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2011年3月30日 (水)

【震災関係】セルビアから、ゾラン・ジヴコヴィチ氏のメッセージ

『新東欧SF傑作集(仮)』のセルビア代表の収録作家で、以前こちらのブログでも紹介した『ゾラン・ジフコヴィッチの不思議な物語』の著者、ゾラン・ジヴコヴィチさん(表記の違いについてはリンク先を参照)から、日本の読者さんたちに震災お見舞いのメッセージをいただきました。イラストレーターのYOUCHANさんが「ぜひ、日本の読者に何かお言葉を」とお願いしたところ、さっそく心のこもったメッセージをいただいたとのことで、二人で相談の上、こちらに転載させていただくことにしました。YOUCHANさんから貝澤治子さんの翻訳つきで送っていただいたので、自分の文体に持って行きがちな作家の訳文じゃなくて、そちらをそのまま転載いたします。

My dear readers and friends from faraway Japan,

I would like you to know that all of you, the wonderful people of
Japan, are constantly in our minds and hearts in Serbia, in these
times of a terrible catastrophe. I wish I could personally do
something - anything - that would be of any practical help to you...

If I ever write a new book, it will be dedicated to all of you, the
Japanese people, who so magnificently showed the rest of the human
race how a great nation survives a disaster of huge proportions.

I love you all.
Zoran Zivkovic

遠い日本の親愛なる読者と友人の皆様

この大変な大災害のとき、わたしたちの想いと心は日本の素晴らしい方々とともにあることをセルビアからお伝えします。
私個人でも、なにかお役に立てるようなことならどんなことでもしてさしあげたい、と心から願っております。

次の新しい本が書き上がった際には、日本の皆さんに捧げられる事になるでしょう。
重要な国がこれほどの規模の災害を乗り越えることができるかを、これほどまでにも堂々と世界中に示す事ができる人たちですから。

みなさまに愛を込めて
ゾラン・ジフコビッチ ( 貝澤治子 訳 )

ジヴコヴィチさん、YOUCHANさん、貝澤さん、ありがとうございます。ジヴコヴィチさんのような尊敬すべき方から日本を誉めていただけるというのは大変名誉なことですが、それがこういう機会だというのが申し訳ないですよね……。でも、こういう時、「言葉」ってほんとに力があるなあと思うことです。

今まで、交流のあるロシア、ヨーロッパの作家、エージェント、出版社の方々から私個人に対してだけじゃなくて日本全体を心配し励ますメールをいただいてますが、それを公開したり日本の読者にメッセージをと呼びかけることは考えていませんでした。英語不可の方とか、短いメッセージを何度も送って下さる方とか、アンソロジー収録予定国の中には作家がすでに亡くなってるところなんかもあって、不用意に文章だけ公開すると、まるで国によって温度差があるみたいな印象になりそうだったので、それはよくないと思った次第です。テレビでも番組によっては、芸能人たちがいかにステキなメッセージを送るか合戦になっちゃってるところもあるし、ああいうのはいかんな~と思うことです。

今回は上記のような経緯でジヴコヴィチさんのメッセージだけを公開しましたが、公開したことが例外であって、メッセージをいただいたことが例外ではないということは念を押しておきます。

やっぱり、チェルノブイリを経験している旧ソ連の人たちは気になっているようで、何度もメールをくれますね。原爆を経験した我々日本人がチェルノブイリを心配した時と気持ちは似ているのかもしれません。とにかく、一刻も早く「大丈夫だったよ~!」という返信ができる日が来ることを祈るばかりです……

2011年3月25日 (金)

【震災関係】岡倉天心の六角堂消失について(ボストン美術館からのメール)

あまりにも大きなニュースが多いので完全に埋もれちゃってる感じの、茨城・五浦の六角堂被災の件。日本人でも大半の人が知らない(すいません私も一週間以上経って初めて知りましたorz)。ここまで災害が大きいと、人間でさえ「被災してます!」と自ら声をあげない限り気づいてもらえない。実際、茨城ってもろに被災地で、ガスも水道も復旧していない地域もあるにもかかわらず、最初の計画停電では停電する範囲に入れられちゃってたほどなのだ。誰かが情報を発信しないといけない。というか、何も言わなくても察してね、っていうこと自体がムリでしょう。

