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2013年8月25日 (日)

(今さらですが)『はだしのゲン』閉架問題について思う

はだしのゲン:閲覧制限 鳥取市立中央図書館、開架に移動 /鳥取

漫画「はだしのゲン」が図書館で閲覧制限されている問題で、事務室に別置きしていた鳥取市立中央図書館は22日、ゲンを一般書コーナーにあるコミックコーナーに移した。

 同図書館によると、市民などから問い合わせが相次いだため、29日に予定していた職員会議を21日に急きょ開催。「市民の自由な論議の基になる材料を提供するのが図書館の役目」(西尾肇館長)などの理由から、コミックコーナーに置くことに決めた。22日現在、同図書館が保管するゲン5セットは全て貸し出されており、予約も入っているという。

正直、松江市の小学校で閉架に移動したというニュースが流れた時はさほど衝撃でもなかった。むしろ「ガッコなんてそんなもんだよな」と思った。ていうかもっと正直に言うと、今って学校図書室に漫画置いてあるんだ!っていうほうが衝撃だった罠(笑)。だって私が子供の頃(70~80年代)って、内容のいかんにかかわらず「学校図書館に漫画なんてとんでもない! もってのほか! 論外!」という時代だったからなあ。子供のいる世帯では知ってたことかもしれないけど、私は初めて知りました……。当時は学研の学習漫画シリーズが(宇宙とか人体とか)が巻末で必死に「漫画の学習的効用」みたいなことを訴えてたなあ。そうかあ、今は内容いかんでは図書室に漫画置くんだ……そうか……そうなのか……

と、まずそちらに一通り驚いたところで、『はだしのゲン』閉架問題について考える。前述の時代を生きてきたせいか、やはり学校で『はだしのゲン』を閉架にすることはさほど驚きではない。まあ確かにトラウマ漫画№1ですからねえ。暴力描写がどうこうというだけではなく、何しろ自分たちの親よりちょっと上の世代にこういう時代があった、日本にこういう歴史があったという事実自体が大衝撃なわけですから。

しかし70年代にはまだ上野公園や土浦駅前にも物乞いの傷痍軍人がいて(そして何割かはニセモノの悪い人たち)、親より年上の親戚はインパール作戦の生き残りだったりするので、2010年代に比べたら太平洋戦争は圧倒的な現実感を持っていた。70年代は藤圭子や和田アキ子が二十歳にならないうちに夜の酒場の歌を歌って始まり、指詰めや日本刀で切り合いのヤクザ映画も子供が見る時間に普通に放送し、少年漫画では不良が河原で集団決闘して血反吐吐いたり目玉が眼窩からはみ出してたりした時代。今考えるとワイルドというか、なんかもうむちゃくちゃというか、子供も結構えげつない暴力描写にさらされていた時代だった。『はだしのゲン』も、そういう時代背景があってこそ連載、発行できたのだろうと思う。今だったら、反戦や原爆の事実を伝える意義がどれほどあろうとも、そもそも連載できないだろうなあ。私が編集者で、今この漫画を持ってこられたら「さすがにこれはどうかと思う」と言わざるを得ない。これを出版する!と意気を見せる他社さん探しに走るとか、私家版として何とかできないかとか水面下では協力するかもしれないけど、オモテの商業出版としては無理と判断せざるを得ない。

同様に、現代の学校としては、閉架処置も「さもありなん」と思う。学校というのはそもそも、全てを期待し得る万能の存在ではない。むしろ昔から「教育上好ましくない」という理由で情報制限をかけるのが当たり前だった。閉架処置のニュースにすごく怒ってる人を見ると、私なんかはむしろ「ガッコに何を期待してるんだ?!」と疑問に思ってしまう。自分が子供だった頃を思い出してみるといい。学校がダメといったものを学校の外で摂取して、それで育ってきたのではないだろうか。むしろそれで、学校がすべてじゃないことを覚え、学校で嫌なことがあっても「学校の外の自分の世界」でバランスを取っていなかっただろうか? 

