モスクワ・オリンピックのチケット
先週、ユーラスツアーズの創業50周年パーティで、アメリカの腰巾着諸国にとっては幻となったモスクワ・オリンピックのチケットをいただきました。
ひょええ~。まだこんなの持ってたんだ……。真ん中のピンバッヂはソ連崩壊後10年経ってない頃にモスクワで手に入れた、大会マスコットの「こぐまのミーシャ」。なんでそんなものを持っているんだ>自分w
モスクワ・オリンピックといったら、私のような冷戦知ってる的世代にはわりと一般常識の範疇という感じですが、若い人たちは知らないかなあ。1980年、共産圏初のオリンピックであるモスクワ大会に、アメリカが先導していわゆる「西側」諸国の多くがボイコットしたという因縁の事件があったのです。理由はソ連によるアフガニスタン侵攻ということになっていますが、実際にはどこまで本当だったんだろう……。一般に「西側諸国が不参加」と大ざっぱに記述されることも多いですが、実際にはヨーロッパで不参加だったのは西ドイツとノルウェーだけなので、「西側」がどうのというより、アメリカの腰巾着度の高い国が不参加だったという方が正しい……かも
そりゃもう日本は腰巾着どころかアメリカの忠犬ですので、当然アメリカには逆らえず不参加。もちろん選手団やJOCは抵抗したものの、開催一か月前になって国としての方針はボイコット決定という、まあ今でいうところのドタキャンってやつですね。
もちろん旅行会社は観戦ツアーを企画していたわけで(当時はソ連なんて半年以上前から準備してないと行けなかった)、一か月前なんて、何もかも手配済みの状態(いや、現代でも一か月前のオリンピック観戦ツアーは同じか)。
しかしモスクワ・オリンヒックって、今考えるとものすごくプロモーションが行き届いた大会だったなあ、と思うことです。日本では前の年に「こぐまのミーシャ」のアニメが放送されてたし(見てたw)。まあ全然ロシアでもオリンピックでもない動物アニメでしたが。何と言っても、ドイツのポップグループ、ジンギスカンの「モスクワ(めざせモスクワ)」がそれはそれはもう世界レベルでこの世のものとは思えないほど強烈にヒットしてたし(ロング・ヴァージョンはこちら)。私の世代は「モスクワ・オリンピック」という言葉を聞いただけで、脊髄反射で脳内にこの曲がヘビロしますw LA大会の時のジョン・ウィリアムス作曲のオリンピック・ファンファーレは、LA大会のイメージというよりオリンピック全体のイメージだし、アテネ大会の時の聖火リレーのテーマ(我らがトレヴァー・ホーン大先生が作曲したPass the Flame)はヒットしたかしないかで言ったら全然ヒットはしなかったわけで、ここまで特定の大会のイメージができてるオリンピックって他にないんじゃないだろうか。
……というけで、東側専門の旅行会社には、こんなものが手元に残るばかりなのであった。いやでも31年間捨てないでとっといたあたりにくやしさがにじみ出てますね。でもこれ、どのくらいのレベルでの貴重品なんだろう。オリンピック・マニアとかサッカー・マニアで欲しいという人がいたら、そういう人の手元にあったほうがいいような気もするけど。
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コメント
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ぷみお先生
ジンギスカンで緑のテラテラした衣装を着て踊ってた髭のあの男。
(存命メンバー中)ジンギスカン再結成に唯一参加しておらず
公式ホームページにも何故か名前のないあの男。
しかし一部ではジンギスカンのリーダーだと認識されているらしいあの男。
ソウルオリンピックでは公式ソング「KOREA」を作り歌ったあの男。(嗚呼なんて五輪男!)