というわけで、関係者でもないのにイタいお節介である可能性もあったけど、なんかあまりにも悲しかったので、六角堂消失の件をボストン美術館に通報してみました。地元の人はみんな非常にショックを受けているので、もし可能だったら、五浦美術研究所になんかメッセージを送ってあげてください、と。

そしたら、アジア部門のAnne Nishimura Morseさんから「五浦美術研究所と連絡が取れていて、お見舞いのメッセージをお送りしました」という返信をいただきました。彼女も六角堂は訪れたことがあり、大変悲しんでいるとのこと(メールのフォーマットによって受取人、差出人に混同があったので訂正しました)。あとで読み返したら自分語りがウザイので一部削除しました。

常磐線は未だ土浦まで。「運転本数五割程度」ということになってるけど、なんか実際にはもっと少ないんじゃないかという話も。ところでそぼくなぎもん、Googleのこのページつくばエクスプレスの「首都圏新都市鉄道」項目自体がないのはなんで?

2011年3月24日 (木)

茨城県民の歌@初音ミク

初音ミクに「茨城県民の歌」を歌わせてみた

子供の頃、球技大会とか宿泊学習(でも泊まるところはうちの近所の西友の看板も見える激近の水郷の国民宿舎だったりする)とかで歌わされて、ダサイなあとしか思わなかった。まさかその茨城県民の歌を聴いて泣く日が来るとは思わなかったよ……

現在、那珂湊のおさかな市場消滅。梅の季節を迎えた偕楽園も、地面が割れてて閉園中。県北の避難所では、福島から避難してきた人たちに場所を譲るため、茨城の人たちは無事だった近所の家や親せきを頼って移動したりしている。福島の人たちも恐縮しちゃってて大変らしい。土浦はガス一部復旧。まだ完全ではない様子。

2011年3月22日 (火)

【震災関係】六角堂も消失

茨城は常磐線は土浦まではかろうじて通ったものの、実際には何かあったらいつ止まってもおかしくない状態という話もある。土浦から先は開通していないどころか、モノスゴイ状態。水戸~勝田間の線路の状態の写真が公開されたけど、それこそ「ザ・被災地」というありさま。水戸は駅の両側をつなぐ通路が昨日やっと通れるようになった。けど、駅ビル「エクセル」はまだまだ修復が進んでおらず、いつ開業できるか不明らしい。水戸線、水郡線、鹿島線は未だに全面不通。

北茨城市とか、救援物資が福島に回されちゃってろくにも届かないとも聞いているけど、今は大丈夫なのだろうか。

北茨城と言えば、地震直後にこういうニュースが出ていたらしい。もっと大きなニュースが続いた時期なので私も全然気がつかなかった。

岡倉天心ゆかりの文化財「六角堂」、津波で消失

文化庁の12日午後6時現在のまとめによると、岡倉天心ゆかりの登録有形文化財「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)が津波によって消失するなど、9都県で21件の文化財被害が確認された。

 六角堂は天心率いる日本美術院が北茨城に拠点を移す際、1905年、思索の場所として天心が自ら設計した。

 ほかに、仙台市の重要文化財「東照宮」で、門や鳥居の礎石がずれたほか、茨城県常陸太田市の史跡「水戸徳川家墓所」では、墓碑が倒壊するなどの被害が出た。

(2011年3月12日20時22分  読売新聞)

六角堂は公式サイトにはまだ情報は反映されていない。それどころじゃないのだろう。管理しているのは我が母校茨城大学だが、三つのキャンパスのうち二つが県北にあり(日立と水戸)、新学期に向けての準備で相当大変なことになっていると思われる。震災後の見て来た人は「もう土台しか残っていないし、あたりの景色も変わってしまった」と言っているそうだ。

もちろん住民が一番心配で、彼らができるだけ無事で今後可能な限り今まで通りの生活に戻れるんだったらあとはどうでもいいとも言えるのだけど、でもこれはショックでした……

2011年3月21日 (月)

予知能力王座決定戦!

