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2012年4月 5日 (木)

ドストエフスキーの父親の死因

唐突な話ですが。

ドストエフスキーの父親の死因は、実は他殺である。泥酔に見せかけての窒息死だったらしい。自分の領地の農奴に殺されたのだ。

横暴な小領主だった元軍医ミハイル・ドストエフスキーは、当然だが村人に嫌われていた。まあ横暴な領主なんてどこにでもいるし、領主が嫌われていること自体は珍しくもなんともない。しかも当時(1839年)のロシアは農奴制の真っただ中。なのに自由民と同じように裁判を受けることのできなかった農奴に殺害されるって、よっぽどだよね……

関係者も目撃者も多かったので、他殺の噂は広がった。警察もそれを受けて二度、検死をしている。しかし「証拠が出なかった」ということで農奴たちはおとがめなし。

領主による農奴への私刑もまだあったような時代に、ここまできて農奴がおとがめなしって、よっほどだよね……。実は、もしこの時、農奴たちが有罪となったら、村一同がシベリア送りになるらしい。となると、ドストエフスキー家の領地は領地として成り立たなくなり、家計が立ち行かなくなる。なので家族もあえて犯人を追及しなかったらしいのだ。二度目の検死も、もしかしたら警察が、「変な噂が立ってるけど、ホラ他殺じゃないじゃん」というポーズをつけるためにやったんだったり、とか想像。

農奴に殺された領主、知らぬ存ぜぬで通す村人たち、領主一家のしがらみと打算、あえて口をつぐむ警察と教会……

ほとんど横溝正史の世界ですね。そんでもって事件の数年後に金田一耕介がやって来るころ、また新たな殺人が起こったりするのよね。
……という話を友達にしたら、「それって本当? それとも高野さんの創作?」って言われた。そのくらい不自然にして出来過ぎな件。本当です。調べたらすぐ分かります。ちなみにドスエフスキーを終生悩ませた癲癇の発作は、この知らせを聞いた時に初めて起こったとのこと。フョードル少年当時十七歳。ペテルブルク工兵学校の生徒でありました。
この項の検索が妙に増えているので追記。この話題に興味がおありの方は、おついでにこちらもご覧になっていただければ。

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