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2011年5月27日 (金)

日本英文学会&松本零士直筆サイン車両@小倉

ああっ、もう一週間経ってしまう。先週末、第83回日本英文学会というところにお招きいただき、北九州市の小倉に行ってまいりました。今まで西洋史系の学会(だいたいにおいて規模が小さい)しか知らなかったので、引き受けた後になって、ここが日本の文系の学会では有数の規模と権威を誇る学会であることを夫から知らされ、蒼白になったのですが……。というかですね、一年も前にシンポジウム(しかも、一つじゃなくていっぱいある)のテーマが決まってて、びっくりするような丁寧な依頼のお手紙が届くという、西洋史じゃ考えられない状況に接した瞬間に気が付くべきでした 宮廷に出てきた田舎騎士みたいなものですよ……

JR→JR→モノレール→飛行機(ぎゃ~怖いよ~)→地下鉄→新幹線(わ~い九州新幹線だ~←何だこの飛行機との扱いの違いは)→モノレールで、会場の北九州市立大学に到着。東京から行くと遠いよ。モスクワとペテルブルクより遠いよ。別に私は一日目は出る必要ないんだけど、せっかくなので聴講したいシンポジウムがあったので行きました。北九州市立大学は、正門前にナゾの黒いオベリスクが立っていて(何の解説もない! なにこれ怖い)、本館がカッコイイ。この本館がどのくらいカッコイイかというと、学会の二日目、映画の撮影隊が来てたくらいだ。モノレールを挟んだ向こう側が競馬場で、モノレールが駅に着くと競馬っぽい人と学会っぽい人がぞろぞろ降りてきて、改札で真っ二つに分かれる現象が発生。まあ、どっちも地味でちょっとお疲れ気味という意味では、さほど大きな違いはないかもしれませんが

私が参加したシンポジウムは二日目午前、テーマが「ポストヒューマンの文学表象 ─動物・近代・テクノロジー─」というもの。講師は大阪大学准教授の石割隆喜さん、慶応大学准教授の大串尚代さん、そして不肖わたくしめ。本当はお茶の水女子大学教授の竹村和子さんもいらっしゃるはずだったのですが、健康上の問題で実現しませんでした。残念ではありますが、病人として言わせていただければ、とにかく何よりも健康第一ですよ。ご快復を祈って全力で念をお送りいたします。当シンポジウムの影のフィクサーは立教大学准教授の新田啓子さん。若島正さんの出てるシンポジウムの裏番組だったのですが、開けてビックリでけっこう大勢集まりました。内容は……かなり多岐に渡ったので、説明は勘弁してください。やっぱり文学系の人のフーコー評価は高いなあ。史学の人は、フーコーに影響は受けつつも継子扱いですからねえ……。史学は「初めに史料ありき」ですんで。文学系の人にはちょっと不愉快な話をしてしまったかもしれません。すいません

私は話の流れで「作家が自作のテーマとか、『読者に何を伝えたかったのか』についてゆたら雄弁に語ることがけっこうあるけど、そんなことを語ったところで『何故その小説を書いたのか。その動機や発想の根源は何だったのか』について説明したことにはならない。フィクションは誤読され得るものなのだから、『考えを伝える』ためにフィクションを書くのはナンセンスではないだろうか。小説を書くというのは、書き手にもコントロールできない無意識的な『何か』の要素が大きいと感がえている」(+それについての補足説明)という話もしたんだけど、二日目午後の特別シンポジウムで平野啓一郎さんが、まさにこの「執筆の真の動機の説明にはならない饒舌な語り」をやってて、ちょっとこのシンクロニシティには驚かされました。そう……いくら作家が自作を語っても、「何故小説を書くのか。その小説はどこからどうやってやって来たのか」の説明にはならないのだ……

