『安堂ロイド』日本SF大賞候補エントリーの波紋
私は去年、SF大賞に一般投票導入が検討された総会で大反対しました(これは日本SF作家クラブの内部のみでの発言なので、外部の方に証拠が示せなくてすんません)。
理由は、そもそもSF大賞はプロがプロの視点で選ぶものという大前提があったればこそのものなので、一般投票の導入でその体質が外圧で変わらざるを得なくなったり、内部からいつの間にか変わっちゃったりしたらそもそものSF大賞の存在意義がなくなるからです。たとえ選考結果に対して「普通の人」が「なんでそんなワケわかんないもの選んだの? もっと人気のある作品、分かりやすい作品があるでしょ? SFの人たちって何考えてんの?」と受け取ろうと、SF者としてのマニアックな視点で選ぶのがSF大賞、なればこそのSF大賞、と信じているからです。マニアックSF者視点こそが、プロのチョイスこそがSF大賞の要。そこが切り崩されて人気投票や本屋大賞等と同じになっちゃったら、コアなSF者にとっても、薄くSFに興味がある大勢の人にとっても、SF大賞の意義自体がなくなるんじゃないんでしょうか?
一般投票の要素を一度でも入れちゃったら、混乱と誤解の温床になるって言ったのに……権力も人脈もへったくれもない私の話なんか、誰も聞いちゃくれませんけどね(やさぐれ)。
こういうことがあっても、大森望さんリジェクト問題の件があっても、それでもまだ私が日本SF作家クラブを離れないのは、↑このエントリでも書いた通り、「団体だからこさできること」があり、私にもまだ貢献できることがあると信じているから。今の状況なら、やめるだけだったら信念も定見もなくてもできるけど、この状況でやめないのはそれなりに信念があるからなだけで。イマドキこういうのはかっこよくも何でもないですけどね。
このTogetterも、だんだん投票の問題じゃなくて「SFギョーカイ」の体質を想定してそれに対する批判になっちゃってる点に関して、正直、一理あるというか、こういうことが言いたくなる気持ちも分かるよと思ってしまうところがあるんですよね。
あちらの葬儀の際、こちらからはけっこうな額の献花をお送りしたんだけど、まあ今年は恨みがあるのかな~、こちらにはメールの一通も寄越さない(SF作家クラブのMLで通知はされてるんだけどね。楽しげなツィートはしているのでネット不在でもない)。一度でも批判されたら敵認定で中傷まき散らす、ちょっとでも気に入らない発言をした相手にはSNSのコメントにも返事しない(こういう人はやっぱりお悔みも無し)。
こういうことが現実に「SFギョーカイ」の内部で起こっている。これ自体は事実であって、どうしようもない。そして私が見た「事実」なんかたかが氷山の一角で、ファンダム時代からの経験が長い人からはもっと恐ろしいことが今でも続いている話を聞く。「事実」がある以上、それが「ギョーカイ」の外にも知られるとは当然ある。その積み重ねで「SFギョーカイ」に対する批判が少しずつマリンスノーのように降り積もって地層になったとしても、私は不思議に思わない。そして、何かきっかけがあれば、目の前で起こっていることのみならず、その背後にある「体質」があげつらわれても、やはり不思議には思わない。
「内部」の体質、決してよくはないですよ。私はSFの中の人たちに言いたい。議論もNGで、イエスマンして無難な仲良しこよしじゃないとダメってこと? 主張も信念も論のぶつけ合いもナシでなにが文筆業だよ。
外部からの批判にさらされるのは、長い目で見たらいいことなんじゃないかと私は思います。私もいまだにファンダム経験ゼロのハンデが克服できないので、この状況から勉強させていただきますよ。プロのくせに作家生命をかけて乱歩賞に応募した時と同様、命がけの覚悟で。来たれ風雲! どんと来い超常現象!
