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2011年11月28日 (月)

ロベスピエール博物館設立のための署名(と引きこもり宣言)

200pxrobespierre

回状が回ってきたので、こちらにも貼っておきます。

現在、北フランスのパ・ド・カレー県アラスで、マクシミリアン・ロベスピエールの生家を「ロベスピエール博物館」として保存、公開してほしい、という署名活動が行われています。ロベスピエール……ベルばらの読者ならずとも、フランス革命といえば大抵のことは忘れててもこの人の名前は覚えているというロベスピエール。まあロシア革命で言ったらレーニンが途中で処刑されちゃったみたいなもんでしょうか。この一番有名な肖像画がなんだかいけ好かない感じなのが残念なポイントか。

ロベスピエールの生家は建物としてはだいぶ前から確保されてはいたものの、別な用途に使われたりしてて、なかなか博物館化しないのだそう。そこでアラス圏だけで運動するのではなくて、世界中に署名を求めようということになったのだそうです。

その署名サイトのポータルがこちら。

Les Amis de Robespierre pour le Bicentenaire de la Révolution Française

説明はフランス語だけじゃなくて英語でも書いてあります……が、中年に優しくない字の小ささ(笑)。ブラウザいじって字を大きくするしかないですね。

すでに署名名簿に記載された人のリストはこちら。公開されるのは姓、名、職業、公選称号、都市名、郵便番号、国名まで。

署名のためのページはこちら。一番下まで

①姓  ②名  ③Eメールアドレス
④ハウスナンバー  ⑤通りの名前  ⑥アドレス一行目
⑦アドレス二行目  ⑧郵便番号  ⑨町村名
⑩公選称号(もしあれば)  ⑪職業  ⑫生年月日

海外のネット通販でも悩まされる住所の入力ですが、住所は各国で表記の仕方が違うので、適宜適当に埋めていいようです。日本の場合、⑨に市町村名(東京都23区内の人は多分ここにTokyoって書けばいいのではないかと)、⑧に郵便番号、あとは⑥と、集合住宅の場合は④が埋まっていればいいんじゃなかろうかと思います。少なくとも通販だったらそれで荷物は届くので。⑩のMandat électif/ Elective post (if any)というのは、もし議員等選挙で選ばれるポストを持っている人がいたらそれも記入してください、ということですね。フランスはこういうの重視するからなあ。

次に、SieかMrsかMissを選択(デフォルトはMrsになってます、注意)。最後に、「名前を公開してもいい」という人はプルダウンメニューからI accept the publicationを選択、公開されたくない人はI don't accept publicationを選択して送信。確認画面なしで一発送信されちゃうので、綴りの間違いとかないように気をつけてください。

フランス人のインテリは未だにフランス革命にコンプレックスを持っている人がけっこういて、「王殺し」という言葉には過敏に反応すると言われてますよね。まあそういう話が盛んに出てきたのは私が学生の頃で、革命200周年記念の頃だったけど……多少は世代が変わってきてたりするのでしょうか。ロベスピエールも負の存在扱いされることが多くて、予算がどうとかいうのとはまた別な意味で博物館の設立にも積極的になりきれないんじゃないかなあ。でも、彼らが今生きている第五共和制の社会も「彼らの血にまみれた手から受け取った贈り物」である以上、ロベスピエールに対してもなんか斜に構えてワルモノっぽく扱っていればいいのかというと、そういうわけにはいかない。人権や選挙権などをなんの苦労もなく手に入れて当たり前のように思っちゃってる我々今の日本人にとっても他人事じゃなくて、ああいう血なまぐさい歴史がフランスにあったからこそ回り回って今日があるのだということを、今我々が享受している諸権利は「あって当たり前」なんじゃなくて苦労して維持しないと失われてしまうかもしれないことを、我々も意識したほうがいいんじゃないかと思っております。それを考えなきゃならないのは日本人だけじゃないけど。だからこそ、この世のどこかに、特にアラスに、ロベスピエール博物館があったほうがいいんじゃないかと私は考えます。

……とかいうことに時間を使っちゃってますが、実は本当は執筆のために絶賛引きこもり中です。いろいろ滞っておりますが、あと二か月ほどカンベンしてくださいorz ブログもかなーり滞ると思いますが、たまに発作的に書くかもしれないので、その時はよろしくお願いします。

2011年11月18日 (金)

ジャン・レノのドラえもん

トヨタ ドラえもん新CM 「のび太のバーベキュー」篇

もうYou Tubeに上がってる。早いなあ。

ネットの書き込みは、ドラえもんよりスネ夫やしずかちゃんのキャスティングでモメているようだ。ドラえもんはジャン・レノでいいのかwwwwww

ダイハツはブルース・ウィリスがちょい笑のシチュエーションで出てるし、これが円高か……? もっとも、彼らとしては日本を応援したいという気持ちもあって引き受けてくれたんじゃなかろうかと思うことです。

