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2011年10月31日 (月)

第32回SF大賞候補作

第32回SF大賞候補作が決まったそうです。

  『ダイナミックフィギュア』  三島浩司(早川書房)
  『華竜の宮』         上田早夕里(早川書房)
  『希望』           瀬名秀明(早川書房)
  『近代日本奇想小説史 明治篇』横田順彌(ピラールプレス)
  『魔法少女まどか☆マギカ』  原作:Magica Quartet、脚本:虚淵玄、監督:新房昭之
 (作品タイトル順)

むむう。チェックし切れてないものが多い。まどマギは気になりつつ、完全に乗り遅れちゃったからなあ。

あと、誰にとってもなんか妙に羨ましい人っていると思うけど、私にとってはやっぱり上田さんかなあ。

追記:世の中は「まどマギ」が入ってるのはおかしいとか、「調べてみたらSF作家クラブって違うジャンルの人も入ってるんだね」とか、「ファンタジーやホラーの人も入ってるからこうしないといけなくなるのかな」とか(特定を避けるため、かなり言葉は変えてます)言われているようですね。SFという言葉に対する設定の範囲が狭いというか……。作家クラブ側の「SF」の認識はとうの昔に、ロシアやヨーロッパで言うところの例の「ファンタスチカ」になっているけど、まだ世の中には「SF=サイエンス・フィクション」だと思っている人がいっぱいいる、という感じでしょうか。日本にも「ファンタスチカ」という言葉が普及・定着、こういうすれ違いは無くなるかも。

2011年10月27日 (木)

【SF大会2012】バリコン2012

バリコン2012 プログレス・レポート第一号

来年のSF大会は夕張。夕張って行ってみたいけど……

このタイムテーブルじゃ多分ムリだわ……orz 病人向きじゃないです……

2011年10月23日 (日)

妖怪人間ベムとドウエル教授の首

古いエントリをいつか削除しました。ちょっとノーマルじゃない状態の人に絡まれて対応しきれなくなったので。多分知らない人です(かなり拡大解釈しても心当たり無し)。脳内事実系の人っぽいです。コメント欄も完全閉鎖はしたくないので、チェックしやすいよう、この記事以前はコメント受付は停止します。ま、昔の日記なんてどうせイタイだけなので、2、3年程度残して全部削除しちゃったって別にいいんですけどね。

まあそれはともかく。

昨日から放送が始まった『妖怪人間ベム』実写版を見てたら、強烈にベリヤーエフの『ドウエル教授の首』を思い出しました。実は半月ほど前、日本ユーラシア協会の方から日本語版の初版をいただいたところでした。

20111023

東京創元社「世界大ロマン全集」第48巻、アレクサンドル・ベリヤーエフ著、原卓也訳『ドウエル教授の首』、昭和33年(1958年)9月5日初版。定価190円也。まあ『ドウエル教授の首』自体はこの後に出た文庫版がけっこう古書市場にあるし、この本もアマゾンのマーケットプレイスで2千円しないで手に入るので、稀覯本というほどではないんでしょうけど、月報や愛読者カード、しおりも当時のままついているので、古本者ではない私でもなんかどきどきします。

実を言うと私は、小学生のころに子供向けにリライトされたヴァージョンを読んだきりで、オトナ版は読んだことが無いのであった! つまり、これが初めての原卓也版との遭遇で、それを30ン年経ってやっと読んだという恐怖の事実。私が読んだのは、ハードカバーの子供向け叢書の中の一冊で、アインシュタインみたいな老教授の首が実験器具の上に載ったわりと生々しい表紙のものでした。図書係になる前に読んだはずだから、小学校三年か四年だなあ。お世辞にも優秀とは言い難い子供だった私が読んだくらいだから、そんなに難しい高学年向けではなかったはず。エフレーモフの『暗黒星雲』とかエラリー・クィーンの『エジプト十字架の秘密』は、それとはまた違った、ちょっとカラフルでモダンでヲサレな表紙のハードカバー(でも表紙の厚紙はやや薄めだったのがまたヲサレだった)の叢書だった記憶が。こっちのほうがちょっと高学年向けだったかと。どっちもさすがに出版社とか叢書名を覚えてないです。どなたか分かる方がいらっしゃったら教えてプリーズ。

久しぶり(かつ、オトナ版としては初めて) に読んでみると、いろいろビックリでした。何よりも、舞台がパリだったのがビックリ。いつの間にかヘンな知恵がついて「ソ連SF」という色をつけてたから、もっとソ連ソ連していたように思ってました。でも、一番インパクトがあった「首だけになった女(ブリーケ)が新しい身体をもらえることになり、ごつい労働者の女ときれいな若い女の身体のどちらかを選べと言われて無傷だった労働者の女ではなく傷のあるきれいな女の身体を選び、最初は自由を満喫したけどその傷から体が腐っていってまた首だけになってしまう」の展開はほぼ記憶通り。よっぽどインパクトあったんでしょうねsweat01 しかしその後の「助手の女の子(マリー)が多くを見過ぎたので精神病院に監禁され、ドウエル教授の息子が狂人のふりをして入院して助け出す」のくだりは、別な話として記憶してました。タイトルとか忘れちゃった何か別な物語だと思ってた……。というか、この精神病院の部分ってジュニア版にあったかなあ……? 「新人の助手マリーがケルン教授の研究所でドウエル教授の首に遭遇→ブリーケの件→ケルン教授の研究があばかれる」という話だとばかり思っていた。覚えていないだけで精神病院の部分もジュニア版にあったのか、それとも中学生くらいの頃に原卓也版を読んでいたのか。

改めて読んでみると、ソ連SFというより、19世紀的なゴシック・ロマンという印象ですね。『フランケンシュタイン』とか『透明人間』とか、ラヴクラフトの『冷気』とかの世界。それにやっぱり何と言っても、舞台がパリで、ほんとに全然ソ連っぽくない、花の都おパリの雰囲気になっている(少なくとも昭和生まれの日本人にはそう感じられる)ところがビックリ。夫にこの話をしたら「そりゃソ連を舞台にしてあんな実験や精神病院の話を書けるわけないじゃん」と言われた。ううう……そうかも……いや、そうだろうか?

というのも、ベリヤーエフが『ドウエル教授の首』を書いたのは1926年。ソ連が建国されてからまだ10年経っていない。そしてこの頃はロシア・アヴゥアンギャルドの全盛期(よりちょっと遅い?)で、演劇や映画もかなりやりたいようにやっていた時代。ちょっと前の帝政期のこと、あるいはその旧体制の生き残りマッドサイエンティストの話にしたら、簡単に国内を舞台にできる。ベリヤーエフが舞台をフランスにしたのは、単に国内向けの配慮じゃなくて、「遠い異国の地」自体を書きたかったんじゃないだろうか。

で、いきなり話が『妖怪人間ベム』実写版に戻るのですが、あれはさ~、「何でもかんでも実写化するな!」と怒ってる人もけっこういるようですけど、私は第一話を見た限りではけっこう評価してるんですよねえ。You Tubeに旧アニメの第一話があって、あれと見比べてみるとなおさら実写版の意義はあると感じる。洋風無国籍ファンタジーだからできることもあれば、ありきたりな現代日本の日常が舞台という縛りがあるからこそできることもある。「ベロ、その箸の持ち方じゃ、人間になった時大変だぞ」とか、無国籍ファンタジーじゃ出せない味もあるわけで。そして無国籍ファンタジーなら、「その文化圏にそんなのがあるわけないじゃん!」というものも登場させて活用できる。どっちにも面白さがあって、もう別ヴァージョンでどっちもやったらええやんと思うわけですよ。あるいは、「現実の世界だけどどっかガイコク」、「時代劇的江戸時代にタイムスリップ」とかでないとできない面白さとか味もある。ベリヤーエフも、空想科学小説というだけではなく、こういう「泰西のゴシック・ロマン」的な雰囲気を描きたかったんじゃないか、と、亀梨ベムを見ながら突然思ったのでありました。

いやあ、それにしても、子供の頃見たり読んだりしたものって、ものすんごく影響力ありますね。どうりで大人が子供に何を見せたり読ませたりするか管理したがるはずだ(笑)。

2011年10月18日 (火)

必見! ルドン展のサイトwww

三菱一号館のルドン展のサイトがヒドイと話題沸騰、というので、アクセスしてみました。

ルドンとその周辺 ―夢見る世紀末

こっ……

これはヒドイ……shock

「スーパーの安売りのチラシ」と言われているそうですが……

それ以外の感想が思いつかないよ!

これぢゃルドンに興味がある人は来なくなるし、興味がない人はウケて終わりじゃ……? だって、本展示や図版もこの路線だったらどうしようって思うよ!

暗くて怖いというイメージのルドンを親しみやすく、とか、購入した明るい絵のイメージを前面に押し出して、とか、きっと意図があるのだろう、と善意に解釈する気力さえ無いわsweat02

ルドンなんか暗くて怖くてとっつきにくくてナンボだ。この写真で見る限りでも、「グラン・ブーケ」だって、明るい色彩……なのになんだこの妖気は。誰に来てほしいんだ。どんな客層を想定してるんだ。

何億出して買ったか知らないけど、そのあげくにこれじゃ……。岩崎弥太郎の霊にシメてもらえ。

2011年10月13日 (木)

お前んち、ナニ県?

「香川はうどん県に改名」サーバーダウンの人気

「香川県はうどん県に改名いたします」――。
 香川県が、人気俳優・要潤さんやバイオリニスト・川井郁子さんら県出身の有名人8人を起用し、こんな架空の改名を宣言するプロモーションビデオ(PV)を作ってネット上で公開したところ、アクセスが1日で17万件を超え、約5時間サーバーがダウンする事態に陥った。

私の実家……誰がどう考えても納豆県だ……

納豆県れんこん市……

本当に原発がらみ?

東京・世田谷で高い放射線量、雨で運ばれ蓄積か

でもさ、これ、原因が本当に原発事故だと断言できるんだろうか。

全然原発事故と関係なく、何らかの理由で放射性物質が流出している、というか、流出・流通させている人がいたりしないんだろうか。

理学部や薬学部、大病院の放射線科には、けっこう、「実験に使った残りの処分に困って……」という伝説があるのよね。単に都市伝説みたいのだけじゃなくて、「先輩が冷蔵庫に放置して卒業しちゃった」という経験者も知っている。あとはほら……某国の陰謀と噂される某放射性物質テロ事件みたいなことを民間でやってる人が絶対にいないと言い切れるんだろうか。シルクウッド事件みたいなこととかね……

コメントする専門家も、地面の線量が最も高いのなら分かるが、地面より高いところの線量のほうが高手のが解せないと口々に言っているし、シロウト目にもなんかヘン。

原因が原発事故じゃなかったら、それはそれで怖い気がしますけど。

10月14日付記

世田谷の高線量:瓶の中身はラジウムか 文科省
東京都世田谷区の民家の床下から見つかった瓶について、文部科学省は13日、中身は放射性ラジウムと推定されると明らかにした。同省は、放射性セシウムが検出されないことから福島第1原発事故とは関係ないと断定した。(共同)

やっぱりそういうことか……

研究室から放射性物質をゴニョゴニョしちゃったという伝説の多さから考えると、わりちあっちこっちでこういうことが起こってそうだbearing

2011年10月12日 (水)

【震災関係】アメリカのチャリティ・アンソロジー「Tomo(友)」

41tne3uc09l__ss500_ 東日本大震災から7か月経ちました。

現実の被害や経済的困難もさることながら、精神的な打撃が深刻なんですよねえ。私もあの日以来、着物を着て出かけられなくなっちゃったのであった。若いころから着慣れている人なら着物で被災してもなんとかなると思えるかもしれないけど、私のキモノライフはぶっちゃけシュミの付け焼刃なんで。インシュリンも一週間は生き延びられる量を持ってないと近所のスーパーにさえ行けなくなってしまった。まあ、それまでのミニマムな装備で出かけていたこと自体が間違いっちゃ間違いなんですが。東京にいてさえこうなんだから、被災地の人々の心労はいかばかりかと思います。まだ「終わった」わけでもないし……

この強烈にトラウマ的な出来事の後に心の支えになったことの一つに、海外からの支援やメッセージがあったのではないかと思います。私のところにも、アンソロジーの東欧編やロシア編で関わっている作家や編集者たちからたくさんメッセージをいただきました。生まれてこの方「地震」とか「津波」なんてものに一度も遭ったことはないであろう地域の方々からも、その想像のつかない状況を軽く見ることなく、本当に真摯で温かい言葉をいただきました。テレビで見る各国からの支援の様子とか、ハリウッド映画のようにカッコイイ米軍の「トモダチ作戦」とか、21億円の義捐金をたったの4時間で集めてくれた台湾の心とかが、実際の支援だけではなく、我々の心の栄養になったのではないかと思います。

そういう海外の人々の気持ちというのは今でも続いていて、今、アメリカでは来年に出版するチャリティ・アンソロジーが準備されているところ。これは日本在住歴の長い作家・大学講師のホリー・トンプソンさんが編者として立ち上げた企画で、アメリカ人と日本人が書いた日本をテーマとした短編を集めたヤング・アダルト向けのアンソロジーです。出版予定は東日本大震災からちょうど一年の2012年3月11日、出版社はカリフォルニアで日本関係の書籍を多く出版しているStone Bridge Pressです。タイトルは「友」Tomo: Friendship Through Fiction--An Anthology of Japan Teen Stories。収益は東北の子供たちを支援する団体に寄付されます。「友」についてのトンプソンさんのブログはこちら。「日本語」やSubmissionsのページは関係者向けの初期の作業用ページなので、本についての情報はトップページとContributorsのページのみです。

このお話をいただいたのは4月の半ばでした。少額の寄付や支援買いをするくらいしかできないことに苛立ちを感じ始めていた頃だったし、もう光の速さでお受けして、「アントンと清姫」を供出しました。翻訳者は長野県在住の翻訳家ハート・ララビー(M. Hart Larrabee IV)さん。ララビーさんは奇しくも20年前に西洋演劇を取り入れた新作能「新作道成寺」の翻訳もされている方で、本文中の長唄についてはこちらからは一切何の説明の要がなかったという奇跡のコラボ(ていうかもしかしたら道成寺についてはララビーさんのほうが詳しかったりするかもだよsweat01)。

国際企画のアンソロジーがどれだけ大変かは、多分今は私が日本でもっともよおおおーーーーーーーく思い知らされてる人間なのでw、トンプソンさんがいかに大変な思いをしたのか分かります。ほんとに頭が下がります。作家はすでにある作品を提供するだけだけど、編者と翻訳者、コーディネーターは、ものすごくタイトな締切と戦いながらガチただ働きで夏を過ごしたのでした。「アントンと清姫」はちょっと量的に長すぎたので、ララビーさんとどこをどう削ってどう改造するかずいぶんメールのやり取りをしたのですが、カケラの手抜きもない、一瞬たりともやる気の揺るがない仕事ぶりで、いやあ、なんて言うか、癒されました。みんなこんなに日本のことを思ってくれてるんだと思うだけで、癒されるし明日への活力になります。

デッドラインまでにすべての訳稿が揃ったそうで、予定通りに出版できそうです。収録されている作家は、みな多彩なバックグラウンドを持った人たちで、チャリティということを抜きにしても、純粋に「本として」面白そうです。ううう、でも全部英語なのよね(<当たり前じゃ)。でもティーン向けなので、日本人でも読める人が多いんじゃないかと思います。

発売が近くなったらまた情報をupします。

新しい情報を2012年2月25日のエントリに追記しました。Amazon.com等で発売中です。

2011年10月 7日 (金)

スティーヴ・ジョブズのアップロード完了

Steven_jobs_19982010

もうニュースソースにリンクを貼る必要さえない大ニュース。スディーヴ・ジョブズの死。享年56歳。写真はこちらから拝借。

もともと膵臓ガンなのは本人が発表していたし、最近の写真のやつれ方がハンパではなかったし、偶然にも昨日日本版が出た著書は明らかに自分の死を予想していた内容だというので、彼の死自体はさほどの驚きではないらしい(私はそこまでジョブズのことを考えてなかったので驚いたけど)。

それよりも、これからアップルがどうなっちゃうのか、IT機器の地政学がどうなってゆくのかのほうが重大事であるとか。某国の某企業なんかぶっちゃけ喜んでるでしょう。某国では実際に喜んでいるとしか受け取れない内容を含む報道もあったし。

友人の勤めているさるITがらみ多国籍企業では、何時間も経たないうちに「実は9月9日にすでに亡くなっていた」という怪情報がアメリカから回ってきたという。でもジョブズは9月10日にはビル・ゲイツに会ってたというからなあ。こうなると、次に出てくるのは「実はまだ生きていた!」でしょうね。がんばれスティーヴ! マイケルやエルヴィスに負けるな!

……まあそれはともかく、私がこの訃報で思い出したのは、Xファイル第五シーズン(1997-1998)の「キル・スイッチ」。これは二年前のSF大会の時にサイバーパンク企画でもお話ししたのでご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、ウィリアム・ギブスンが脚本を書いたサイバーパンクなエピソード(第五シーズンでは、スティーヴン・キングが脚本を書いたありがちなんだけどものすごく怖い「ドール」というエピソードもある)。パソコン創世記の伝説的天才三人が作ってネットに放った人工知能との攻防にモルダーとスカリーが巻き込まれる話。ギブスンらしいダサかっこよさ、レトロ最先端、悪趣味スタイリッシュ炸裂で、私にとってはXファイルの中でも屈指のお気に入り。この三人のうち真っ先に意識をネットにアップして肉体が死に至った一人が、具体的に共通項があるわけじゃないんだけど、ワタシ的にはなんとな~くイメージ的にジョブズを連想させる人だったのです。

アップル社にはこれからも天啓がやって来て大ヒットの新製品が発売されたりして(笑)。もちろん天啓はiPadやiPhoneを通じてやって来る、と(笑)。うちはiPhoneは周波数問題が一段落してから考えないでもない、と前の日に話していたところですが……なんかそれを解決するアイディアを下さい、スティーヴ師匠。

とりあえず肉体に対しては合掌。

2011年10月 4日 (火)

ヴィオロンチェロ・ダ・スパラ

タイトルを見て「おお!」と思う人と「?????」と思う人と、多分はっきりと分かれるんではないかと。少なくともニュートリノよりナゾの存在であることは確かでしょう。

10月2日、アキバに行ってきましたよ。お目当てはAKBならぬBKE、バッハ・カンタータ・アンサンブル。バッハの200曲近いカンタータの全曲演奏を目指して年2回の定期公演(1回の公演につき、基本的にカンタータ4曲)を行っているアマチュア団体。アマチュアと言ってもナメたらアカンの本気のバロック楽器も使用し、指揮者は古楽奏者・研究家の花井哲郎さん。今年は創立20周年で、春の定期ではロ短調ミサの全曲を演奏している。私もロ短調はやったことあるけど、大合唱+プロのモダンオケっていうのと、ごまかしのきかない少人数の声楽アンサンブルとバロック楽器入りの器楽アンサンブルとではどっちのレベルが高いかは一目瞭然。日本には古楽のアマチュア団体は意外とあちこちにありますが、その中でも群を抜いた存在であるようです。

で、先日の第32回定期で演奏された41番では、ナゾの古楽楽器、ヴィオロンチェロ・ダ・スパラが登場。

ヴィオロンチェロ・ダ・スパラはイタリア語、直訳すると「肩の小さなチェロ」というあたりか。どういうものかというと……まあ、こんな感じです。

20111004

こちらは広報の小林直樹さんからお借りした写真。奏者は同団のヴァイオリン奏者、波田野正行さん。まあなんちうか、「肩の小さなチェロ」ですsweat02 見たまんま(笑)。中世から19世紀前半までの長い間、楽器、特に弦楽器には現代的な意味での規格が無く、しかもヴァイオリン族でもヴィオール族でも、大きさも弦の数も様々な楽器が作られていたわけですが、それらのヴェイパーウェアの一つですね。五弦、この大きさ、この姿勢……ハンパなく弾きにくそう。そりゃ淘汰されますわなsweat02 ヴィオラからチェロの間って、やっぱり人間工学的な限界がありますよね……

音は、大きさの割には響かない感じではあります。そもそもそういうものなのか、いかに研究したとはいえ当時の楽器の実物や現代的な意味でのデータがない以上は事実上製作者の創作であることによる限界なのか、グァルネリのような天才が作ったらなんかスゴイ音が出るのか、そのあたりはまだ不明。音色はやはりヴィオラに近いですが、渋さ抑え目でちょっとチェロ的な甘みのある音です。

制作者は日本とベルギーに工房を持つロシア人、ディミトリー・バディアロフさん。この方は日本の古楽関係者の間では、活動もお人柄などもいろいろな意味でよく知られているようです。ロシアは限りなく古楽不毛の地で、90年代に出てきたバロック系の演奏家はみんな西ヨーロッパに出ちゃったし、今はモスクワ音楽院のピアノ科で細々とチェンバロを弾いてる人がいるくらいだそうで、古楽楽器の制作なんて、それこそ日本かヨーロッパに拠点を置いてないとできないんでしょうね。

スパラはまだ世界に10台もないそうで、波田野さんも一番苦労するのは「イタリアに特注する弦の調達」だそうです。西ヨーロッパで古楽が盛んなのは当然としても、日本人って非ヨーロッパ圏では例外的なくらい古楽好きだよね……。私は日本人にはそもそも古楽って向いてると思ってますが。西ヨーロッパの外で古楽やるのはまだ大変かと思いますが、プロ、アマ問わず、奏者や楽器製作者の方々の活躍を期待しております。

バッハ・カンタータ・アンサンブルの次の定期は2012年5月13日。いつになねかは分かんないけど、これからもナゾの古楽器の登場の機会はあるようです。

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