フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月27日 (金)

チェルノブイリ原発事故26周年イベント:ベラルーシ大使講演

20120426 4月26日と言えば、26年前にチェルノブイリで原発事故が起きた日。その26周年に当たる昨日、日本ユーラシア協会でセルゲイ・ラフマノフ駐日ベラルーシ大使の講演があって、行ってきました。

ラフマノフ大使はもともと職業外交官でもなければ官僚でもない。ソ連時代である70年代にベラルーシ国立大学で化学の学位を取得して以来、ずっと同大学で研究と教育に携わり、21世紀にはベラルーシ共和国国立科学アカデミーの化学部門で重職を歴任してきたという生粋のサイエンティスト。昨年末に登用されて駐日ベラルーシ大使として日本に着任。まさに福島の後始末への協力とベラルーシ製線量計の売り込みのための人選なのでしょう。

前半は日本のNPO法人作成のDVD「放射線内部被曝から子どもを守るために」の上映。後半が大使の講演でした。

外交官の話には欠かせない(そして常にもっともどうでもいい)お国自慢的な項目はおざなりかつ最小限でさっさと済ませ、科学用語と通訳泣かせな数値満載の本題に。やっぱりさすがにホンモノの科学者なだけあって、いかにも官僚がお勉強してきました的なまだるっこしさは無い。

チェルノブイリは地理的にはウクライナだが、地形や風向きの関係で、あの事故もっとも強く被曝したのはベラルーシ……というのは、去年の3月までほとんどの日本人が忘れ去っていたけど、今では知らぬ者のない事実。そもそも「個人用線量計」などというものの存在しない頃(しかもソ連時代)、他国から輸入すれば済むというわけにもいかず、ゼロから開発せざるを得なかったことや、それを可能にしたのは、400回にわたる核実験を行っていたソ連の技術的蓄積があったからこそという、素直に喜べない複雑な背景のこと、現在も強制と言っていいほど国民の医療管理を綿密に行っていること等、この四半世紀の間、ベラルーシという国があの事故の後始末のために国力のほぼ全てを傾けなければならなかったことが分かるお話。用途別の各種の線量計は今でも正確さでは世界一というが、とにかく必要に迫られて他の産業を犠牲にしてでも開発してきたのだから大変である。

一番ビックリしたのは「耕作地や森林の除染は必要ない」という話。「とにかく正確な線量マップを作って、安全な耕作地の確保と労働条件の厳密化のほうが重要」と大使は言いますが……ああ、それはねえ、日本ではムリです。土地が100%国有だったソ連ならできたでしょうけど、日本の耕作地はほぼ100%私有地なんですよ……。そりゃ被曝した土地を捨てて安全な耕作地に移転して農業を続ける、除染の費用は医療や廃炉作業に振り向ける、みたいなのは机上の空論的には理想でしょう。でもそれが可能だったら日本でもとっくにやってますがな……sweat02 そういう意味では、もうちょっと日本の事情も勉強していただきたいところです。とはいえ、日本で可能かどうかは別として、現実に体験してきた国の実例を聞くのは、日本にとっても糧となるでしょう。

ベラルーシは今、世界で最も厳しい安全基準を持っていて、食料は100%の検査を義務化、それによって今農業輸出国としての歳入を得ているという。食品を厳しく管理することで安全な食料輸出国としての位置を確保し、その収入で安全確保や医療の費用をまかなう、みたいなシステムになっているらしい。旧ソ連の国家主導システムがあったからこそできたという、ちょっと皮肉な側面はあるでしょうけれど。

治療の研究も四半世紀間続けてはいるものの、やはり今の科学力では、とにかく早期発見早期治療に勝る方法はないようで。現在、秋田大学にベラルーシの研究者が来て共同研究が始まったところだそうです。

大使が当日身に着けていたベラルーシ製の線量計内臓腕時計がカッコイイ。必要に迫られてはいないけど、正直、あれ、ホシイな……

講演終了後に、世界初のベラルーシ語→日本語直接翻訳の小説を収録した『時間はだれも待ってくれない』をお渡ししてご挨拶。編纂時にお世話になった大使館職員のエレーナ・グリツェンコさん(金髪美女よheart01)にもご挨拶できてよかったです。