友達のお母様@郡山は、3月10日、なんか急にトイレットペーパーとかの在庫を確認したくなり、来週行ってもいい買い物にすぐに行きたくなり、あれこれ買い込んで冷凍冷蔵庫満杯の状態で地震発生だそうです。

私は本当は11日に行くはずだった実家@茨城行きを10日にし、11日も都内お出かけの直前にもたついて出かけるのが遅れた状態で地震発生だったんですが……さすがにこれには負ける 妹は前日に携帯電話の電池式バッテリーを購入。地震当日はケータイナビで自宅まで歩いて帰宅。でもやっぱり郡山の友人母には勝てない。

何しろ友人実家はそれで、地震の翌日、断水してても夕食は高級ステーキだったそうですからw すごい。負けるわ。

ちなみに土浦の雀は10日には姿を消し、板橋区の私の知ってる飼い犬、飼い猫は地震発生の瞬間まで全然様子変わらずだったらしい。飼い主に献身的で賢い犬の代表、ジャーマン・シェパードさえも……

というわけで、予知能力王者は友人のお母様@郡山に決定。サンプル数については言及しないでくださいwww 

2011年3月20日 (日)

加藤保憲が北方領土で暴れる日

ロシア非常事態省:千島列島の約1万1000人避難-東北・関東大地震
3月11日(ブルームバーグ):ロシア非常事態省は11日、東北・関東大地震を受け、千島列島の約1万1000人を避難させたと発表した。

同省がウェブサイトに掲載した声明によれば、地震に伴う津波が4つの町を襲うリスクがある。千島列島の津波警報システムにより、状況は「コントロール」されているという。

ロシア、日本と領土問題協議を行なう用意を表明
ロシアのラブロフ外務大臣が、「ロシアは、領土問題を解決し、平和条約を締結するため、日本と協議を行なう用意がある」と語りました。
専門家は、「この発言は、現状において、日本とロシアの関係改善を促すものになる」と見ています。
ファールス通信によりますと、ラブロフ大臣は、15日火曜、NHKのインタビューで、「ロシアと日本の領土問題については、我々は平和条約の締結に関する協議を継続する用意があり、この問題に対して強い関心を持っていると言わなければならない」と述べました。
ラブロフ大臣は、14日月曜、自ら、在ロシア日本大使館を訪れ、地震と津波の犠牲者に哀悼の意を表しました。
ロシアは、日本の地震被災地に、いち早く救助隊を送っています。
専門家によれば、現在の危機的な状況の中で、日本政府がロシアの支援を受け入れたことは、今後、両国の関係改善を大きく促すものになるだろうということです。
ロシア外務省の関係者は、「日本での災害が、ロシアと日本の緊密化、両国の領土問題の解決を助けるものとなるよう期待している。アメリカ同時多発テロ事件の際には、ロシアとアメリカの関係が改善され、ポーランド元大統領が乗った飛行機が墜落した際には、ロシアとポーランドの関係が改善した」と述べています。

へ~。

風が吹けば桶屋が儲かるかもしれませんね。もちろん、日本政府と外務省がちゃんと立ち回ればの話だけど。

ラヴロフ外相の話だけだったら「ほ~ら、ロシアと平和条約さえ締結してれば、ロシアだってアメリカみたいに支援のためにロシア軍を送ることだってできたんだよ~。だから我々の言うとおりに(以下自粛)」っていうおd……ええとその、何か婉曲的な表現はないかな……その、「ひとつの提言」という可能性もあるけど。

でも、もし今、北方領土でM8クラスの地震が起こっていろいろ倒壊して人的被害が出て津波が襲ってきたら……

本来あるべき形で平和条約が締結できるかもね……

誰か、加藤保憲の連絡先知りませんか? 茨城になら平将門の子孫とかいそうですよw 式神の調達等、必要なことがありましたら、神職にある友人をご紹介いたします。幸田露伴や寺田虎彦は、とり会えず作家仲間の有志で抑えときますんでw

2011年3月19日 (土)

被災者をロシアに受け入れ?