が、自分の出番が終わって緊張が解けてきたら体調が悪くなり(SF大会の後とかもいつもこれだもんなあ)、特別シンポジウムが終わらないうち退散。いったんホテルに帰って、駅ビルで足裏マッサージをしてもらったらだいぶ解消しました。侮りがたしフットマッサージ。施術してくれた方に「なんかものすっごく疲れてないですか?!」って言われちゃった。ええ疲れてますとも……。座って喋ってただけなのに、何なんでしょうか、あの消耗は まあ、分不相応なところに出てきちゃった田舎騎士なんで、しょうがないですが……

で、話はさかのぼるけど、一日目の懇親会の前後のこと。

泊まってたホテルが小倉駅のすぐそばで、懇親会の会場のホテルがモノレールで二駅のところだったので、小倉駅からモノレールに乗ったんですけれどもね、それが何と! 銀河鉄道999車両だったのだ!!

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そう、小倉は言うまでもなく松本零士の出身地! 999モノレールがあったところで何の不思議もない。だけどやっぱり実際遭遇するとアドレナリンが噴出しますよ。大興奮ですよ。あわててケータイのカメラを構えると、私のすぐ後ろにいた知的な感じのメガネの女性が「あのサイン、本物ですよ」と教えてくれた。

「ええっ!! ほ、本当~?!」と、ろくにお礼も言えないままさらに慌ててカメラを構える私。

201105211

うわ~。これ、ブリントとかじゃなくて直筆なんだ! やっぱり何としてもこの車両乗りたいじゃないですか。だもんで、ほんとにもう超慌てて必死に撮りましたですよ。メーテルさんや鉄郎ももちろんいたけど、さすがに反応の遅いケータイカメラで撮って自分も乗るのはムリでした。降りた時もあっという間に去って行ったので、ブレまくったなんだか分からない写真になってしまいました。でもサインは撮れましたよ~。あの時教えて下さった方、本当にありがとうございます(平伏)。ちゃんとお礼も言ってなくて申し訳ありません。でもおかげさまで写真撮れましたよ~! 

懇親会の会場では巽孝之さんがSF大会では見たことないくらい酔っ払ってました。わりと学会ではこうらしい……。それは学会よりSF大会のほうが緊張しているということですか先生?!

そして実は、懇親会の帰りも999車両だったのであった。21日午後~23日午前の間小倉にいたけど、999車両を見たのはこの時2回だけ。ああ……うれしい……

23日は倒れないようにゆるゆるとチェックアウトし、ゆるゆると福岡に行って、あんまりあっちこっち歩き回らないでどこかピンポイント的にちょこっとだけ観光しようと考えてました。実をいうと学会のことしか考えていなかったので、福岡の地図さえ持っておらず、というかそれ以前に……すみません、白状します、実は博多=福岡ということさえこの日初めて知ったのであった(大恥)。博多駅って、新大阪とか新神戸みたいなものだとばかり思っていた……。案内所で教えてちゃんの旅と化し、太宰府だけ行きました。今さら学問のカミサマにお願いしに……って、遅い? ムダ? 福岡に戻ってから何の情報もないまま勘とシチュエーションだけで選んだ「那の福」でとんこつラーメンを食べる。ここ、帰ってきてから調べたところ、評価は特に良くもなければ悪くもない様子。理由は「味が万人向けだから」。美味しかったからいいじゃない、と私なんかは思うけど、銀河系一のとんこつラーメン激戦区では、ただ美味しいだけじゃダメらしい。厳しいなあ。

しかしこれで九州の旅もつつがなく終わるかと思いきや、最後の最後で大悲劇が発生したのであった。小倉駅、博多駅でたくさん売られていた九州新幹線全線開通記念お菓子、メンドウなので空港で荷物を預けてから空港で買おうと思っていたら……間抜けすぎる話なのであまり言いたくはないのだが……空港では売ってなかった……orz 「観光地の限定お菓子」というくくりでしか認識してなかったけど、よく考えたら、新幹線はヒコーキのライバルなのだ。空港で売ってるわけがない……orz 新幹線パッケージのながーーーいプリッツとか欲しかったのに……

というわけで、これから空路で福岡に行く諸君に警告する。 九 州 新 幹 線 グ ッ ズ は 博 多 駅 で 買 う よ う に ! 