と、理性ではそう考えなくもないが、気持ちはどうしても「日本以外全部沈没」と思ってしまう。私の同世代から上は、そう言ってる人が多い。……やっぱりね これでジョージ・ルーカスが家電屋のCM撮ったり、レッド・ツェッペリンが地方TVのCMに出たりしたら、決定だよね。もっとも、もしケネディー電気がCMを作ってレディ・ガガが出てきたとしても、あまり驚かないかもしれない……

2011年11月15日 (火)

動物擁護団体PETA、『マリオ』の“タヌキスーツ”に抗議運動

動物擁護団体PETA、『マリオ』の“タヌキスーツ”に抗議運動

つい先日も、『バトルフィールド 3』のネズミ殺傷シーンに異議を唱えていた動物擁護団体PETAが、今度は任天堂の『マリオ』に矛先を向けてプロテスト活動を展開しています。

今回同団体が問題提起したのは最新作『スーパーマリオ3Dランド』でも登場するマリオの“タヌキスーツ”で、「現実世界で狸は生きたまま皮を剥がれている。タヌキスーツのマリオは毛皮を着てもOKというメッセージを発しているのだ」などと訴え、キャンペーンサイトでは皮を剥がれた狸がマリオを追いかけるFlashミニゲームまで用意。

すごい! 今だに「着ぐるみ」を知らない人がいるんだwwwwwwwwwww どんな世間知らずの深窓のご令嬢が運営してるか知らないけど、自分たちが絶滅しないように保護活動すべきだwwwwwwwwwwwwwwww

2011年11月13日 (日)

国際ンポジウム「世界文学とは何か?」@本郷

12日、東大本郷キャンパスで、上記のタイトルのシンポジウムがあったので行ってきました。ううむ……ここ数年の間に、本郷の落ち葉&ぎんなん掃除が著しく向上した気がする。20年前なんて、落ち葉を足でがしゃがしゃかき分けて歩かざるを得なかったり、ぎんなん踏んじゃったりしてましたが。

特別ゲストにハーヴァード大学のデイヴィッド・ダムロッシュ教授と作家の池澤夏樹さんをお迎えして、前半はこのお二人の講演、後半は柴田元幸、沼野充義、野谷文昭の三氏(いずれも同大文学部教授)を交えての討論という形式で行われました。

ダムロッシュさんは最近、日本でも代表作の一つである『世界文学とは何か?』(奥彩子・他/訳、国書刊行会、2011)が出版されて、注目を集めている研究者。池澤夏樹さんは言うまでもなく、河出書房新社の「世界文学全集」の個人編纂者。大教室の220席のキャパを超えて立ち見の出る大盛況でした。

ここで話された内容を全部要約するはさすがに私の手には余るので、幾つか印象に残ったことを。

シンポジウムそのものの内容についてはこちらのブログが詳しいです。
uporeke.com 「「世界文学とは何か?」デイヴィッド・ダムロッシュ、池澤夏樹+柴田元幸、沼野充義、野谷文昭」

全体の論調として、「翻訳」を肯定的にとらえているのがワタシ的には好印象でした。そりゃ登壇者たちがみな言っていたように「原語至上主義を通していたら、世界中の文学を読むことなんてできない」わけですからそりゃ当然と言えば当然でしょうけれど、「翻訳を通したら本当にその作品を理解するなんてことはできないのだから、世界中で文学を共有するのって限界あるよね。さてどうしましょう」というような悲観論が基調でないところが良い。「自分たちも含めて外国文学のセンセイたちは、学生にやたらと『原文で読め』と言いがちだが、いかなる場合でもそこに固執するのはどうかと思う」との発言もあり、全体として、文学を象牙の塔に閉じ込められものではなくて、「みんなが読む」ものという方向性が保たれていたことは改めてここに記しておいても良いことだと思います。

このシンポジウムの後にハシゴしたドストエフスキー関係の研究会では、在野の研究者たちが相も変わらず「せっかく名訳があるのに現代語にすり寄った新訳なんて」という話になって(やっぱりね)……。しかしそのちょうど二時間ほど前、ダムロッシュさんは「翻訳はどうしてもすぐに古くなってしまうので、その時代に合う翻訳は必要。自国の古典文学をそれが書かれた当時の原文で読む人はいるけど、外国人が『神曲』をわざわざ古い翻訳で読んだりしないでしょう?」と言っていたけど、私はやはりダムロッシュさんのほうに賛成ですね。ことに露文のやや古めかしい考えを持っている人って、すぐに「当時のロシア社会のことを理解させることのできる翻訳」とか言い出すけど、彼らは文学的理解と社会的理解、言語としての精度など、幾つかの問題を混同して考えているような気がする。そして、大学のプロの研究者ってどうしても「象牙の塔」とか陳腐なイメージを持たれがちだけど、私の実感としては、大学の先生たちはわりと自由にものを考えている一方で、むしろ在野の研究者のほうがヤヴァイ、アタマ固いと感じることが多い。大学は否応なく若い世代と接するけど、在野の研究者の場合、世代で固まっちゃうことが多いからかなあ。カリスマ的な中心人物の周りに集まった「その世代の人」が塊になって年取ってゆくのを見ていると、やっぱり大学みたいに強制的にいろんな世代と接触するようになっている場は良いものだと思うことです。

