ミステリとしての『カラマーゾフの兄弟』 スメルジャコフは犯人か?
以前から何度か漠然と予告してました『カラ兄』論の小論文を上梓いたします。
高野史緒 『ミステリとしての『カラマーゾフの兄弟』 スメルジャコフは犯人か?』 (東洋書店 ユーラシアブックレット№181)
序 ドストエフスキーからの「読者への挑戦状」
1 犯罪小説家としてのドストエフスキー
2 フョードル・カラマーゾフ殺人事件
3 あの日、何が起こったのか?
4 供述、証言と現場が一致しない?!
5 サイコパスとしてのスメルジャコフと三千ルーブルの謎
結び 江戸川乱歩の目で読み返すドストエフスキー
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、これまでその人間を深く描出す文学性の面からのみ評価され、小説としての構成の厳密さが注目されることはなかった。しかし、フョードル・カラマーゾフ殺人事件をめぐる非常に多数の登場人物の動きは、タイムテーブルにしても全く狂いのないほど高度に構築されたもので、その点はほとんど現代のミステリ作品と比べても遜色がない。ドストエフスキーが本書を出版して以来、130年間どんな研究者も気づかなかった重要点を発見し、作品解釈の鍵と幻の第二部への手がかりを探る。殺人事件の真犯人は誰だったのか? 江戸川乱歩賞受賞作『カラマーゾフの妹』執筆の背景にあった精読の成果を示す。
まあなんちうか、挑発的なタイトルに兆発的な内容ですが 露文にとっては道場破り的な何かw
しかし去年、『カラマーゾフの妹』を出版した後にも、ドストエフスキーの本編の検証に興味を持つ人が意外と少なくて、そのことにちっょと危機感を覚えたのです。自分の作品を評価してもらうだけではなく、『カラ兄』のまだ検証され切っていない部分にみんなもっと目を向けてほしいという願いをこめて、注目度の高い乱歩賞に『カラ妹』を送り込んだわけですが、意外とみんな『カラ兄』をほじくりかえそうとしない……。まあそりゃ「長い」という問題はありますが、原稿用紙1000枚を超えるミステリも珍しくない今日、電子版も出てて検索しやすくなってる今日、新訳の揚げ足取りのために単語の意味に一個一個ツッコミを入れる人もいる今日、そんなに大変なことでもないはずで、みんなもっと『カラ兄』の問題部分のおもしろさに注目して重箱の隅をつつくようにほじくり返すに違いない思ってたのですが……。もともと『カラ妹』計画は自分の創作と理論部分論文と二本立てにするつもりがあったので、やはり「創作編」だけじゃなくて「論文編」も出さないとなあと思って、実行に移したわけです。
これにアリョーシャ論を足せば新書一冊分の原稿量になりますし、実際、新書方面からの誘惑は多々ありましたが、実は乱歩賞以前から「これは出版したい」と言ってくれていた東洋書店に操を立てました。
ユーラシアブックレットとは、知る人ぞ知る的な存在ですが、新書よりやや少ないくらいの量で、未だ情報量が多いとはいえない旧ソ連圏の文化や政治、スポーツ、生活習慣等のトピックをピンポイント的に扱う叢書です。複数のテーマを扱った分厚い本だと腰が引けるところを、「あ、ちょっと面白そう」と思ったテーマだけ気軽にピックアップして読めるという初心者フレンドリーな利点もあり、一方で、なかなか本になりにくいマニアックなテーマを扱えるというマニアックな利点もある……のですが、どこの本屋さんにも置いてあるってわけにいかないのが難点か。置いてある棚も「ロシア・ソ連史」だったり、政治・社会学だったりで、リアル書店で探すのがね~、ちょっとね~。まあネットでさくっと買っちゃうのが一番ラクです。私もいつもAmazonで買っちゃう。っていうか多分リアル書店で買ったことない。上記の東洋書店のリンク先から各種ネット書店に飛べます。
いや~、しかし、東洋書店にとっても私にとってもなんか「異種格闘技」って感じで、お互い苦労しました。なんちうかもう、ボクシングのセコンドに野球のコーチがついてる的な(笑)。お互い、分かってないな~こいつと殺意を覚えつつw 結局、普段は経済誌の編集をやっている夫に間に入ってもらって何とか。表二の人物関係図とか、P.30の地図とかは井上の労作でございます。ザ・ただ働き。まあユーラシアブックレットは普通の印税制ではないので、私もほぼただ働きですが。担当者にとっても割に合う労働ではなかったでしょうし。でも、まずはともかく、『カラ兄』の今までスルーされてきた重要事項に世の中が目を向けてくれればいいっすよ、もう。話はそれからだ。
「その時は扉が開いていて」の部分の問題は、新訳をやった亀山郁夫先生自身、ロシア大使館での鼎談の時に「気づいていなかった」と認めておられました。ドストエフスキーの専門家がこれを認めるというのは、ものすごく勇気がいることだろうし、潔いことこの上ない。これこそが「研究」というもののあるべき姿ではないかと思います。