ともあれ、普段漠然と考えていたことを改めてまとめ、いろいろ勉強できたので、英文学会の皆様には大変感謝しております。ありがとうございました。また何かの機会があったら勉強させていただきたいです。 

2011年5月15日 (日)

これはヒドイ(泣)>上野エキュート

昨日、全店開業したエキュート上野(上野駅の駅ナカショッピングモール)をやっと見た。ううむ。これはヒドイ。部分的にオープンしていた時はこんなになるとは想像していなかった……

すっかりキレイでオシャレになっていたし、まだどこのデパ地下にもない珍しいお店も出店していて、一見いいことずくめのようなのだが、実際にはこれはかなりまずいのではないかと思う。何故かというと、通勤客や子供連れをまったく相手にしていないからだ。完全に「よそゆきの場所」になってしまった。いったいどういう客層を想定してるんだろう? なんというか、「近隣の県からコンサートや美術館のために上野に来て、ちょっとこじゃれたお食事をして、他じゃ手に入らないスイーツを買って、セレクトショップの小物もついつい買っちゃいました!」みたいな20代、30代の女性がターゲットな感じというか。そんな客、上野駅を通過してゆく利用者の何パーセントだろうか……?

JR上野駅の利用者は1日18万人ほどだという。でもこれはJRの改札を通る人の数であって、乗り換え客は含まれない。例によって目算とか概算がニガテな私には、平日にはいったい一日何万人の通勤者が通り過ぎ、休日には動物園やアメ横に行く何万人親子連れが来るのかまったく分からない。少なくとも、200円を超えるクロワッサンをコーヒーつきで日々何のためらいもなく買える人たちより、乗り換えの合間に500円以内でお昼を食べたいというサラリーマンとか、セルフサービスのカフェで安いコーヒーを一杯だけ飲みたい乗り換え客とか、子供と一緒に食事ができて一息つけるイートインを必要としている親のほうがはるかに多いというのは想像がつく。改装前の上野駅ナカでは、ベックスカフェとかイートインとか、時間帯を問わずいつでも人でいっぱいだったし。

しのばず口のショッピングモールも通勤客や親子連れを相手にしてないこじゃれた場所になってしまった今、「普段の利用者」はどうしろというのだろう。まあ、上野エキュートを目当てに人が来てくれたらと思ってああいうよそゆきのお店をたくさん作ったんだろうけど、普段の利用者の切り捨てっぷりがひどすぎるのではないだろうか。決算してみたらなんかおかしい、なんてことにならないだろうか。

別に、よそゆきな珍しいお店があったっていいのよ。でも、日常の利用者たちの場所も確保しておかないと、ただでさえ利用者数が毎年減っている上野駅って、ほんとに衰退するんじゃないだろうか。普段使いの利用者たちがほかの駅周辺で日常の買い物や食事をするようになったら、その分はエキュート上野を目当てにたま~にやってくる客が落とすお金でカバーできるのだろうか。

誰が企画して誰が許可したんだろう。私が通学してる頃はこうじゃなくてよかった。もっとも、当時は駅ナカ自体存在しなかったけど。当時はいったいどこで休憩してたんだろう……と考えてみたけど……あれ、どこにも行ってない気がする……。そっか、当時は20代前半だったので、土浦~茗荷谷間の通学で休憩する必要自体感じてなかったのであった。私が年を取ったってだけの話か。うわ~ん いやなことに気づいてしまったよ……orz

2011年5月 8日 (日)