腕時計型線量計はAmazon.jpで買えますね。な、何でも売ってるなアマゾン……。最近はバッタもん(まず間違いなく例の某国製)も出回ってるそうなので注意。

2012年4月19日 (木)

リアル蝶々夫人

18日「プッチーニに挑む~岡村喬生のオペラ人生」の試写を見てきました。

プッチーニの代表作『蝶々夫人』の舞台を見たことのある日本人は例外なく「あちゃ~」と思うことがあるはず。自分が開国期の文化に精通していなくても、着物や所作に無知でも、それでも目につくダメなところが山のようにあるが、大人の態度でスルーすべきものということになっている。さすがに林康子や東敦子らイタリアで活躍した日本人ソプラノの努力によって、ゲイシャが左前の歌舞伎の衣装みたいなのを着て出て来たりはしなくなった。が、そういう絵面の恥ずかしさや、あまりにもストレートな悲劇ロマンスだということもあって、私はあまり『蝶々夫人』は好きではなかった。プッチーニ作品なら『トゥーランドット』のほうがずっと好き(ファンタスチカだしね(笑))。なので、『蝶々夫人』の問題点はさほど考えたことがない。ま、衣装や文化についての情報ならどこでも入手でき、日本人もイタリア人も何万人という単位で行き来してる今日、衣装やセットをちゃんとして、蝶々さんの叔父が彼女を「チョウチョウサン」と呼んだりするようなヘンなところを修正したヴァージョンなんて、もう二十世紀中にとっくに実現してるんだろうと思っていた。

ところが、そうじゃなかったのだ!

縁側に履物を脱いで上がるとか、神道と仏教が違うとか、そのレベルからして未だになあなあらしいのよね。

ナニ時代だよって感じですが……。でもよく考えたら日本のテレビや本でも、マリー・アントワネットの時代を「中世」とか平気で言ってるし、イエスの生きた時代と十字軍の時代を混同してたり、フツウにやっている。ま……そんなもんか……。時代が21世紀になったからといって、我々の頭が急によくなるわけじゃないのだ。でも、我々がいかにアホでも、「馴染むこと」と「反復学習」によってちょっとは賢くなることはできる。でも、それをまず誰かが始めないといけない。この「始める」ってのがものすごく労力がいる。ほとんどの人が「分かってない」状態のところでそれまでになかった流れを起こすわけだから、労力がいらないはずがない。多くの人が夢として語ることはあるだろうけど、実際にやる人ってのはあまりいない。ましてや実際にやって成果が上がるところまで続ける人というのはさらに少ない。

岡村喬生というのは、その「やる人」なのだ。漢だぜ。あの日本人離れした迫力のバスの声そのままの人なのだ。『プッチーニに挑む』は、そのヘンなとこを修正した『蝶々夫人』を実現するために奔走する岡村喬生を追ったドキュメンタリーなのです。監督はドキュメンタリー映画作家として定評のある飯塚俊男。

1960年代からヨーロッパ各地でオペラ歌手として活動してきた岡村さんは、日本人だしバスだとしいうことで『蝶々夫人』のボンゾ役を演じることが多かったそうです。しかし、ものすごく珍奇な恰好(頭がちょんまげで、袴というよりスカートみたいなものをはいて、逆さに“南無妙法蓮華経”と書かれた鳥居を掲げ持つ、みたいなsweat02)でヘンな歌詞を歌わされるとかいうことがあって、抗議しても「それ分かるのはあなたと奥さんだけだし」と取り合ってもらえなかったとか。60年代でそれかぁ……sweat02 岡村さんはその頃から半世紀にわたって改訂版の夢を抱き続け、ついに2009年、台本改訂をテーマにしたシンポジウムを開催し、改訂版のイタリア公演の契約をプッチーニ財団と結ぶ。