学校がギデオン・フェル博士の密室の定義を教えてくれるわけではない。学校が小学生のうちからスラングが入ったネイティブ発音の外タレロックを聴かせてくれるわけでもない。鉄道写真のカッコイイ撮り方やオンナの集団の中での身の処し方、銀行業界の中での出世の心得を教授してくれるわけでもない。生きてゆく上での支えになるものなんて、学校から得られただろうか? 生徒も先生も保護者も、学校はあくまでも、教科を教えて集団生活+αを体験させる程度のものだと思っといたほうがいいのではないだろうかと私は思っている。

そんな学校で閲覧制限が敷かれるのなんて、特に期待外れでもなんでもない。むしろ、学校の外で「学校では推奨されていないもの」と接する機会があり、学校の迂回路になる大人が存在することのほうがよほど重要じゃないだろうか。

そういう意味で、私は学校での閲覧制限より、上記に引用したような公立図書館での閲覧制限・閉架処置の有無ほうがよほど重要な問題であると考える。なので、学校での閉架処置の始まった今こそ開架に出してきた鳥取私立中央図書館を支持したい。こういう「迂回路」こそが重要なのだ。

「子供でも読みたいのなら司書に申し出ればよい」と考える向きもあるだろうが、子供の頃って、意志的に閉架から出してもらって閲覧するかどうかより、「開架書架や本屋の棚を何となくブラウズしててたまたま出会ってしまったもの」ってのがものすごく重要な意味を持つ。大人を介さない、本との密やかな邂逅というかさ。今考えたら別に「いけない本」でも何でもないものでも、何となく大人に読んでいることを知られたくない本って、ありませんでしたか? しかも、そういう本に限ってのちのち人生に重要な意義を持ってきたり。私も、読書に大人が介入してたらミステリとかSFを読むのって、人生にとってもっとも重要な時期を外してしまってかもしれない。

そういう出会いが学校の中になくても、そんなに問題でもないような気がするのだ。むしろ、子供たちにとって学校が世界の全てになってしまわないよう、「学校の外にも求めるものがある」という習慣を作るため、学校ってこのくらい不自由でもいいんじゃないかと思ったり。しかし、公立の図書館がそうした不自由な学校図書館に倣うのは全く別問題。ただし、しかし、『はだしのゲン』閉架問題について「図書館の自由に関する宣言」を持ち出してあれこれ言っている人の中には、「閉架収蔵=閲覧の自由を冒している」ではないことを理解していない人もいるように見受けられる。図書館ってのはそれなりの規模になってくると、収蔵書籍の内容のいかんに関わらず全部開架にしてたら維持できないんだけど、図書館というもの自体に慣れ親しんでいない人はけっこうそれ分かってないよね。普段書籍や図書館に関心がないのに、我に正義ありとばかりに「自由」とか言われてもなあ。そういう、ただ何かを糾弾していい気分を味わいたい人と、本当に問題を考えたい人とがまるで同じ土俵にいるように見えてしまうところがネットの弱点か。

まあそもそも「図書館の自由に関する宣言」というもの自体、書籍の性善説とでもいうべきものの上にしか成り立たない机上の空論であると考えられるので、私はこれをもとに図書館のあり方を論じるつもりは全くないです。

私は図書館学や教育論の専門家ではないので、図書館や教育の根幹についてまでは論じる気はないけど、この問題について言いたいことはただ一つ、「学校が全てを提供してくれると思うな。学校を世界のすべてにするな。学校の外にも何かを求める習慣を身につけろ」ってことでしょうか。学校で講演する時も平然とコレ言いますよ、私は。そのうち学校からの講演依頼なくなったりして(笑)。

そういや私は中学生の頃に角川文庫の『怪奇と幻想』シリーズを愛読してて、親や教師にものすごく問題視されたけど、まあ、確かに、見ての通りろくな大人に育ちませんでしたねえ(笑)。ちなみにこれは友人のお母さんがやってた私設図書館で借りたもの。21世紀になってから古本者の友人たちの助けを借りて全巻ゲットしました。

2013年8月14日 (水)

『風立ちぬ』関係さらに

これはひどい。

「風立ちぬ」の喫煙描写に苦言、日本禁煙学会がスタジオジブリに要望。

日本禁煙学会は8月12日、現在公開中のスタジオジブリ最新作「風立ちぬ」におけるタバコの描写について“苦言”を呈し、公式サイトに要望文を掲載した。

「映画『風立ちぬ』なかでのタバコの描写について苦言があります」から始まる要望文は、まず、「現在、我が国を含む177か国以上が批准している『タバコ規制枠組み条約』の13条であらゆるメディアによるタバコ広告・宣伝を禁止しています」と、昨今、世界におけるタバコを取り巻く状況を説明した上で、「この条項を順守すると、この作品は条約違反ということになります」と指摘した。