被災者をロシアに受け入れ=治療、再就職も-メドベージェフ大統領

【モスクワ時事】ロシアのメドベージェフ大統領は18日、東日本大震災の被災者をロシアに受け入れ、治療や再就職のあっせんを行う用意があると表明した。インタファクス通信が伝えた。
 大統領は安全保障会議で、被災者への人道支援物資提供以外に、「日本の子供たちや負傷者をロシアの休暇・療養施設に受け入れ、治療や心理的リハビリを行うことも検討する必要がある」と強調。また、「必要があれば、シベリアや極東の人口過疎地で日本人の労働力を活用することも考えるべきだ」と述べた。
 ショイグ非常事態相は、外交ルートで負傷者の治療受け入れを日本側に提案したと大統領に報告した。(2011/03/18-23:19)

え、ええと……

メドベたんありがとう……。100%善意なのだと信じるよ。うん、信じるとも。

だけど正直……

それは日本には言ったらあかんわ……

大陸では何千年も前から(というか、人類にまだ文明もへったくれも無いような頃から)、戦争や天変地異があると陸続きでどどっと人口が移動し、それを受け入れるのが普通だったのは知っている。今でも遊牧民いるしね。土地に対する感覚も島国日本とはだいぶ違うものであるらしいことも、私にもうっすらとは分かっているよ。でもね、同じ大陸の人相手にこういう提案をするのと、日本に提案するのとでは、受け取り方が激しく違ってしまうというのも分かって欲しい。

気象が過酷過ぎて言語がワケ分かんない、そして法律も慣習も食べ物も違うシベリアに渡るより、東北を再開発するほうがずっといいです……

しかし、日本人にもシベリアに対するロシア的な感覚というものを少し知っておいてほしい。

ヨーロッパ・ロシアの人々にとって、「シベリア」というのは単に「流刑地」というイメージではない。特にモスクワやペテルブルクのような都市部の人たちにとっては、ある種の自由な新天地という憧れをもって語られる場所でもあった。そう、昔の「東京で行き詰ったら、北海道に駆け落ちして酪農をすれば幸せになれるさ」みたいな感じ。それのもっとスケールの大きいやつというか。ああ、あとあれね。「オレは満州に渡って馬賊になるんだ!」みたいなの。

狭苦しい都会では、人間はみな身分や階級に縛られて、ささやかな給料のために毎日お勤めしたり、ちまちました商売で日銭を稼いで、見栄を張った人付き合いだのに神経をすり減らして生きている。でも、そんな都会人の中にも、何にも縛られずにゼロからすべてを立ち上げるような野性的で自由な生き方をしたいという始原的な熱望がある。それが実現できる場所がシベリア。それこそコサックのように豪快に生きられる憧れの新天地という感覚であるらしい。

ロシアのひたすら真っ平らで、ところどころの森以外何もない平地を車で何時間も走っていると、日本やヨーロッパとはまったく違う、何とも言えない独特な感覚に襲われる。ロシア語の「タスカー」は、辞書的な意味では「憂愁、寂寥感」等としか書かれていないが、どうやらこの「タスカー」というのは、このロシアの平原の只中にいる時のあの感覚と結びついた意味があるらしい。確かに、あの何もないところにいると、世界から隔絶されてしまったような寂寥感に襲われる(実際、エンジンが止まったら「ドライブ」から一気に「遭難」にw)。でも、その彼方に、何というか、もっと人間本来の生命力とか豪快さを発揮できる自由な世界の存在感みたいなものはあるような気がする。オタール・イオセリアーニの映画『素敵な舟と歌は行く(Adieu, plancher des vaches!)』(1999年)って、グルジア出身の監督がフランスで作った映画で、実物のシベリアは関係ないけど、そういう意味の結末なのだと私は思っている。

ロシアの人にとって、「そこに住めなくなったら、自由なシベリアがあるじゃないか」と考えるのは、それほど不思議なことではないはず。

……なんだけど、日本人にとってのシベリアがどうなのかは、それとは思いっきり激しく強烈に狂おしいまでにものすっっっっっっっっごく乖離しているので、それはやっぱりムリだよ、メドベたん