実は2010年に所ジョージの「笑ってコラえて!」でこの時のオーディションを取りあげていて、私はたまたま見ていたんだけど、その時もリアル蝶々夫人の意義って、それほど実感していなかったように記憶している。ま、その後イタリアで公演したんでしょう、くらいに思っていた。が、2011年、オーディションで選んだ歌手たちとともにプッチーニ・フェスティバルのためにイタリアに行ったら、「そんなの聞いてないよ!」という事態が次から次へと起こっていたのだそうです。

そう来たか……イタリア……orz

この映画ではその「聞いてないよ!」の事態も赤裸々に描かれる。誇張もいかにもドラマ的な盛り上げもないだけに、あの困った感は生々しい。そう……ガイコクと仕事するのって、こうだよね……。この数年間私が悩まされてきたのと酷似した事態が次から次へと起こって、身につまされるなんてもんじゃない。見ながら変な汗をかいてしまったsweat01 まあ向こうからすれば日本人は日本人で困った人たちなんだろうけどさ~。でも、プッチーニ財団~! 権利者や劇場側に確認も取れてないことをテキトウに契約するなよannoy 奥ゆかしい感じの日舞の先生がイタリア人にガチンコで抗議したり、岡村さんがムカつく相手にも誇り高く礼を尽くしたり、本番まであと数日という限られた時間の中で、何とかして可能な限りのことを実現する努力が続く。これ、日本だったから妥協点が探れたのであって、アメリカだったら契約書を突き付けての訴訟沙汰だったんじゃないかなあ。

結果としては、理想通りではなく、イタリア側が後からゴニョゴニョ言ってきた条件の中でできるかぎりのことをした公演として実現したわけだが、衣装と所作がちゃんとしてるだけでも全然違う。映画ではオペラは全編見られるわけではないが、それでも感動しました。『蝶々夫人』でこんなに感動したことはないというくらい。

困ったのは、現在の権利者であるプッチーニに子孫ですかね。こういう人たちは往々にしてファンダメンタリストなので、未だに台本に手を入れることを許可しないのだそうです。芸術家の子孫の別に才能があるわけでもない人が権利握ってるのって、どうなんだろう……。そんなの、本当にその芸術家の作品のためになるんだろうか。数年前に埃をかぶった化石みたいなトルストイの子孫が来日した時も「あかん!!」と思ったけど……

プッチーニの台本に間違いがあるのは、ただ単に彼が「知らなかったから」というだけであって、「これでいい」と思ってやっていたわけではない。実際プッチーニは、当時のヨーロッパでは可能な限りの日本の音楽の資料を手に入れて(貞奴のヨーロッパ公演も見に行っている)研究してるのだから、もし文化、習俗についてもちゃんとした情報を持っていればそれをごく普通に台本に取り入れていたはず。言ってみれば、当時できなかった訂正をそれが可能になった今入れることこそがプッチーニの意志ではないのだろうか。大芸術家の子孫にはそれ相応の力量がないといけないけど、たいては小物なのよねえ。早いとこプッチーニの子孫にも気づいてほしいところです。

でも、それにしても、ガイコクと仕事するのって、ホントにこうだよね……。やたらと土壇場でくつがえそうとしやがるし。夫は「いや、日本人同士で仕事してたってこうでしょ」と言うけど、日本人同士の場合、「根回し」という裏ワザがあるので、これほど極端に土壇場でモメる感はない。それでもやっぱり、反故にするとか言いなりになるとかじゃなくて、何とかして可能な限りのことを実現すべくこっちも手をつくし、主張していかないといけない。でも、それでいいものができたら、みんなちゃんと分かるんですよね。ヨーロッパの人たちも「正しい日本文化とは何か」なんてことは知らなくても、「本物」の持つ力は感じ取っているはず。我々だって、本物のギリシャ彫刻を初めて見た時とか、本場の完成されたバレエやオペラの舞台を初めて見た時とか、何が素晴らしいのか、何がすごいのか分かった!と感じる瞬間を経験をしてきているはず。