こういうところにまで「狩り」が及んできたか。私はこの点に関しては、嫌な顔する人はいるだろうけど、時代の雰囲気がものすごくよく出てて、英断だと思っていた。たばこって、絵的にはやっぱりかっこいいしね。

しかしこの分じゃ、猟奇殺人や過剰ないじめや異常性欲は存在しても、飲酒や喫煙、差別用語は存在しない世界を描かなきゃならなくなるな。

シャーロック・ホームズやマッカーサーがパイプをくわえられなくなる時代も近い。世も末だなあ。

2013年8月11日 (日)

『風立ちぬ』を見てきた

いや、締め切りが~!とかあるのは重々承知でございますが、エッセイに求められるネタがどんどんかぶってきて、ちょっと整理するのにリセットしないと……とかいろいろ言い訳。けれど外は実測値38℃。体感温度は……知らない。いや、知りたくない……。この超くそ暑い中、諸般の事情によって六本木に。一人だったら行く気力なかったわ~。夫にしがみついてどうにか外出。

正直『風立ちぬ』は宮崎アニメの中では駄作に入るであろう。というか、映画としても厳しく言ったら駄作の範疇に入るか。正直、長かった……。映画をこんなに長く感じたのは久しぶりだ。

夢の中の出会いや自然の描写はすごくいい。けど、人物が書き割りのようだ。お上手な泣かせる系シチュエーションにうるっとくるところはあるものの、どこをとっても心の芯に手ごたえを感じない。書き割り。主人公はさしたる苦労もなく(少なくとも描かれず)たいした挫折もなく、かっこよく活躍して抜擢されて愛されて誰にも嫌われず次から次へと成果をあげて夢を叶える。登場人物たちが「人間として」の質感をもって感じられるのは、二郎と菜穂子の短い結婚生活のくだりだけ。どちらかというとこの二人より、黒川夫妻のほうが人間らしく感じるけど。

しかし、ゼロ戦作っといてパイロットたちが無駄死にして原爆落とされた後であるはずのラストシーンがあんなんでいいのかなあ。人の心って、何が起こってもそんなに強くてさわやかでいられるものなのだろうか。あんな涼しい顔で「一機も戻って来ませんでしたけどね」とか微笑まれてもなあ。サイコパスかよ。三週間前に原爆ドーム見てきただけに、なんか腹立つわ。戦争や戦後を描くのが面倒くさいから、手慣れた夢の場面で終わらせちゃったのだろうか。

あと、避暑地のあたりからかな、画質が変わるのも気になる(後半のほうがいい)。最初は何か意図があるのかと思ってたけど、そうでもないようだし……。なんか技術的な問題なのだろうか。

黒川夫人に「愛する人にきれいなところだけを見せていったのね」というセリフがあるが、これ、まんまこの映画に返すわ。ほんと、上手い具合にきれいなとこだけ見せていったね。ヴェネチアもだまくらかせるといいですね。

もっとも、人間の苦悩や世の悲劇を描く映画や小説、漫画はたくさんあるが、苦悩とか悲惨さなんか描かないで、人間は書き割りでいい、夢と自然と飛行機だけきれいに描ければいいんだ、という逆転の発想だったりして、とちょっと思わんでもない。それだったらスゴイと思う。めちゃめちゃ新機軸で、映画百有余年の常識を根底から覆す画期的な作品と言えるかもしれない。

ボロカスに言ったが、私はジブリ作品には水準以上のものを期待しているからこそそう言うのだ。今回はなんかおかしいよ。何のデムパを浴びちゃったんだ。まあ、長い歴史の中にはこういうこともあるのかもしれない。

宮崎くん、まだ風は吹いているかね?

六本木は38℃くらいあって、ほぼ無風でした(笑)。

2013年8月 6日 (火)

大地震の予言 これは大当たり!

