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2011年7月28日 (木)

訃報:小松左京さん

「日本沈没」小松左京さん死去
「日本沈没」などで知られる作家の小松左京氏が26日、肺炎のため死去した。 80歳だった。1931年大阪市生まれ。「さよならジュピター」など作品は多数にのぼる。
(2011年7月28日15時09分  読売新聞)

SF作家クラブからも回状が回ってきました。

だいぶ前から体調が思わしくないということはうかがっていました。2007年のワールドコンのパーティにも車椅子でいらっしゃってたし。人間、誰しもこの日が来るのだとは分かっていますが……でもやつぱりショックですね。

私が小学生の頃にはすでにSF界でもっとも知られた、自分の読書傾向とか、好きとか嫌いとかに関わらず、偉大であることを認めずにはいられない方でした。同じSF作家クラブのメンバーとはいえ、お館様と小姓くらいの隔たりがあったので、ずいぶん前のSF大会で名刺をいただき、何度か挨拶をさせていただいたくらいの接触しかありませんでした。それでも、自分が小松さんと一緒のSF作家クラブにいるんだ、すごいなあ、って実感させていただきました。

近年も体調不良をおして新人賞の選考をされるなど、後進の育成にも力を注がれた方。私も、東欧とロシアのアンソロジーを間に合わせて、ああ、下の世代にもこういうことやってるやつがあるんだなあ、と、ちょっとだけでも認識していただきたかったです。

ご冥福をお祈りいたします。

2011年7月27日 (水)

ロッテ「マシュール」

東欧アンソロジーの件は、八月に東京創元社のサイトが更新されてからこちらに掲載いたしますです。

それとは全然関係ない世代ネタの話なんですが。

私、どうしてもこの曲がロッテの「マシュール」の曲に聴こえるんですが……

花王ビオレ マシュマロホイップ「マシュマロワルツ」編CM

「マシュール」というのは、約30年前、私が小学生の頃に売ってたお菓子。大きなマシュマロをチョコレートでコーティングしたもので、子供にとっては高価でめったに買えない憧れのお菓子でした。箱も確か三面は透明で、一箱に三つしか入っていない。まーぶっちゃけマシュマロをチョコレートでコーティングした「だけ」のシロモノと言ってしまえばそれまでなんですが、昭和の茨城の子供にとっては、なんとも夢のような世界だったんですよ。ベルばらとか、「奥様は魔女」とか、ウィーンフィルとか、そういう世界に属するというか(<そういうくくりがそもそも田舎臭いorz)。でも、ジャストちびまる子ちゃん世代の田舎の平民の同志たちはなんとなく理解していただけるかと思います。

そのCM、マシュールを模した大きなクッションに女の子が二人ぽよんと座るような映像だったかと記憶しています。でもこっちの記憶は曖昧。私はCMなんかは映像より音楽を記憶しているほうなんですが、この「マシュマロホイップ」のCMを初めて見た時、脊髄反射的に「あっ! 『マシュール』の曲だ!」と思ったのですが……どうでしょう? マシュマロつながりだし、やっぱり復活させたんじゃないでしょうか?

チョコがけマシュマロは今は無印なんかにもあるけど、あのマシュールの大きさ、チョコがパリパリするくらいの厚さで惜しげもなく高級にかかってるあの感じはないですよね……。イマドキはこういうお菓子作らないだろうなあ。多分理由は「輸送や扱いが面倒なわりには何となくビンボくさいから」。ま、もう昭和じゃないしね……

CMの曲の件、花王に聞いてみようかなあ。そこまでして知ってどうするという気がしないでもないですが、所詮、好奇心とはそういうものですからねえ。

2011年7月17日 (日)

ドクター・ヤンセンのインク

正直、日常にドラマがないのでw日記のネタが少ないです。「新東欧SF傑作集(仮)」の情報は来週あたりお伝えできると思います。

ええ、日々パソコンに向かい、たまに出かけても都内という、何の話題性もない日常なので、今目の前にあるお手元的な話題で。

万年筆用のインク、やっぱりというか何というか、結局ドクター・ヤンセンのが欲しくなってしまったのであった。日本に入ってきているのは「人名シリーズ」のごく一部。で、いろいろ考えたあげく、結局、ネットでドイツに注文してしまいました。

さすがに送料が一人で払うにはつらい額だったし、他にも日本で手に入らないインクが欲しいという友人もいたので、数人で集まって共同購入。何本か買ってもいいんだけど、万年筆用のインクなんてそうそう減るもんでもないので、私はとりあえず二本だけ買いました。モノは「ツェッペリン」(ブルーグレイ)と「トルストイ」(カーキ)。ドクター・ヤンセンのインクは全てヤンセン博士がちまちまと自分のアトリエで手作りしているそうですが、着いてビックリ、発送の包装も超手作り感覚でした。何しろ 詰 め 物 が 地 元 の 新 聞 ですよ! Suddeutsche Zeitung(最初のuはウムラウトつき)「南ドイツ新聞」てなところ。一面が原発の話題……。原発を渡り歩く労働者の問題らしい。