この映画、オペラ好きだけではなく、ガイコクと仕事して疲れちゃった全ての人にお勧めしたい。達成感を味わって、明日の糧にできます。公開は5月19日から東銀座の闘劇で。4月24日にはイタリア文化会館で公開リハーサルがあります。

それにしてもオペラは作る方も歌う方も大変やね。私もベルカント歌唱法育ちだけど、自分でもオペラ向きじゃないというのは高校生の頃すでに分かってて(華がなさすぎる!)歌曲や教会音楽に走っちゃったけど、それでもオペラに対する憧れはどこかに残っている。蝶々夫人もちょこっとだけ練習したことはあるけど、さすがに人前で歌ったことはない。でも正直、一度くらいは歌ってみたいという気持ちはある。もっとも。もし万が一そういう機会があったとしても、着物着て歌ったりはしませんけどね。私が着物着ると、長崎の芸者と言うより、長屋のおかみさんなんで。ほっとけ(笑)。

2012年4月16日 (月)

東京スカイツリー万年筆

ああっ! セーラーがこんなことをやっている!

セーラー万年筆 東京スカイツリー限定文具

展開するのは万年筆だけではないが、やっぱりこの最上位モデルの万年筆がスゴイ。伝統柄+スカイツリーって(笑)。昭和の観光地か(笑)。本体は定番のプロフィットですね。私はプロフェッショナル・ギアのほうが好きなんだけど、う~ん、やっぱりスカイツリー柄にするんだったら流線型のプロフィットのほうが合うか。

トラス柄の万年筆はちょっと欲しい気もするが、つい最近、何故かあんまりゲンのよくない金製品を思い切って売っぱらってプロフェッショナル・ギアの長刀研ぎのBを買ってしまったばかりだ……

セーラーは去年末に「神様」とまで称された職人、長原宣義さんが御年満80歳にして勇退、ファンの多いペンドクター川口明弘さんも先月末に退職してしまい、今、方向性が変わるんじゃないかと言われている時期だそうです。ニブ作りや後進の指導もペンクリニックも長原幸夫さんにどーんと責任がかかってきてるんじゃないかなあ。私の長刀Bも、もうちょっと「味」が欲しいのでペンクリで長原ジュニアに診ていただきたいんだけど、ペンクリ、次に東京に来るのはいつのことやら……

フトコロ具合的に最上位モデルがムリなら、せめてトラス柄のキャンディペンでも買おうかな。って、それ以前に、そもそもいったいいつになったらスカイツリーに行けるんでしょうか(笑)。

2012年4月13日 (金)

春の体調不良@モスクワ

Raging gynecologist trashes car showroom

なんかこのサイトの英語が妙に分かりにくいんですが、こういうことだそうです。

ロシアの産婦人科医、自動車ショールームで破壊の限りを尽くす

要するに、車の修理の待ち時間の間にイライラが昂じて臨界に達しちゃったってことでしょうか。ううむ……。やっぱりカルサヴィナの自伝のエピソードを思い出すsweat02 もちろんロシアに限らず、今、規模の大小はあれど世界中でこの手のことが起きてるんでしょうね。

今日あたりは、北朝鮮では体調が悪い人とか続出してるでしょうね。特に軍部とか。数週間後には命を失ってる人とかも出るかもしれませんが、それはきっと春の体調不良とは関係のないことでしょう。ついでに日本の防衛大臣も何とかしてください。

2012年4月 8日 (日)

宇宙兄弟

アニメ版『宇宙兄弟』始まりましたねえ。もちろん漫画の時点で知ってましたし、映画の存在も知ってますが……正直、避けてました。アニメも無意識的に一話をスルーしてしまいました。でもやっぱり今週から録画して見てしまいました。はぁ~、やっぱり、何て言うか……甘酸っぱいキモチなしには見られない。このワクワクと心の傷と懐かしさと憧れといろいろ入り混じった気持ちで涙目になりながら見てる大人(ていうか中年)は多いのではないでしょうか。