表紙はドストエフスキーの晩年の住居の書斎。『カラ兄』の口述筆記をし、原稿に手を入れ、ゲラをチェックし(パソコンがない時代のあの量のゲラ……著者校嫌いのワタシは考えただけで気絶しそうだ)、そして死因となった肺出血を起こした場所です。手前の時計が示しているのは、ドストエフスキーの命日とその時間。この写真を見つけてきたのは担当の岩田さんですが、この時計がね、なんかちょっと雰囲気的にミステリっぽくていいじゃないですか。EQ育ちの私は妙にドキドキしましたw いや別にドストエフスキーは他殺じゃないし、ダイイングメッセージを残したりとかしてませんけどw
ということで、いちおう店頭に並ぶのは25日となっております。さくっと読める量なので、是非これで、『カラ兄』本体の謎にも関心を持ってくだされば幸いです。
と、こういうことをやっているので、受賞後第一作は、普通なら許されないくらいむちゃくちゃ遅れております……すみません、講談社様 許してもらえるのだろうか
*乱歩賞の応募動機についての質問をいただきましたので、下記コメント欄に回答いたしました。
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コメント
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いま思うと、二十数年前にミステリーの棚に「カラマーゾフの兄弟」を置いていた、札幌旭屋書店は慧眼であったと思う。
関係無いけど、ここのSFの棚は神林長平が異常に充実していた。ファンがいたんだろうな。
投稿: 林譲治 | 2013年5月24日 (金) 07時26分
なにっ! そんな書店が?! すごいなあ。きっと店員さんに乱歩の愛読者がいて、乱歩と木々の「カラ兄」論や、「スリルの説」の中で乱歩が「ドストスエフスキーだけは何度でも読み返す」と言っているのをちゃんと記憶してたんじゃないでしょうか。教養と判断力の賜物ですね。
投稿: ふみお | 2013年5月24日 (金) 10時37分
コメント欄とは別途に、第58回江戸川乱歩賞の応募動機に関する質問をいただいたので、解答いたします。
乱歩賞の記者会見での最初の質問は「応募の動機」でしたが、私はこれに「この作品(カラ妹)に特別な花道を用意してあげたかったから」と答えました。でも、どのマスコミもとりあげてくれませんでした。その後の何十というインタビューでも、なんかそれは触れちゃいけない話題な感じで、マスコミはみんな「高野は何十年も乱歩賞に憧れて憧れて思いを断ち切れなくてついに応募した」というストーリーを作りたがってて、そういうふうにしか書いてくれなかったんですよ。
でも、もう一年経って次代が誕生したからぶっちゃけますけど、私が応募したのはあくまでも『カラ妹』のためであり、『カラ兄』研究のためでした。そのために、どうか乱歩先生、私にお力をお貸しください、と祈って応募したんです。『カラ妹』じゃなかったら応募しませんでした。まあ確かに、常日頃は忘れているけど心の奥底に「乱歩賞」というものが引っかかっていたのは事実ですが、「ずっと憧れてて執念で応募した」のとは全然違う。「『カラ妹』をすでに書いていて、この子に特別な花道を用意してやるためにはどういう手が取れるか、と考え、乱歩先生に力を貸していただいた」というのが正解。
まあマスコミが「乱歩賞に憧れて」というストーリーを前もって用意してて、そこから離れない範囲でしか書いてくれないってのも、この賞に向けられる眼差しの雰囲気を考えれば当然かもしれませんが、私は次代が誕生したらちょっと肩の荷が下りるから、そしたら何かのタイミングでぶっちゃけよう、とずっと思ってました。
ま、今さらこんなところでこんなこと書いても話は広まらないかもしれないけど、ちょっとスッキリしました。
投稿: ふみお | 2013年5月24日 (金) 13時11分
上記とはまた別なメッセージに公開お返事。
多分マスコミ的には「永い間の憧れをついに成就できて天にも昇る心地いです!」とか「諦めなければ夢は叶うよ! だからみんなもがんばって!」とかのコメントが欲しかったんだと思います。確かに、今の日本にはそういうストーリーが必要なのは理解できます。理解できたし、空気も読めたけど……
空気は読めたので反論はしませんでしたが、そういうのは私にはムリ どんなに努力したってたいていの夢は叶いませんから。それが現実。でも、そんな中でも成就する物事には「何か意味がある」と考えるタイプです。
というわけでマスコミにチヤホヤされるチャンスは全部自分で潰しましたがw、「チヤホヤされる」みたいなのもやっぱりダメなので、ま、それで良かったかな、と思っております。
投稿: ふみお | 2013年5月24日 (金) 20時48分