そして何より私にとって衝撃的だったのは、今まで私とはまっっっったく違う世界で小説を書いているように思っていた池澤さんが、意外に私と同じ方向性でものを考えていたということ。「世界文学全集」が何故、「絶対に外せなそうな大古典」ではなく、近現代の作品でできているのか、池澤さんは「絶対的な名作だったら、もうみんな持ってるか、手に入れようとしたらすぐ手に入るでしょう? そういうもので全集を作るのだったら誰がやっても同じ。編者が自分である意味がない。まだそこまで名作扱いされていない近現代の作品でアクチュアルな影響力を持った作品を(自分の目で)選びたかった」という趣旨のことをおっしゃってましたが、私が『時間はだれも待ってくれない』でやりたかったのは、まさにコレです。レムやチャペックの作品が重要であることは論を待たないとしても、今このタイミングで、そして他の誰かではなく私が、そういう大古典を編纂してもなんの意味もないわけで。その他、自作の執筆の態度とか共感することが多くてびっくりしました。意外。ああ……また池澤作品も再読しよう。

でもこういう文学関係のシンポジウムとか研究会などでいつも不満に思うことが一つ。それは、研究者って、「作家は作品の全てを意図的にコントロールできてる」かのように考えがちなところ。ネット時代になったからとか、世界文学を意識したからといって、それで作品が変幻自在に変えられるわけじゃないのよ。ましてや、世界文学を意識するとか翻訳されることを意識するとかが執筆のモチベーションになるわけじゃない。もっと言うと、読者にコレを伝えたいとか、この手法を世に問いたいとかが執筆のモチベーションそのものなわけじゃないということ。人間が小説なんてものを書いちゃうのは、思想とか意見とか手法とは別な、もっと原始的、無意識的なところからやってくるダイモーンに突き動かされて「書かされている」ものだということは、全ての文学研究者に忘れないでいて欲しいと思うところです。討論の後の質疑の時間にちよっとだけ発言させていただいたものの、まとまりが悪くてorzだったのですが、私の後に住谷春也さんに、エリアーデが持っていた「昼の精神(学術的研究)」と「夜の精神(文学的創造力)」の話でまとめていただいて、どうにか助かりましたが(東欧アンソロジーの時から住谷さんには助けていただきっぱなしです。何の恩返しもできてねえ)。

この「原始的な何かに書かされている」の話は今年の英文学会の時にもちょっとしましたが、やっぱり、もっと自分の中でまとめておく必要を感じますね。

東欧アンソロジーの関係者の方々も何人もいらっしゃってたので懇親会にも出たかったのですが、前述の通り、ドストエフスキーにハシゴ。ろくに挨拶もしないでバックレた形にorz すみませんすみません。 

いやあ、それにしても、文学の研究って、歴史の研究とはずいぶん違うなあ。なんか、どこの分野でもはぐれ者化している自分をなんとかしたい。たかが作家の分際で研究者ヅラする気はかけらもないけど、どこに行ってもヨソ者な気がするのがちょっとしんどい。……いやまあ、どこか属するところがなんてあると思っちゃダメかもしんないけど。

2012年3月付記:当日の討論は東京大学現代文芸論研究室で刊行している年刊の研究誌『れにくさ』の第3号に書き起こしが掲載されるそうです。年度内刊行とのことなので、4月までには出来ているはず。非売品の刊行物ですが、各大学の紀要等を収蔵している大学図書館等で閲覧できると思います。

2011年11月11日 (金)

201111111111

スピリチュアル系の人はいろいろ言ってるみたいですが、結局、何も変わらずガッカリするパターンが続く気がします。

2011年11月11日11時11分に更新。ただそれだけw

2011年11月 9日 (水)

バグルズのリイシュー×2

はい。こんなものが出ております。

ラジオ・スターの悲劇+9
アドヴェンチャーズ・イン・モダン・レコーディング

2ndのほうは去年イギリスで出た盤と中身は同じ、以前このエントリで取り上げたものです。1stのほうは今までボーナストラック3曲だったのにさらに6曲加えたもの。なので2ndは買わなくてもいいや。悩みどころは1st……すでに持ってる曲が多いので買わなくてもいいっちゃいいんですが……キッド・ダイナモのシングル・ヴァージョンとか持ってないので……くっ……ポチっとしちゃいました……