またなんか「明日、大地震が来る!」系の話がネットで盛り上がっているようで。

もともとはアメリカの予言者が「7月から10月にかけて東京で大地震があり、未曽有のカタストロフ」というようなこと言ったのが発端だったらしい。

で、私は思うんですが……

それって、これを幻視したんじゃなかろうか。

震源地も期間も合ってるw 未曽有のカタストロフも合ってるw 

2013年8月 2日 (金)

「とくダネ!」で言及された「わかさぎスイーツ」

今朝の「とくダネ!」で小倉智明が言ってたわかさぎスイーツのお店はココ→

土浦 高月堂

番組の中でお店の名前は言ってなかったけど、ああ、あそこだろうな、と思っていたら、妹によると別な番組でわかさぎスイーツはすでに紹介されているのだそうだ。

高月堂は、アンリ・シャルパンティエやラデュレのパリ本店に慣れちゃったような人がなんて言うかは知らないけど、「地元の名店」という感じで、美味しいですよん。ブランデーケーキは相変わらず三か月待ちか……。来年のSF大会に出店してくれないかなあ。

【52thSF大会&2nd国際SFシンポジウム】無事終了しました

201307271ご報告が遅くなりましたが、第52回日本SF大会こいこん第2回国際SFシンポジウム、どちらも無事終了いたしました。SF大会はものすごくギリギリでエントリした上、ほぼゲリラ的にサイン会をやったりして、全然告知が行き届いていなくてすみませんでした。まああんなサイン会誰も来ないやろなと思いましたけど、それでも来て下さる方が何人もいてありがたかったです。相変わらずデザイン性のないサインでごめんね(笑)。

SF大会のパーティでのじゃんけんプレゼントでは、私が参加者全員に勝ってしまって当選者が決まらないこと数回(笑)。ああ……この手の企画、自分が応募する側としてじゃんけんに参加する時は二回戦以上に勝ち進んだことないのに……。このくらいの無心さでサマージャンボ最終日に挑む所存でございます(絶対ムリ)。

今回はちょっとバックレて宮島に行ったり、「陸上自衛隊 13旅団見学とミリめし」ツアーで激重の実戦用防弾チョッキや暗視装置をつけさせてもらったり(暗視装置まじスゴイ!)、なんかSF大会以外のネタが多くて、レポートとしては全然成り立たないなあ。ううむ。来年こそは『収容所惑星』第二部紹介の企画をやってレポートに値するくらいちゃんと参加したいですね。来年、地元だしね。

国際SFシンポジウムのほうは、私は大阪大会と名古屋大会の様子は知らないのですが、少なくとも広島大会と東京大会はイベントしては成功であったかと思います。まあシンポジウムというよりは顔見世的というか、白波五人男の名乗り的なお祭りではあったかと思いますが。東京大会の後に思ったこととしては、沼野充義、増田まもる、呉岩、ドゥニ・タヤンディエールに今回出席できなかったポーランドのミハウ・ストゥドニャレクと私を加えて、「SF翻訳の現状と底から見えてくる問題」に特化してガチンコのシンポジウムをやってみたいなあ、ということ。私も翻訳の現状(外国→日本、日本→外国の両面に関して)はもっともっとネタがあるのだ。東京大会では第一部も第二部も全然「論」と呼べるものは何も聴き手に提供できなかったので、不完全燃焼この上ないのであった。

もっとも、問題点も将来の展望も、今回まずは実際にやってみたからこそ見えてきたのだから、いかに顔見世的お祭りとはいえ、やってよかったのだと思っています。完璧じゃなきゃやってもしょうがないと考えのは愚かなことで、完璧では無いかもしれないけど、今できることをまずは実際にやってみないとね。

上の写真はフェアウェル・パーティでパット・マーフィさんと。パットに「猫手~! 猫手~!」と言われて慌てて猫手する(笑)。彼女は男前だし妙に「女の魅力」もあってステキだったなあ。腰痛を押して自腹でビジネスクラスにアップグレードしてまで日本に来てくれたパオロ・バチガルピさん、どのセッションもきっちり準備して挑んでくれた呉岩さん、ゲストなのに通訳としても働いてくれたドゥニ・タヤンディエールさん、日本の諸先生方、ありがとうございました。そして独裁者にして下僕の巽孝之先生、いろんな意味怨んでないこともないんだけど感謝します。微妙な言い方だな(笑)。

来年のSF大会はつくばだよ~。「なつこん」、綴りはNutsconだそうです。何がnutsなんだ…………………………あ、もしかして、いや、もしかしなくても、ナットウズ・コンヴェンションなのか……coldsweats01 ううsweat02 

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