ええ……私も、小学校の卒業文集だったかな~(正確な記憶がブロックされていて思い出せない(笑))、「将来の夢」のところに「宇宙飛行士」って書いた口ですので。

……………………。

ま、ツッコミどころは無限にあるわけでsweat01

19歳で初めて飛行機というものに乗った時(行先はモスクワ)、「一般人がスペースシャトルに乗れる時代がやって来たとしても、私にはムリだshock」と思い……そして今日に至る(笑)。あらかた四半世紀経ちましたが、何度乗っても未だにヒコーキには慣れていません。死ぬるで、ホンマに。もう宇宙船とか論外でしょうねえ。私は南波日々人と真逆で、重圧とかめっちゃ弱いし。

でも、今日「宇宙兄弟」を見て、改めて「物語の力」ってすごいなと思ったことです。もう宇宙飛行士を目指すとか論外になっちゃった人も、こうやって宇宙飛行士選抜試験のドキドキとか、悩みとか、宇宙へかける夢とかを追体験できるのだ。

今人類は、ソユーズという首の皮一枚でどうにか宇宙(といってもISSは上空400キロ)とつながっている非常に心もとない状況ですが、早くこの綱渡りな状況をなんとかしてほしい。でもいくら「この計画もあの計画も技術的には可能」であっても、いくら最先端の人員が優秀でも、先立つものがないとどうしようもないわけで……。やっぱり人類は宇宙に行こうよ地面にへばりついてちゃダメだよ、と、宇宙開発にお金を使うのはけっこうなことじゃないか、と、そういう雰囲気をまず作っていかないといけないわけで。そういう意味でも、「宇宙兄弟」みたいな作品が日本に限らず世界中でもっとブームになって、宇宙志向な雰囲気を作っていってくれたらなあと思うことです。

また来週も涙目で見るよ……

2012年4月 5日 (木)

ドストエフスキーの父親の死因

唐突な話ですが。

ドストエフスキーの父親の死因は、実は他殺である。泥酔に見せかけての窒息死だったらしい。自分の領地の農奴に殺されたのだ。

横暴な小領主だった元軍医ミハイル・ドストエフスキーは、当然だが村人に嫌われていた。まあ横暴な領主なんてどこにでもいるし、領主が嫌われていること自体は珍しくもなんともない。しかも当時(1839年)のロシアは農奴制の真っただ中。なのに自由民と同じように裁判を受けることのできなかった農奴に殺害されるって、よっぽどだよね……

関係者も目撃者も多かったので、他殺の噂は広がった。警察もそれを受けて二度、検死をしている。しかし「証拠が出なかった」ということで農奴たちはおとがめなし。

領主による農奴への私刑もまだあったような時代に、ここまできて農奴がおとがめなしって、よっほどだよね……。実は、もしこの時、農奴たちが有罪となったら、村一同がシベリア送りになるらしい。となると、ドストエフスキー家の領地は領地として成り立たなくなり、家計が立ち行かなくなる。なので家族もあえて犯人を追及しなかったらしいのだ。二度目の検死も、もしかしたら警察が、「変な噂が立ってるけど、ホラ他殺じゃないじゃん」というポーズをつけるためにやったんだったり、とか想像。

農奴に殺された領主、知らぬ存ぜぬで通す村人たち、領主一家のしがらみと打算、あえて口をつぐむ警察と教会……

ほとんど横溝正史の世界ですね。そんでもって事件の数年後に金田一耕介がやって来るころ、また新たな殺人が起こったりするのよね。
……という話を友達にしたら、「それって本当? それとも高野さんの創作?」って言われた。そのくらい不自然にして出来過ぎな件。本当です。調べたらすぐ分かります。ちなみにドスエフスキーを終生悩ませた癲癇の発作は、この知らせを聞いた時に初めて起こったとのこと。フョードル少年当時十七歳。ペテルブルク工兵学校の生徒でありました。
この項の検索が妙に増えているので追記。この話題に興味がおありの方は、おついでにこちらもご覧になっていただければ。

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »