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2011年9月16日 (金)

May the SF be with you!

公表してもいいみたいなんですが、まだ最後の最後で決裂する可能性もゼロではないのでぼかしますけれども……さる事情で私の短編の一つがとある言語に翻訳されている最中です(他にも翻訳中の作品はありますが、それらについても追々お知らせします)。

で。

なんかヘッドの方とどうしても理解し合えないところがあるんですよね。最初は「日本的な考え方を理解してもらうこと」が難しいのかと思ってたのですが、その方は日本に関しては専門家で、日本が理解できないなんてことはあり得ないのですよ。でも……なんでここに疑問を持たれるんだろう?てなことがあって……

昨夜、突然、天からの啓示のように思ったこと。その方は「日本的な考え方が分からない」のではなく、「SFがニガテなヒト」なのではないかということ。もしかしたら、ファンタスチカ全般、例えば泉鏡花やブルガーコフやカフカも苦手かもしれない。ブラッドベリやヴォネガットはどうだろう?

中学生の頃、『スーパーマン』(1978年、クリストファー・リーブが主演の)を見に行った時、一緒に行った人の中に「なんでロイスが助かったのか分かんない」という人がいたけど、あの時と同じ感じがする。

『スーパーマン』のラストはさー、同時にツッコミどころでもあって、そこがまたSF的には楽しいわけですが、「それを説明してあげて、理解してもらう」性質のものかというと……なんか違うよね。何が起こったのかは説明できるし、その面白さを「分からせる」のはまた別な問題。

日本と他国の考え方の違いなら、お互い、近時の問題や分かり合えそうなポイントを経廻りながら共感点を探ってゆくのは有意義と感じるけど、SFがニガテな人にそれを「分からせよう」とするのって、とても不毛な気がする。逆に、向こうから「SFのつまらないところ、ダメなところ」を説明されたからといって、それまでに読んできたSFをつまらなく感じるようになるわけじゃないし。こちらから何かすとすれば、いい作品を紹介するとかはありだけど、「SFが分からない」人に『マイノリティ・リポート』の面白さのポイントとか、『スター・トレック』のどこが魅力かとか、『日本沈没』の何がすごいかを説明して「分からせよう」とするのは無理があるんじゃないかなあ。それに「SFを分からせようする」ことって、とても傲慢に思える。

別な方向から考えると、文化圏による考え方の違いは多少なりとも克服できるけど、SFが分かるか分からないかって、なんかけっこう克服しがたい壁のように思える。英語が苦手でもワールドコンの中にいる時は楽しくて、その外で同胞たる日本人に「えすえふたいかい~(苦笑)?」ってされると壁を感じる、あの瞬間ね。

おおげさに言えば、SF(より広義にはファンタスチカ)って、違う文化圏の者同士が理解し合うよすがになり得ますよね。どこの国も、外交政策の一環としてもっとSF・ファンタスチカに対して支援をするべきだ(笑)。

この件、どうなっちゃうんだろう~。誰もが善意で最良の結果のために惜しみなく働いているのは事実だけど……

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