1stのほうもいつかボーナストラックを増やしたCDは出るだろうなあとは思っていたものの、意外とお宝度が低い。Give me back my heartのトレヴァー先生メインヴォーカル版くらい出てくるかと思って期待してたのになあ。絶対どっかにあると思うのよね、Give me back my heartのトレヴァー先生メインヴォーカル版。

Give me back my heartはトレヴァー先生がDollarのために書いた曲だけど、80年代の英音楽誌のインタビューでトレヴァー先生は「彼らがバラードを歌いたいと言ってきたんで、しめっぽいやつを作ってやったのさ」みたいな、なかなか軽蔑的なことを言っていた。Dollarのベスト盤に、バグルズがDollarのために書いた4曲のうちGive me back my heartだけが入らないのはトレヴァー先生が許可しないからだとずーーーーーーっと言われてきたんだけど、トレヴァー先生、ある日突然、それをCDに入れたのよね。……自分のベスト盤にw 何だかんだ言って気に入っていたんですねセンセイ……。上記の2ndのリイシューにはVideotequeのトレヴァー先生ヴォーカル版が入っている。1stをリイシューのあかつきにはきっと……と思ってたんだけどなあ。

Yes のFly from here効果で国内版が出るんだろうけど、1stのボーナストラックはもうちょっとレア度を高くしてほしかった。でもポチっとしちゃいましたけどねorz

2011年11月 7日 (月)

モスクワ・オリンピックのチケット

先週、ユーラスツアーズの創業50周年パーティで、アメリカの腰巾着諸国にとっては幻となったモスクワ・オリンピックのチケットをいただきました。

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ひょええ~。まだこんなの持ってたんだ……。真ん中のピンバッヂはソ連崩壊後10年経ってない頃にモスクワで手に入れた、大会マスコットの「こぐまのミーシャ」。なんでそんなものを持っているんだ>自分w

モスクワ・オリンピックといったら、私のような冷戦知ってる的世代にはわりと一般常識の範疇という感じですが、若い人たちは知らないかなあ。1980年、共産圏初のオリンピックであるモスクワ大会に、アメリカが先導していわゆる「西側」諸国の多くがボイコットしたという因縁の事件があったのです。理由はソ連によるアフガニスタン侵攻ということになっていますが、実際にはどこまで本当だったんだろう……。一般に「西側諸国が不参加」と大ざっぱに記述されることも多いですが、実際にはヨーロッパで不参加だったのは西ドイツとノルウェーだけなので、「西側」がどうのというより、アメリカの腰巾着度の高い国が不参加だったという方が正しい……かも

そりゃもう日本は腰巾着どころかアメリカの忠犬ですので、当然アメリカには逆らえず不参加。もちろん選手団やJOCは抵抗したものの、開催一か月前になって国としての方針はボイコット決定という、まあ今でいうところのドタキャンってやつですね。

もちろん旅行会社は観戦ツアーを企画していたわけで(当時はソ連なんて半年以上前から準備してないと行けなかった)、一か月前なんて、何もかも手配済みの状態(いや、現代でも一か月前のオリンピック観戦ツアーは同じか)。

しかしモスクワ・オリンヒックって、今考えるとものすごくプロモーションが行き届いた大会だったなあ、と思うことです。日本では前の年に「こぐまのミーシャ」のアニメが放送されてたし(見てたw)。まあ全然ロシアでもオリンピックでもない動物アニメでしたが。何と言っても、ドイツのポップグループ、ジンギスカンの「モスクワ(めざせモスクワ)」がそれはそれはもう世界レベルでこの世のものとは思えないほど強烈にヒットしてたし(ロング・ヴァージョンはこちら)。私の世代は「モスクワ・オリンピック」という言葉を聞いただけで、脊髄反射で脳内にこの曲がヘビロしますw LA大会の時のジョン・ウィリアムス作曲のオリンピック・ファンファーレは、LA大会のイメージというよりオリンピック全体のイメージだし、アテネ大会の時の聖火リレーのテーマ(我らがトレヴァー・ホーン大先生が作曲したPass the Flame)はヒットしたかしないかで言ったら全然ヒットはしなかったわけで、ここまで特定の大会のイメージができてるオリンピックって他にないんじゃないだろうか。

……というけで、東側専門の旅行会社には、こんなものが手元に残るばかりなのであった。いやでも31年間捨てないでとっといたあたりにくやしさがにじみ出てますね。でもこれ、どのくらいのレベルでの貴重品なんだろう。オリンピック・マニアとかサッカー・マニアで欲しいという人がいたら、そういう人の手元にあったほうがいいような気もするけど。

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