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2014年10月27日 (月)

『安堂ロイド』日本SF大賞候補エントリーの波紋

『安堂ロイド』日本SF大賞候補エントリーの波紋

私は去年、SF大賞に一般投票導入が検討された総会で大反対しました(これは日本SF作家クラブの内部のみでの発言なので、外部の方に証拠が示せなくてすんません)。

理由は、そもそもSF大賞はプロがプロの視点で選ぶものという大前提があったればこそのものなので、一般投票の導入でその体質が外圧で変わらざるを得なくなったり、内部からいつの間にか変わっちゃったりしたらそもそものSF大賞の存在意義がなくなるからです。たとえ選考結果に対して「普通の人」が「なんでそんなワケわかんないもの選んだの? もっと人気のある作品、分かりやすい作品があるでしょ? SFの人たちって何考えてんの?」と受け取ろうと、SF者としてのマニアックな視点で選ぶのがSF大賞、なればこそのSF大賞、と信じているからです。マニアックSF者視点こそが、プロのチョイスこそがSF大賞の要。そこが切り崩されて人気投票や本屋大賞等と同じになっちゃったら、コアなSF者にとっても、薄くSFに興味がある大勢の人にとっても、SF大賞の意義自体がなくなるんじゃないんでしょうか?

一般投票の要素を一度でも入れちゃったら、混乱と誤解の温床になるって言ったのに……権力も人脈もへったくれもない私の話なんか、誰も聞いちゃくれませんけどね(やさぐれ)。

こういうことがあっても、大森望さんリジェクト問題の件があっても、それでもまだ私が日本SF作家クラブを離れないのは、↑このエントリでも書いた通り、「団体だからこさできること」があり、私にもまだ貢献できることがあると信じているから。今の状況なら、やめるだけだったら信念も定見もなくてもできるけど、この状況でやめないのはそれなりに信念があるからなだけで。イマドキこういうのはかっこよくも何でもないですけどね。

このTogetterも、だんだん投票の問題じゃなくて「SFギョーカイ」の体質を想定してそれに対する批判になっちゃってる点に関して、正直、一理あるというか、こういうことが言いたくなる気持ちも分かるよと思ってしまうところがあるんですよね。

あちらの葬儀の際、こちらからはけっこうな額の献花をお送りしたんだけど、まあ今年は恨みがあるのかな~、こちらにはメールの一通も寄越さない(SF作家クラブのMLで通知はされてるんだけどね。楽しげなツィートはしているのでネット不在でもない)。一度でも批判されたら敵認定で中傷まき散らす、ちょっとでも気に入らない発言をした相手にはSNSのコメントにも返事しない(こういう人はやっぱりお悔みも無し)。

こういうことが現実に「SFギョーカイ」の内部で起こっている。これ自体は事実であって、どうしようもない。そして私が見た「事実」なんかたかが氷山の一角で、ファンダム時代からの経験が長い人からはもっと恐ろしいことが今でも続いている話を聞く。「事実」がある以上、それが「ギョーカイ」の外にも知られるとは当然ある。その積み重ねで「SFギョーカイ」に対する批判が少しずつマリンスノーのように降り積もって地層になったとしても、私は不思議に思わない。そして、何かきっかけがあれば、目の前で起こっていることのみならず、その背後にある「体質」があげつらわれても、やはり不思議には思わない。

「内部」の体質、決してよくはないですよ。私はSFの中の人たちに言いたい。議論もNGで、イエスマンして無難な仲良しこよしじゃないとダメってこと? 主張も信念も論のぶつけ合いもナシでなにが文筆業だよ。

外部からの批判にさらされるのは、長い目で見たらいいことなんじゃないかと私は思います。私もいまだにファンダム経験ゼロのハンデが克服できないので、この状況から勉強させていただきますよ。プロのくせに作家生命をかけて乱歩賞に応募した時と同様、命がけの覚悟で。来たれ風雲! どんと来い超常現象!

