争や原発がなくてもやってゆける技術や方法を開発する方に使ってくれ、と思う。私がもっと頭がいい人だったらそうする……。自分の能力がもどかしい。

日本は本来、戦後に九条を掲げるとともに、「1.情報戦に強くなる」と、「2.第三国としての調停能力を磨く」と、「3.優秀な人の足を引っ張らない」の三つを身につけるべきだったと私は思っている(実際に身につくのは百年、二百年かかるかもしれないけど)。少なくとも「優秀な人の足を引っ張らない」を心かげていれば、1と2は今よりは実現できていたのでは。

政治や行政について話す時、「官僚や政治家は無能なくせに既得権にあぐらをかいている」というステレオタイプを言っとけばとりあえず周囲の人とは軋轢を起こさないから何となく同調しちゃってるということは多いと思うが、実際に必要が生じて若手の官僚や政治家と話してみると、現場で泥をかぶって苦労して事態を改善しようとしている優秀な人はけっこういる。何とかしてそういう人たちが燃え尽きない方法、世間が足を引っ張らない方法はないかな~と考えることがよくあるが……やっぱり、「右ならえ」を少しずつでも崩してゆくしかないんじゃないかと思う。

私の学生時代の指導教官二人は、それぞれ別系統の方々でお互い面識もなかったようだけど、どちらも「日本はまだまだヨーロッパから学ぶことがある」と言っていた。私もやっぱりそう思うな……。それは、ヨーロッパの主義主張を取り入れろという意味ではない。狭いところにたくさんの国や文化が密集して戦争や講和を繰り返しながらリクツや哲学を発展させてきたヨーロッパの「方法論」は、まだまだ学ぶべきことが多いすばという話。

というわけで……というとちょっと違うかもしれないが、私は今、ヨーロッパ全域(東欧も西欧も含むという意味)対象の新たなアンソロジーを企画している。そんなの「日本をよりよくするため」というのには焼け石に水じゃないかと思われるかもしけないけど、こういう小さいものの積み重ねなくしてはどうにもならんと思うのだ。

……あ、あと、『筑波海軍航空隊』を見てもう一つ思ったこと。本隊であった霞ヶ浦航空隊があった土浦市は、戦前はツェッペリンやリンドバーグ(どちらもバンドに非ずw)も来訪した名所であるにもかかわらず、あんまりまじめに資料保存がなされてないらしいのよね…… 土浦市にはもうちょっとがんばって欲しいのであった 

2015年8月 3日 (月)

アド街が土浦だった!

はい、今日もサウナ板橋区からお送りいたします。

土曜日の夜八時、友達からメールが来て知った。「出没! アド街ック天国」が土浦だったのだ! 4月25日の牛久以来の驚きのチョイス。いや多分、牛久を取材してたら「土浦行ったらいがっぺな」って言われまくったんじゃないかとw 牛久は大仏ネタを分割して反則寸前の再利用や、竜ヶ崎や阿見のネタをこっそり混入して水増ししてたからなあ。

というわけで、土浦の回を視聴。ランキングはこちら。やけに「いい町」っぽく撮れてますな 夫には「なんか僕が知ってる土浦と違うw」と何度も言われる。いや……私が知ってる土浦ともちょっと違うしw テレビってすごいわ~www ちなみにタイトルの「涼しい湖畔の城下町 土浦」の「涼しい」の部分については黙秘権を行使させていただきます。

20.霞ヶ浦の遊覧船は30年くらい前に一度乗ったきりだ。当時はこういうステキっぽい船じゃなかった。今のほうが水質はよくなっているのでまあ乗って損はなさそう。

19.古民家カフェ……と呼べるものって、この二軒以外あるのか?w いや実は亀城公園周辺は最近、「憧れの自宅カフェ開店しました」みたいなお店が増えている。採算とかどうなってるのかは知らない。「蔵」はおススメ。

18.土浦流どら焼き。とりあえずレンコンがダメな人はやめといてください。ものすごくレンコンですw

17.土浦魚市場。うわっ、今、ここってこんなになってるんだ。知らなかった。行ってみたいけど車がないとムリw

16.小町の館。うわっ何それ知らない! 

