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2013年11月 2日 (土)

露文学会プレシンポ「すべての言葉は翻訳である」と、現代露文翻訳に感じた重大な問題点

11月1日、銀杏のニオイ漂う東京大学本郷キャンパス(でも近年、昔よりニオイは減った気がする)に、日本ロシア文学会2013年度第63回定例総会・研究発表会プレシンポジウム 「すべての言葉は翻訳である  ——現代ロシア文学 翻訳の最前線から—— 」を聴講しに行きました。

20131101写真は左から

中村唯史(山形大学。ヴィクトル・ペレーヴィン等)
松下隆志(北海道大学大学院。ウラジーミル・ソローキン等)
奈倉有里(東京大学大学院。ミハイル・シーシキン等)
高柳聡子(早稲田大学。タチヤーナ・トルスタヤ等)
上田洋子(早稲田大学他。ジギズムンド・クルジジャノフスキイ等)
毛利公美(一橋大学他。グリゴリー・オステル等)
坂庭淳史(早稲田大学。アルセーニ・タルコフスキー等)
前田和泉(東京外国語大学。リュドミラ・ウリツカヤ等)
司会・コーディネーター:沼野恭子(東京外国語大学。リュドミラ・ペトルシェフスカヤ『私のいた場所』等)

また写真には写ってませんが、この他に、コメンテーターとして乗松亨平(東京大学)、ゲストコメンテーターに松永美穂(早稲田大学・ドイツ文学) の各氏が参加。その他、出版社のそっち方面担当者からのコメントがありました。

内容は……まあこの人数をみていただければ想像はつくかと思いますが、自分の翻訳した作家の紹介と朗読少々を持ち時間一人10分ほどでするのが限界で、討論や質疑応答まではできなかったんですが、内容は一般読者向けに徹していて、ここで取り上げられた作品を一冊でも読んだことのある読者、あるいはちょっと現代ロシア文学に興味を持ちつつある未来の読者にとっては、非常に興味深くてお得感ある内容であったと思います。

ただ、歴史学の人間として、そして現役の作家としては、どうしても気になる点がある。ここで取り上げられた作家の全員が、何らかの形で「反体制派」という看板をゲットできた「勝ち組」であること。唯一の例外はオステルだが、彼は児童文学の作家であり、ソ連や現代ロシアに共通する社会問題については、やんわりと「ユーモア」で済む扱いをしている。基本的に今、日本で紹介されるためには「ソ連時代は反体制派で不遇でした」的な衣装をまとっているか、ソ連崩壊以降に本格的に創作を始めた作家でないと紹介されないってこと。

私は自分のロシア編アンソロジーにはソ連時代に社会的に認められていた作家も入れるつもりでいる(一編は井上と翻訳中)。本当に時代に関わらず文学としての価値を持つ作品は、たとえ政治体制が変わっても読まれ続けているし、これからもそうであるべきではなかろうか。フランス革命で王制が倒されてもラシーヌは読み継がれているわけだし、日本文学でも三島由紀夫なんていうアレな人がちゃんと評価され続けているわけでしょ? ロシア文学に関しても、ソ連崩壊後にロープシンやショーロホフの価値の引き下げをしないのなら、他の革命派、体制派の作家に対してもそれはされないはず。なのに何故、ソ連崩壊時に政治的な立場を失った才能ある作家を評価したり、再発見したりしようとしないのか? ある編集者は「確かに、『反体制派』みたいな『つかみ』がないと(商品としては)売りにくい」と正直に認めていたけれど、ってことは、翻訳する露文の人たちも、純粋に作品本位で翻訳する作品を選んでいるとは限らなくて、「商売としての成功」あるいは「自分の業績としての成功」を優先した作品選び、作家選びになっていないだろうか? 絶対にそうなっていないと最後の審判の時、堂々と言えますか?

本当作品本位で選んでいるのなら、「ソ連崩壊で失脚して今は忘れられた作家になってしまったけれど、作品自体は非常に優れている」という作家の再発見的な翻訳だってあるはずなのに、それがまったく無い。それって犯体制派レッテルゲットな「勝ち組」でない作家、作品を弾圧していないだろうか? それって検閲があったソ連時代と、結果としては同じことをやってないだろうか?

当のロシアではソ連的なものをひきずった芸術に対して、もしかしたら今でもわだかまりはあるかもしれない。評価しにくい雰囲気もあるかもしれない。しかし、だからこそ、それがない我々外国の者たちが真に作品本位で体制派、反体制派関係なく評価すべきではないのだろうか。

ロシアの作品がコンスタントに紹介されるのはいいことだが、どうも「現代露文翻訳、充実してきてる~note」と単純に喜んでいいのかどうか、露文の中の人は今一度よぉ~く考えてほしいことです。

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