2014年10月24日 (金)

母が亡くなりました

去る10月15日、母が老衰で亡くなりました。享年84歳。親戚の医者(平野国美:このヒトhttp://www.amazon.co.jp/gp/product/B009T7ML34?btkr=1)がやってる老人ホーム「グランヒルズ阿見」で、眠るように静かに旅立ちました。

うちは平野の影響がなかった頃から、親戚一族郎党、苦しい延命治療をしてまで生きたくない、もうその時となったらできるだけラクにさくっと逝きたいと思っている者ばかりで、母の時も、本人の希望に従って、15日の朝に意識がなく脈が取れないくらい血圧が低下した時点で、そのまま見守る方針にして、16時5分に死亡の確定診断となりました。

7月に体調を崩した時から、祖母が亡くなった時と似たような経過をたどっていたので、まあ今月中かな、とは思っていました。火葬場待ちで19日通夜、20日葬儀で、本人の希望により(生前から予約していた)家族葬としました。ので、献花、お供物などのご心配は無用にございます。

ま~母より高齢な親父も数年内だな~とは思っております。正直母抜きで親父の相手すんのはメンドウなのですが、ま~しゃ~ないっすね。

それにしても葬式ってのは小規模にやってもカネかかりますな~。もっとも、そのくらい出さないと、遺体の保管設備の維持管理とか納棺師の人件費とか出ないよね~。

ちうことで、夏の間完全停止した執筆、いろいろ断っちゃった仕事も、何とか挽回しないとな~。

まあそれなりに覚悟はできていたし、国美センセイの方針のおかげで波乱もミニマムに済みました。感情面についての情報を修辞しつつ語っちゃうのがたいへん苦手なのでこれにて御免。すくなくとも取り乱したりものすごく落ち込んでいたりはしないのでご心配なく~。
というわけですので、生前ひとかたならぬご厚意、朝からぬご縁をいただいた皆様、 本当にありがとうございました

2014年10月10日 (金)

ハルキストはノーベル文学賞の夢を見るか?

仏作家にノーベル文学賞=パトリック・モディアノ氏

 【ロンドン時事】スウェーデン・アカデミーは9日、2014年のノーベル文学賞をフランスの作家パトリック・モディアノ氏(69)に授与すると発表した。授賞理由は「把握し難い人間の運命を再現し、占領下の生活を描いた記憶の芸術」を創造した点。村上春樹さんは受賞を逃した。

まあいいじゃないですか。私はノーベル文学賞を取るかどうかというのはさほど重要なことではないと思っている。というか、文学を「役に立つもの」に分類して賞をあげちゃうよっていうノーベル賞の姿勢そのものが気に入らない。文学なんてものは役に立たない。役に立たないけど、どうしても人類の間からその存在を消すことができない。だからこそ意義があるのであって、「役に立つ」って分類されること自体になんか文学に対する侮辱を薄く感じるのは私だけですか?

私は村上春樹作品を語らない。称賛もしない。かといって、嫌っているとか悪口を言うことがカッコイイと思ってる人たちの一員でもない。だったら何故、どれを読んだのかさえ人に知られないようにしているのかというと、私は村上作品そのものじゃなくて、村上春樹を我勝ちに語りたがる人たちが好きじゃないからだ。

村上作品を称賛する人がキライ、ってことじゃないので誤解のないよう念のため。「ことさらに、我勝ちに語りたがる人」がイヤなのよ。

本当に好きで好きでたまらず、気がついたら熱く語っちゃってたよ(赤面)、なんていうのなら大いによろしいと思う。だけど、エヴァンゲリオンや村上作品って、「作品を語ることによって自分を表現すしたい人、作品を語ってる自分にうっとりする人」が多すぎないか? 何故か村上作品を語ることによって、それを語っちゃってる自分もムラカミオーラや権威をまとい、自分もその価値を身につけたかのような態度になっちゃう人。

そもそも、「小説を語ること、評すること」によって、その作品自体を語るのではなく、自分を語っちゃってる人、自分を表現したい人って、ネット書評の増加とともにどんどん増えしまっている。評論における自己表現って、自我を捨てる勢いでその作品を分析し語ることによって、結果として無意識的な自分が表現されてしまいました、という形で実現されるべきものであって、自分を表現したい人がツールとして使うべきものではないはず。しかしエヴァや村上作品は、作品の性質の故に、他人の才能に寄りかかって自分を表現した気になりたい人たちが群がって来やすい。そういう作品を評する時は、この変な群衆心理みたいなものに巻き込まれずに、距離を置いて観察することをまず心がけないと、作品そのものを見る目も曇ってしまいかねない。

まあこの手の寄りかかり自己表現の語り手に一番メイワクしているのは、本当に村上作品を愛している人たちだろうから、私ごときがごちゃごちゃ言うのはもうやめよう。

いずれにしても、私は「ノーベル文学賞を取るかどうか」自体はさほど重要なことだと思っていない。真のハルキストの皆様、キニスンナ。あれもこれも。

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