201107161

ネット通販なのでどうしても博打性はさけられないところですが、インクはどちらも期待以上のいいお色でした。

201107171

上から「ツェッペリン」、「ジュール・ヴェルヌ」、「トルストイ」、「ショパン」。むむう……やっぱり写真がヘタだなあ。特に「ツェッペリン」と「ジュール・ヴェルヌ」の違いが私レベルの写真では分かりづらいですね。デジカメは青が苦手で、いろいろ設定してやらないとダメらしいですが。両者の違いは何というか、デルフト焼の濃いところの色と、ラリックのコバルト・ガラスみたいな違いという感じです。

「デルフト焼の濃いところの色と、ラリックのコバルト・ガラス」の実物も撮ってみましたが……

201107172

くっ……やっぱり、写真の修業をしないとダメか……

でも、それなりに参考にはなるかと思います。そう信じたい。

「トルストイ」と「ショパン」はちょっと難物か。色の濃淡がかなりはっきり出るので、実用というよりはシュミのインクという感じでしょうか。

まあこれで当分楽しめますでしょう。ドクター・ヤンセンのインクは日本で買うと一本2100円。インクとしては高い方だけど、よく考えたら、2100円なんて、一回飲みに行くのを控えただけであっという間にできてしまう額だし、それで何年か楽しめるわけですから、むしろ娯楽としては安上がりなのでは。

今なおグラーフ・ツェッペリン号を愛する土浦出身者としては、「ツェッペリン」がものすごく自分好みの色だったのはとっても嬉しいですね。愛用しまくろう。原稿も書けよ>自分。長編はもうちょっと時間かかりますが、東欧アンソロジーについては来週あたり具体的な発表をしますので、楽しみにしていてくださいませ。

2011年7月 8日 (金)

『最初の刑事』

翻訳者の日暮雅通さんからいただいた、ケイト・サマースケイル著『最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』やっと読了。

ヴイクトリア朝英国のあるカントリー・ハウスで、幼児殺害事件が起こる。内部の犯行か? 外から犯人が忍び込んだのか? 1842年にスコットランド・ヤードに創設された刑事課の「最初の刑事」の一人、ジョナサン・ウィッチャー警部が派遣される。プライヴァシーというものがものすごく尊重されたヴィクトリア朝の時代、事件の捜査はその神聖なるプライヴァシーを世間に暴いてゆくという、恐るべき仕事でもあった。暴かれる家族の歴史と家庭関係、ウィッチャーに浴びせられる世間の非難……

展開は冗長で、性格付けのはっきりしない登場人物が何人もおり、キャラかぶりも多い。推理も大ざっぱで、結論も曖昧。何より、ほぼ密室と言えるカントリー・ハウスで幼児殺人が起こり、家族の内情が明らかにされてゆくという展開があまりにも典型的である。

そう、何故ならこれはノンフィクションだからだ。

1860年に実際に起こったロード・ヒル・ハウス殺人事件の記録や、それに少しでもかかわりのある史料を、それこそ米粒を一つ一つ拾うようにして検証し、その捜査に当たったウィッチャー警部や事件のあったケント家の人々のその後までをも検証した一大ノンフィクション。「探偵小説」なるもののルーツや、このロード・ヒル・ハウスの事件が生み出したとも言える「カントリー・ハウス」タイプの探偵小説の類型についても考察する。そして、当時のヴィクトリア朝の社会がそれをどう報じ、世間がどう受けたか、ジェントルマン階級に属する人たちがどうやって生計を立て、殺人犯として服役した者がどう服役し、釈放された後どうなるのかの一例を見ることができる。書く方も書く方だが、訳する方も訳する方だわ…… 大変すぎる。

事件のあった家のレディたちにほとんど事情聴取ができない、というのも、現代人にしてみたら驚き。現代だったら「そんなの捜査になってないじゃん! そんな警察でいいのか?!」と思うが、当時の人たちからすれば「きちんとした家庭の令嬢に私生活のことを聞くなんてとんでもない! 警察というのは下卑た仕事だ!」ということになる。DNA鑑定で親子関係が判明したとか、誰に誰の退役が付着していただの、幼児虐待の生々しい証拠が発見されただのということが明かされてでも事件の真相を解明することをおおむね良しとする現代の心性と、真犯人を挙げるためとはいえ個人の内面や家族の歴史に踏み込んでゆくのに躊躇するヴィクトリア朝の心性の違いが興味深い。とはいえ、当時も新聞はケント家のことをあれこれ書き立てたし、大衆は微に入り細を穿って知りたがり、自分の推理を披露したがったので、現代の事件報道や推理小説の土壌となる心性はすでにあったわけですね。私はやっぱり、自分はミステリの人じゃなくて歴史学の人だなあ、と思ったのは、事件そのものより、それがどう報じられ、世間がどう反応したのか、その後ケント家の人々がどうなったのか、刑事というものの社会全体の中での位置づけ等のほうに興味があるというところ。謎解きにより興味のある人にとっては、後半はなくてもいいと感じるかもしれない。

読むだけでも大変な本だが、肩こりと眼精疲労をおしてでも読む価値のある本でしょう。ヴィクトリア朝関係については精通している日暮さんさえも「これを訳してみて、ヴイクトリア朝について知らないことがまだまだたくさんあることを思い知った」と言ってましたが、確かにその通り。裁判の時、被告は証言できないなんて知らなかった……ううう、ロシア帝国の裁判のほうがマシ

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