映画『筑波海軍航空隊』
終戦70周年より一日遅れて、夫と『筑波海軍航空隊』を見てきた。夏休みの銀座はガイコクの人もますます多く、なんか「上品なブレードランナー」みたいになってたw
清く正しい王道のドキュメンタリー。私は正しすぎるドキュメンタリーに対してはわりと冷淡なのだが、この映画は、作っている側に「いかにも平和主義です、感動をお届けします」的な態度が見えず、また特攻隊員をことさら美化することもなく、かなりニュートラルに作っているということに敬意を覚える。この映画の使命は「あったことをできるだけあったままに伝える」ことで、作為的な感動も主義主張も盛り込まないという方針なのだろう。その筋を通しきったのだなという印象。
しかし、話を拡大するけど、戦争関係のフィクションもノンフィクションも、どれもこれも「戦争はこんなに悲惨! 戦争反対! ラブ&ピース!」までやっとけば世間からよしとされ、加えて「感動」を盛り込めば官軍、みたいな雰囲気に無力感を感じる。戦争が悲惨なのも、戦争がアカンのも、まとも日本人はみんな分かっているんだよ。我々が今考えなきゃいけないのは、「戦争はだめだよね」ってことじゃなくて、「では、それを避けるためにどうするべきなのか。今この世界で、日本が何をするべきなのか」の「どうする」の部分ではなかろうか。それは原発反対運動についても言える。そりゃ原発なんて、無いなら無いほうがいいに決まっている。反対と叫んで人を組織化してまた反対と叫ぶことにばかり労力を使ってないで、原発がなくてもやってゆけるエネルギー体系を開発する方に力を使おうよ、と思う。
テレビでも、私の直接知ってる人たちでも、私よりはるかに頭のいい人たちが、「いかにして戦争/ 原発を押し進める人たちを論破し、屈服させるか」にものすごい労力を使っちゃってのをよく見かける。あれもったいないよ……。あなたのその優秀な能力を、戦争や原発がなくてもやってゆける技術や方法を開発する方に使ってくれ、と思う。私がもっと頭がいい人だったらそうする……。自分の能力がもどかしい。
日本は本来、戦後に九条を掲げるとともに、「1.情報戦に強くなる」と、「2.第三国としての調停能力を磨く」と、「3.優秀な人の足を引っ張らない」の三つを身につけるべきだったと私は思っている(実際に身につくのは百年、二百年かかるかもしれないけど)。少なくとも「優秀な人の足を引っ張らない」を心かげていれば、1と2は今よりは実現できていたのでは。
政治や行政について話す時、「官僚や政治家は無能なくせに既得権にあぐらをかいている」というステレオタイプを言っとけばとりあえず周囲の人とは軋轢を起こさないから何となく同調しちゃってるということは多いと思うが、実際に必要が生じて若手の官僚や政治家と話してみると、現場で泥をかぶって苦労して事態を改善しようとしている優秀な人はけっこういる。何とかしてそういう人たちが燃え尽きない方法、世間が足を引っ張らない方法はないかな~と考えることがよくあるが……やっぱり、「右ならえ」を少しずつでも崩してゆくしかないんじゃないかと思う。
私の学生時代の指導教官二人は、それぞれ別系統の方々でお互い面識もなかったようだけど、どちらも「日本はまだまだヨーロッパから学ぶことがある」と言っていた。私もやっぱりそう思うな……。それは、ヨーロッパの主義主張を取り入れろという意味ではない。狭いところにたくさんの国や文化が密集して戦争や講和を繰り返しながらリクツや哲学を発展させてきたヨーロッパの「方法論」は、まだまだ学ぶべきことが多いすばという話。
というわけで……というとちょっと違うかもしれないが、私は今、ヨーロッパ全域(東欧も西欧も含むという意味)対象の新たなアンソロジーを企画している。そんなの「日本をよりよくするため」というのには焼け石に水じゃないかと思われるかもしけないけど、こういう小さいものの積み重ねなくしてはどうにもならんと思うのだ。
……あ、あと、『筑波海軍航空隊』を見てもう一つ思ったこと。本隊であった霞ヶ浦航空隊があった土浦市は、戦前はツェッペリンやリンドバーグ(どちらもバンドに非ずw)も来訪した名所であるにもかかわらず、あんまりまじめに資料保存がなされてないらしいのよね…… 土浦市にはもうちょっとがんばって欲しいのであった
最近のコメント