グローバル人材「無理」…高校・大学生の半数超
国際的に活躍する「グローバル人材」の育成が急務とされる中、学習塾などが全国の大学生や高校生、保護者約1000人に行ったアンケート調査で、大学生の半数以上が「自分はもうグローバル人材になれない」と諦めていると回答した。
調査は3月、海外進学を目指す小中高生向けの学習塾「IGS」(東京)などがインターネットで実施。全国の高校2年生・大学3年生(当時)の男女412人と、小学校から高校までの児童・生徒の保護者618人が回答した。「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」と感じている割合は、高校生で50%、大学生で55%だった。保護者も24%が「我が子は手遅れ」と諦めていた。
「将来、グローバルに活躍したい」という大学生は3割、高校生も4割にとどまり、内向き志向や語学力への自信のなさがうかがわれる。海外展開する企業への就職を希望しない学生・生徒に理由を尋ねたところ「他の国の人とのコミュニケーションが不安」「日本にいられなくなりそう」などの回答が上位を占めた。
(2013年6月9日09時48分 読売新聞)
いや、学生たちのこの気持ちは当然だと思う。「今の日本の学生がグローバルに活躍できないのは当然」という意味ではない。「教育する側が持っている『グローバル人材』のイメージが偏っているので、そんなのなれねえよ、と学生たちが思っても不思議ではなかろう」という意味。
「グローバル人材」という言葉を使いたがる人たちが持っているそのイメージって、「英語がネイティヴ並みで、はっきりと意見を言い、ディベートになれば相手を言いくるめ、交渉に長け、それでいてユーモアがあって社交的、パーティではそつなく振る舞える」みたいなのよね。しかし、私が知る限り、本当に国際的に評価されてる人って、そういう「いかにもグローバル」じゃないタイプばかりだ。どこの国でも。確かに語学が得意というのは有利だけど、「いかにもグローバル」な性格とか振る舞いのすべてが必要なわけじゃないと思う。むしろみんな、その国らしい欠点や個々人の不得意を抱えながら、非グローバルだけど自分にできることを徹底しているという人のほうが活躍している気がする。メディアに登場する人たちを見ててもそう。果たしてノーベル賞を取っている日本人科学者はみんながみんな「いかにもグローバル人材」か? インタビューで「チームメイトへの『恩返し』」とか日本語で言っちゃうイチローは「いかにもグローバル人材」か? 村上春樹や外尾悦郎は「いかにもグローバル人材」か? むしろ、いかにも日本的でありつつも志があって世界に食い込んでゆき、「いや~大変ですわ」とか言いつつやっぱり日本的な人のほうが活躍してないだろうか?
本当に能力を世界で活かせる人材を育成したいのなら、教育者は偏ったグローバル人材像に学生たちがはまるにはどうしたらいいかを考えるんじゃなくて、グローバルな人材とはどういうものかを気にしないで能力を発揮できる学生を育成すべきじゃないだろうか。個々人が必要に応じて環境に適応したり学習したりすればいいんだし。
そういや私も東欧アンソロジーを出版した後に会った人たちに、陰でけっこうガッカリされてたようだ。私を、世界中を飛び回る颯爽としたビジネスウーマンみたいなイメージで勝手に想像していた人は少なくないようで 交流の少ない東欧十カ国から作品を集め、外国語であちらの作家やエージェントと交渉し、日本の専門家たちと折衝し、出版社と企画をすすめ……たのは事実としても、作業の9割は板橋区の六畳間でパソコンに向かってただけですから(笑)。そのために出かけたことはあったけど、全部都内ですから(笑)。外国の大使とか文化担当官といろいろ交渉しましたけど、全部日本語ですから(<ヲイ)。トラブルの9割は担当編集者との間で起こったし、あとの1割もちょっと横から口を挟んできたアメリカ人(日本在住)とで、解決は全て日本語。英語で通信できない人とやり取りする時は、日本の専門家に頼る、と。ま、そりゃガッカリもされるだろうよという気もしないではないが、しかし、「グローバル」の実態って案外こんなだし、それでいいと私は思うのですよね。
とはいえ、「いかにもグローバル人材」が企業のトップとか政府とか外務省にいたら有利なのは事実なので、そういう人が出てきた時に「出る杭は打たれる」にならないような世の中でなければならないでしょうね。大学生の3割が「グローバルに活躍したい」と思ってるんだったら充分では? ていうか、大学生の3割がそう思っているというのは「いいニュース」じゃないの? なんでこれが悲観的なトーンで扱われてるの? こういうところでダメな意味での日本ぽさを出すなよマスコミ、と思うけど。
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