レスリー・マンドキ (Leslie Mandoki)マンドーキとも
私は彼を「ハンガリーのトレヴァー・ホーン」と呼んでおります。
このジンギスカンというグループ、結成のいきさつはwikiに詳しいですが
レスリー・マンドキは表向きダンサーとして、その実プロデューサー&アレンジャーとしてその役割を担っておりました。
YouTubeで好きなアーティストの関連動画で偶然発見した彼なのですが、曲がいい。
CD欲しくても国内になんかありませんでしたから、米や英Amazonで買ったんですね
そしたらアルバムの参加メンバーがね、スンゴイんです。
TOTOのBobby KimballにSteve Lukather, ジェスロタルのIan Anderson, Brecker Brothers に Jack Bruce
Al Di Meola, Bill Evans,なんとChaka Khanまで。。
レコーディング風景なんかの動画も和気藹々、当時のアルバムタイトルも「Soul Mates」とか「People : Leslie Mandoki And Friends」ですから
相当仲もいいでしょう。
ManDoki Soulmates - Best of Live on Stage
http://youtu.be/R7hFTcD9bcg
もうね、ミッジユーロやらハワード・ジョーンズ、カーリーヘアはどこへやらのピーター・フランプトン etc.etc.
前出以外のそれこそ多種多様なアーティストがレスリー・マンドキの名の下に集うという。。
まさに「Produced by TREVOR HORN~A Concert For the Prince's Trust」のギグ状態。
ええ、わかってます。
全然違うの判ってます(^^;)
この人達みんなプロデュースした訳じゃないですからね。
アーティストの有名さに比べると何という認知度の低さ、、日本だけなのかな?
ドイツとかでは知名度高いのかしらん?
でも、普通プロデューサーなんてそんなもんですかね。
追伸1
息子の幼稚園のママ友には「トレヴァー・フリーク」いたそうです。
純粋にトレヴァー先生のファンだとか。
追伸2
かのレニングラード・カーボーイズが「ジンギスカン」を「日本語でカバー」してます
http://youtu.be/amCeqrpYzes
俺たちゃ天才 わはははー!!
君たち凡人 とほほほー!!
人生酒びたり~
とほほ〜。。
投稿: ゲン | 2011年11月 8日 (火) 17時56分
なんだこのコメントは! どこをとっても濃ゆい。恐ろしい子(笑)。
ジンギスカンってそもそも全員がオーディションを経て「雇われた」タレントだったんですよね。レコード会社側のプロデューサーの言いなり前提な。そんな中でプロテュース能力を発揮する人物がいたら、そりゃ疎まれるでしょうねえ。そういう才能ある人はそれで結構!って気もします。
レニグラもジンギスカンも、今もあるっちゃあるんですよねえ。アメリカ人はバンドとか惜しげもなくすぐ解散しますけど、ヨーロッパ人はメンバーを入れ替えながら名前と伝統を残したがりますよね。もうバンドもホップグループも、ウィーン・フィルとか、ベルリン国立劇場とかといっしょw
トレヴァー先生フリークのママ友さんにヨロシク
投稿: ふみお | 2011年11月 8日 (火) 18時55分
こんにちは、コノヴァレンコです。
これは本当に面白いです。私は1988年生まれですが、こんな「ソ連風」のデザインは私にとっても相当懐かしいです。
そして私は子供の頃ほんの短い間モスクワオリンピックに憧れていました(運動音痴だからすぐやめましたが)。その時は熱心にオリンピック関連の商品を集めていたけど、そういう物をノリリスクではあまり入手できませんでしたね。でも、同じようなピンバッヂを持っていた気がします。
なんとなく終了式で歌っていた曲を聴きたくなりました。
すばらしいエントリーありがとうございました!
投稿: ニコライ・コノヴァレンコ | 2011年11月 9日 (水) 02時22分
やあ、コーリャ、いらっしゃい! メール書きかけだけどまだ送ってないよ……ゴメン
85年にトビリシに行った時、ホテルに色あせたモスクワ・オリンピックのステッカーが貼ってあって、「わびしいからやめて~!」と思いました(笑)。けど、土浦市には、85年に茨城でやった科学万博のロゴマークが入った時計塔が21世紀になってもまだ残っていたことは秘密だ(笑)。さすがに今はもう無いです。
このチケットは一枚君にあげよう。次は科学万博@茨城のソ連館のパンフレットのエントリを書くよ~。あれも強烈にソ連っぽいデザインです
投稿: ふみお | 2011年11月 9日 (水) 22時53分