15.土浦ナンバー。そんなのネタにしないでほしいw

14.ラクスマリーナ。いつの間にそんなヲサレっぽい名称にw 昔は「ヨットハーバー」って言ってたw

13.つちうらカレーフェスティバル。もっと外にアピールしろと言いたい。何年か前、あちこちのニュースで取り上げられた時、広報担当として同級生が出演してたw 今年は是非行きたい。

12.亀城公園&霞ヶ浦総合公園。どっちも「第二の校庭」だった。小学校では体育の授業で亀城公園にはみ出したりしてたし、中学校では球技大会とか後者でやってた。なつい。

11.街並みが映画セット。戦隊ものは毎回のように茨城で、そのうち二回に一回は土浦かつくばで戦ってる印象。モール505は行ってビックリの激寂れ地区。そうであるだけに、空き店舗をちょっと飾ればどんな街並みも作れる罠w

10.土浦の祭り。名称を「七夕まつり」のままにしといてほしかった……orz 70年代から80年代半ばまではほんとにいいお祭りだったんだよう~。

9.レストラン中台。何それ知らない! ていうかフレンチのメインディッシュがハンバーグってどうなんだよw それ「フレンチ」じゃねえよw もっとも、このゆるさが極めて土浦っぽいと申せましょう。美味しければいいよね(<ゆるゆるw)

8.常総学院。木内監督時代に決勝戦で打ち取った投手がダルビッシュだ!

7.ほたて食堂&吾妻庵本店。なつい。ほたて食堂の前は12年間通学路だったw 吾妻庵は昔、「腐海」だったのだ! 腐海の座敷に平然と客通してたのw でもその頃のほうが片付いてからより美味しかった罠。でも東京に引っ越してから(←15年くらいか?)行ってない……。また美味しくなってることを祈る。

6.ジョイフル本田荒川沖店。東急ハンズよりアメリカの田舎のホームセンターに近い。テキサスとかw すごいよ。マジで。実家でも本当に「ここに無いなら諦めろ」って言ってたw ちなみに、今回の「土浦コレクション」は全てここで撮られている(背景で分かっちゃう)。なので、あれが土浦女子のファッションの全てだと思わないでほしい。あれは激広ホームセンターで一日だらっとする仕様ファッションですので!

5.土浦全国花火競技大会。見に行ったことはない。何故なら、近所の橋の上とかから見えてしまうから。地元民のたまり場があちこちにあってね。みんなテキトウに来てテキトウに見てテキトウに去ってゆく。防寒着を着こんで。そう、日本一遅い花火大会(10月)なので、寒いよ。浴衣とか着てくんなよ。

4.料亭霞月楼。なつい。ここは乱歩賞のお祝いとか、母の四十九日とかでも使った。ここは多分江戸川乱歩ゆかりの地でもあるんじゃないかと思う(詳しくはこちら「江戸川乱歩と『カラマーゾフの兄弟』と土浦」)。

3.柴沼醤油醸造。土浦の小学生は一度はここに見学に行くと思う。なつい。ここんちのお嬢様は同級生だった。可愛い系でした。

2.レンコン。まあそれ以外のチョイスはムリかなw ちなみに、レンコンさえ入っていればレシピも味付けも関係なく「土浦カレー」認定です。あなたのキッチンでも今すぐ作れる土浦カレー。ゆるゆるw 

1.霞ヶ浦。まあ土浦だけのものじゃないので、花火大会より上位などころか一位ってのはちょっと納得いかないのであった。

というわけで、肝心な一位に不満はあるものの、牛久よりは「あり」なラインナップかな。霞ヶ浦航空隊の歴史やツェッペリン来訪もフィーチャーしてて、けっこうちゃんと取材してた印象。

風邪もようやく回復しつつある手ごたえ。まずは短編のラストスパートを頑張ります。明日から本気出すよ~。K社Iさんごめんorz

2015年8月 1日 (土)

冷夏

ものごっつ風邪をひいてしまいました。あっという間に細菌感染の段階に入ってしまい、声もガサガサです。体調が悪すぎて危うく病院に行けなくなるかとw シャレにもならん。幸い肺は無事だそうで、そう聞くと急に治ってきた気がするから不思議だw まあ病は気からと申します故、治癒も多少気安めなところあるでしょうねえ。がんばれ抗生物質! がんばれ俺の免疫力!

ところで、なんかペテルブルクはめっちゃ冷夏らしいで。毎日雨ばかり降ってる様子。もともとペテルブルクは晴れにくいところではあるのですが、北極圏生まれで十年以上ペテルブルク在住の友人が嘆くくらいだから、かなりヤバそうだ。「もう夏も半分以上終ったのにこんな天気で……(泣)」だそうだけど、夜になってもなかなか30℃を下回らないサウナ板橋区にいると全然想像できません。東京なんか、こんな夏がやっと三分の一ほど終わったったところだよ~(泣)。ヨソの冷夏なんて、冥王星の観測結果と同じだ……

ここで本当にオリンピックやるんでしょうか? ていうか(いろんな意味で)できるのか? とりあえず皆様も夏風邪にはお気をつけください

« 2015年7月 | トップページ | 2015年9月 »