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2011年4月18日 (月)

【震災関係】プロコフィエフからの震災見舞い

16日、日本ユーラシア協会文化サロンの第一回として、プロコフィエフ生誕120年記念の講演と映画上映があったので、行ってきました。でも行く前から大きな余震sweat02。うぐぐぐぐぐぐぐ。少なくともインシュリンだけは「一日、二日は帰ってこられない」装備で出かける。しくしく。

前半は沼辺信一さんの講演で、プロコフィエフのソ連帰還の経緯とその謎について。後半はプロコフィエフが初めて映画音楽というものを手がけた作品『キジェー中尉』(1934年、アレクサンドル・ファインツィンメル監督)の日本初上映。

『キジェー中尉』は、普通、日本では『キージェ中尉』と表記されるけど、ロシア語のアクセントとしては「キジェー」が正しいようだ。英語やフランス語で表記される時は最後の「e」にフランス語のアクサン記号がついてて、確かにこれだとフランス語でも「キジェー」だよねえ(ちなみに映画の中では「キジェーの先祖はフランスからの移民でして」というセリフがある)。でもなんか「キジェー」だとおさまりが悪い気がするのよねえ。ただの刷り込みかもしれないけど。でもとりあえずこのエントリの中では「キジェー」に統一します。……忘れなければね。

映画のストーリーは組曲の解説にある通り。昼寝の邪魔をされた皇帝の怒りをそらすため、廷臣たちが架空の「キジェー中尉」をでっちあげて罪をなすりつけようとする。が、皇帝のきまぐれでキジェーはシベリアに送られたり、呼び戻されて女官と結婚させられたり、昇進したり。めんどくさくなった廷臣たちがキジェーは死んだことにすると、キジェーの葬式まであげられる。ブロコフィエフが五曲からなる組曲にした方ばかりが有名で、映画のほうは「そういえばそんなものもあったっけね」的な扱いになりがちで、日本ではほとんど誰も見たことのないシロモノ。で、実際に見てみると、「そりゃわざわざ上映したりDVDにはしないなあ」というお品物でした。

はっきり言って、だるい。何よりも、長い、長いよ! 長すぎる。このネタでよくも80分もやってくれたね。これ、プロコフィエフの音楽を要として20~30分の短編にびしっとまとめたら、今でもけっこう名作と言われていたんじゃなかろうかと想像。トーキーというものができたばかりの時代の作品なので、セリフや音楽を入れた映画をどうやったものか誰もつかめていない感じで、プロコフィエフの音楽も、組曲の何分の一かしかない。組曲の中に取り入れられたライトモチーフがちょっと出てくるくらいの感じ。『スター・ウォーズ』のCD二枚分のサントラとかに慣らされた現代人には衝撃なのだが、組曲はながーーーい映画音楽のいいところを取ってコンサート・ピースとしてまとめたんじゃなくて、映画にちょびっとだけ取り入れられた音楽を発展させて拡大したのが組曲なのだった。

でも、ストーリーにはロマンスあり、女の見栄や官僚の事なかれ主義、コメディ、権力風刺といろいろな要素があってなかなか面白く、こんなダルイ映画にしちゃったのがつくづく惜しまれる。スターリン時代によくこんな権力批判の映画を上映できたなあと思うけど、実は30年代前半というのはまだそういう時代ではないとのこと。この監督はその後は「沈香も焚かず屁もひらず」的な映画作りを続けたおかげで、特に何のおとがめもなく(かといって特別な名誉もなく)スターリン時代を生き延びたという。なるほどね。

井上はこの字幕つくりのために、モスクワの国立映画保存所で正式に台本を複写させてもらったんだけど、そこまで労力を費やす必要があったのか?!というくらいダルい映画でした。ネットに英語字幕の動画が出回ってるけど、これがまたあちこちに誤訳があるんだって。けど、字幕を台本から起こしてちゃんと上映したからこそ、それを見た我々は「いや~、あの映画ね、実際にみると名作には程遠くて……」とか、偉そうに語る権利ができたというものです(笑)。そこは喜ぶ所かどうか分かんないですけど。

で、話が前後しましたが、前半は沼辺信一さんの講演。プロコフィエフは生涯にわたって詳細な日記を書き続けた人ですが、ソ連帰還後の日記(全部ではない)が21世紀になってからやっと出版されたばかりで、最近になってから分かってきたこともたくさんあって、これからプロコフィエフ像は大きく変わってくるかもしれないとのこと。

プロコフィエフは1918年にアメリカに渡る途中で日本に立ち寄った際、徳川家の末裔で私設のコンサート・ホールや音楽図書館を持っていた文化人である徳川頼貞や、音楽評論家大田黒元雄らと交流している。1923年に関東大震災が起こった際、パリで活動していたプロコフィエフの元にそのニュースが届くや否や、彼は徳川や大田黒に当てて、英語でとても心のこもったお見舞いを出している。徳川らが受け取った現物は残っていないけど、ブロコフィエフという人はこまごまと日記をつけてただけじゃなくて、人からもらった手紙はもちろん、自分が出した手紙の下書きとかもぜーーーーーーーーんぶ何でもかんでも取っておく人だったので、日本に当てた手紙も下書きが残っているのだった。

今この時期にその手紙を読むと、なんか今の我々をプロコフィエフが心配してくれているみたいでちょっと嬉しかったことです。

イベントの後は青山の飲み屋で宮城の「浦霞」を飲みながら原発の話。浦霞で酔っ払ってて、みんななかなか原発の名前が出てこないのだった……

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