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コメント
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SF大賞、一般投票導入、私も大反対です。
そんなことをしたら、星雲賞と変らなくなってきます。
アメリカのSF界の、ネビュラ賞とヒューゴー賞が、日本ではSF大賞、星雲賞に相当するかと思いますが。今はどうかよく知りませんが、昔は、ネビュラ、ヒューゴー重複が多かったらしいです。
http://homepage2.nifty.com/sfish/seigun/sfm-75.htm
かようなことをすれば、そもそも権威のカケラもなかった星雲賞なみのレベルまで、SF大賞が落ちてしまいます。どうして自分たちの賞をおとしめるようなことをするのでしょうね。
投稿: 雫石鉄也 | 2014年10月28日 (火) 09時43分
一般投票には一般投票の、コアな人チョイスにはコアな人チョイスの意義がそれぞれありますよね~。複数の価値観があることに意義があるのであって、混ぜたらどっちの存在意義もなくなっちゃいます。
「SF大賞における一般投票は『参考意見として』募っているのであって、特定の作品に一般の票が集中しても、それは大賞の行方には反映されない」という大前提ですが、それを「みんな」が理解してくれるとは限らないと思ってました。実際、Toggeterにも「どんなに私たちががんばってたくさん票を入れてもムダってこと? 推薦文書きかけたけど捨てた。何がSF大賞だよバカらしい」みたいな書き込み、多いですよね。今回のような事態になって、なお『安藤ロイド』に賞を出さなかったら、その時の事態って誰がどう収拾するんでしょうか。ますますSFギョーカイに対する反感を深めるだけのような気が。それとも事態の紛糾を恐れて『安藤ロイド』がSF大賞受賞!にしちゃうんでしょうか。
↑こうなったらどうすんの?と総会の時に問題提起しましたが、あんまり相手にされなかったので、それで私は検討委員会に名乗りを挙げなかったんですよね。これ以上主張しても、私がより孤立するだけで、一般投票導入の路線は変わらないと判断したのです。
まあいったんこうなっちゃったら誰が正しいとか何が間違ってるとか言ってもしょうがないので、今回の事態を踏まえて、是非、現路線の撤回を考えてほしいところです。わし、もう疲れた。
投稿: ふみお | 2014年10月28日 (火) 11時38分
あっ、書き直してるうちにこれをペーストするのを忘れてしまいました。↓
ヒューゴー賞、ネビュラ賞の結果がめったやたらと重複してた時代、確かにありましたよね。今でもあるっちゃありますが(もともと知ってたわけじゃなくて今調べたw)。伊藤典夫さんが危惧したこの時期って、何かそうなる理由があったのでしょうか? 私も過去を学ばないとなあ。
投稿: ふみお | 2014年10月28日 (火) 12時33分
高野さんが反対されていることは分かっています。
しかし、いくつエントリーの推薦文が挙がっても作品としてはひとつ、ということは説明されているのですから、こんなに推薦文があるのに安堂ロイドが大賞でないのはおかしい、と言ってくる人が、もしいたとしても取り合う必要はないでしょう。
雫石さんは「一般投票」と書いておられますが、一般の方に投票権はありません。一般の方からも募っているのは「投票対象作品のエントリー」であって、それを元に作家クラブ会員の投票で候補作が決まるというのは従来のとおりです。
作家クラブの見識は、この会員投票の方で発揮されるものと考えています。
投稿: 日下三蔵 | 2014年10月29日 (水) 01時10分
いやもちろんそれは「知って」ますよ私も。ただ、それを理解していない大勢の前でそれを貫き通せるのか、貫き通してネガティブな事態にならないか(今回の「SF大賞なんかケッ」という風潮からSFギョーカイの体質云々に話が行ってしまう等)が問題なんですってば。不特定多数を相手にした時点で、インテリがインテリだけを相手にしているような正論が通じなくなりかねないことは、SF読みには容易に想定できることでは。
そもそも、そんな一般から意見を募ること自体が果たして必要なことなのかどうか、と私は総会でも言いましたよね? 賛成派は「候補リストにとりこぼしがないように」と言っていました。しかし、作家クラブ内でプロから意見を募った時に取りこぼされるような作品をリストに入れたところで、そんな誰の記憶にも残らないような作品が大賞の候補になりまっか? 対象ジャンルが広すぎ、対象作品が多すぎることによって「隠れた名作」をとりこぼさないことを目的とするならば、「SFが読みたい!」のアンケートに答える層やファン交に協力を求めるほうが上策だと私は思っています。少なくとも、不特定多数に意見を求める必要はないと思うことです。メリットよりデメリットの方が大きすぎます。
不特定多数の破壊力を侮ったらいかん。パルパティンの演説に「多数」がなびいた時、ジェダイ騎士団は無力ですぞ。
投稿: ふみお | 2014年10月31日 (金) 20時16分
考えるのが遅いんで、いつも後からコメント付け足してすみません。
さすがに今回はそこまでは無い……と信じたいですけど、結果によっては「大勢」からSF大賞の悪口を言われる→スポンサーの気持ちが離れる、なんてことも考えます。もちろん「それなら結構! SF大賞はSF大賞の方針を貫いて、滅亡するならそれまでだ!」と啖呵を切れればよいですが。
でも、絶対に必要なことをし、志を貫いて死すならばそれでいいですが、いらんことして攻撃されて滅亡or方針がブレる、とかだったらやだな……
投稿: ふみお | 2014年10月31日 (金) 20時31分
最近だと津原さんの「バレエ・メカニック」が候補にすらならなかったのはチョンボだと思います。>取りこぼし 数人の委員からの推薦だけで投票作リストを作る限界を感じました。
投稿: 日下三蔵 | 2014年11月 1日 (土) 04時06分
だから~、そういうのはファン交とか有識者に、あくまでも「リスト作成協力」のお願をするのでええやん。その件はこの体制で防げたのではなかろうか
投稿: ふみお | 2014年11月 2日 (日) 00時26分
いや、どこまでの体制なら磐石かなんて分かりっこないと思いません? ぶっちゃけ私も委員になるまでは星敬さんのリストを元に水も漏らさぬ体制が組まれているとなんとなく想像していました。牧さんとか門倉さんとか、委員の皆さんのひとりひとりは非常に信頼している目利きの方ばかりでしたし。でもカバーし切れなかったわけですよ。
投稿: 日下三蔵 | 2014年11月 2日 (日) 01時06分
でも少なくとも「SF大賞とは何か」を知っている人たちの間でリスト作るべきだと思うんですよね~。私のような、忘れられもせず、候補作非公開の時代から何度か候補にも挙がったけど、でも受賞したためしがない人間からすると、せめてSF大賞に対して敬意のある方々の間でものごとが進んでそういう結果になったのだから、と受け入れられもしますが、たまたま首突っ込んできた人たちが少しでも関わっているのかと思うと、あまりいい気持ちはしませんでございます。
投稿: ふみお | 2014年11月 3日 (月) 23時55分