痛茶とシュルレアリスム

今年のゴールデン・ウィークのトレンドは近場だ!ということで、うちも近場で過ごしております。

……嘘です。今年だけじゃなくて、毎年近場です。

しかし、近場も近場、一番遠くまで行ったのが六本木というありさま。いいのだろうか、こんなことで。いや、別にいいんですが……

で、何しに行ったかというと、もはや会期末で待ったなしの状態になった「シュルレアリスム展」を見に国立新美術館に行ったのです。六本木は何故か21世紀になってから私にとっては常に結界が張ってある場所になってしまい、20年以上前から知っているはずのサントリー・ホールにもまっすぐたどり着けなくなって、ごくわずかの距離をタクシーで移動するような真似を何度もやっているナゾの場所。今回は井上が珍しく電車を間違え、もうこうなったら「歩いて東京を把握する」の一環ということにしようというわけで、渋谷から六本木まで歩いたのであった。井上にとってはこの道は中高生の時の通学路なので(普通の生徒は地下鉄で通学する。彼が何故歩いたのかは不明である)、よく知っているという。私は東京はほとんど「路線と駅とその近所」という形で把握していたので、こういう移動は初めてでした。

やっぱり東京はあちこちで小さな工事をやってますね(うちの近所もだけど。というか、うちのマンションも補修工事中ですorz)。渋谷の金王神社に至っては、一の鳥居にひびが入って、二の鳥居は倒壊。石垣に「災害時はここに集合し云々」と書いたプレートが取り付けてあるんだけど、そこを上ると根元しか残ってない鳥居があるという……

渋谷駅から国立新美術館までは道なりで3キロ半ほどだけど、見るべきものが特になくて退屈なので、妙に疲れる感じはする。が、途中で立ち寄ったコンビニでこんなものを発見。

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コミケ限定発売だったという「痛茶」。おお……こっ……これは確かに痛いw でもかなり萌えじゃないですか。絵師は西又葵さん。中身はやや大味な麦茶系ブレンド。けっこう値引きしてあったし、要するに在庫処分なんだろうけど、何故こんなそっち系の人が全然来なさそうな六本木の片隅で売っているのかはナゾ。痛茶を飲んでつまらない高架下通りの疲れを癒し、我々はまた国立品美術館に向かって歩くのであった……

しかし、シュルレアリスム運動っていうのは、あれですね、運動のコンセプト自体に一番意義があったのであって、必ずしもその運動の中から生み出された作品がどれもこれも魅力的というわけではない。今回の展示は特に、うちではあんまり評判のよくないアンドレ・マッソンの作品をやたらとたくさん持ってきているので、なおさら「シュルレアリスムってこんなもんか~?」感が強い。マグリットやマン・レイ、ダリはシュルレアリスムという運動がなかったとしても充分評価されただろうし、デュシャンは作品自体より、その「やったもん勝ち」の一発芸が勝負なわけだし(もちろん、デュシャンは「やった」ので「勝った」わけですが)。

シュルレアリストを名乗っていたわけではない、運動の周縁の画家の作品もあるんだけど……ごめん、正直、そっちのほうがよっぽど魅力的だったりする。ミロがどんだけ天才かよーく分かった……。美術に限らず、文学や映画もそうだけど、シュルレアリストを名乗らなかった人たち、むしろシュルレアリスムを嫌っていた人たちの作品でも、実際にやってることはシュルレアリスムと何が違うんだ、という作品は多い(コクトーもそうですが)。しかし、もしあのセンセーショナルで世界の目を引いたシュルレアリスムという運動がなかったら、彼らが評価される時代はもっと遅かっただろうし、彼らの創作意欲と評価される時代がずれることによって閉塞を生じていたかもしれない。それを考えると、すっごく魅力的という作品は多くはないとしても、やはり「シュルレアリスム運動」というもの自体に大変大きな意義があったのだと分かる。

……んだけれども、やっぱりカッコよさで言ったら未来派とかドイツ表現主義のほうが上だし、何と言ってもロシア・アヴァンギャルドのカッコ良さがダントツだよね。しかし、ロシア・アヴァンギャルドって、なんであんなに強烈にカッコいいんだろう。

帰りはフツウに電車で帰る。うちに帰ってから調べたら、痛茶って緑茶もあったのだそうだ。

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