「(上記のロシア的感覚を承知の上で)私だったらシベリアはナシだなあ」と言ったら、井上は「いや、僕だったらシベリア行きは案外ありだけどね」だそうです ……この人はロシア化してますので参考にしないで下さい。東京直下型地震を生き延びたら、うちはシベリア離婚かも

2011年3月16日 (水)

【震災関係】ロシア・ヨーロッパ各国からお見舞いと励ましのメッセージをいただいております

現在、ロシア・東欧アンソロジーの件で一緒に作業中のロシア、ヨーロッパ各国の作家、編集者、エージェントの方々から、私のみならず、日本のファンタスチカ関係者、日本全体に対するお見舞いと応援のメールをいただいております。

作家という、言葉を糧とした仕事をしてますが、今ほどその言葉というものの力を感じたことはありません。こうして誰かが思ってくれているということを言葉によって知るだけで、こんなに力づけられるとは。

東京の人間はせめて節電に励み、通勤ラッシュの負担になるような外出を控え、被災地や救援活動のためになることは見つけ次第、どんなに小さなことでも協力してゆきます。それも精神的なパワーがなかったら暗い気持ちになって挫折してしまうかもしれませんが、こうして精神的なパワーを他国から注入してくれる人がいるのですから、がんばります。

そして、充実感の得られる読書を保証する名アンソロジー(って自分で言っちゃうけど、本当なので)を必ずや日本で出版し、読む者の心の糧とし、ひいては復興の心の糧とし、そうすることによってロシア、ヨーロッパの友人たちの恩に報いたいと思います。

2011年3月14日 (月)

【震災関係】茨城も被災中!!!!

被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。微力ではありますが、何かできそうなことをちょっとずつでも見つけて、可能な限りのことをいたします……が、それでもあまりにも無力orz 

前のエントリのあまりの呑気さに愕然としますが、あの時、いかに「たいしたことじゃないんだ」と思い込みたがっていたのかが分かりますね。うちは夫の本の腐海がちょっと崩壊。私のプチ腐海は多少本が落ちてきたくらいでだいたい無事。後で本の落ち方を見たら、一番力がかかった方向が夫の腐海には負担が大きくて、私の腐海にはやや有利だったことが分かります。でもまだ、私の寝るスペースに本が積み上げてあって、ここ数日、一人分の布団に二人でぎゅうぎゅうと詰まって寝ているありさま。夫の腐海、根本的に「捨てるもの」を捨てないとどうにもならない気がする……

私はあの時、本当だったら二時出かけている予定でした。でも、午前中何だか変な感じに体調を崩し、その後パソコンやプリンタに次々と裏切られて必要なものがプリントアウトできなくて、気が付いたらとっくに二時半過ぎてる。もう予定の一個は先送りでいいや、国際交流基金のシンポジウムに直接行こう、と思ってまさに着替えようとしていたところでした。実はうちの母方のじいちゃんがこれとよく似た経緯で関東大震災を逃れている。ご先祖様ありがとうございます……。最小限のインシュリンしか持たずに着物着て新宿とか四谷とかにいなくてよかった……。とにかく、今後少なくともインシュリンに関しては「急なお泊り」も可な装備じゃないと外に出ちゃダメですね……。そういや9.11の後にはそうしてたはず。初心忘れるべからず。

ケータイがつながらない!のはやっぱりという感じではありますが、災害伝言ダイヤルもつながらないって、どういうことだ? そんなシステムになんの意味が……。うちはパソコンの前が必ずしも安全な場所ではないので(書架がまるごと倒れてきたらイッパツなので)、しばらく基本的にはテレビの前(ブラウン管じゃない薄型液晶テレビのありがたさがよーく分かりました)でニュースを見ながら待機し、頃合いを見計らってドアを開けてサンダルをはさんでおいたり、着替えたりインシュリンを全部持ち出せるようにしたり。生まれて初めて地震が怖くて泣いたけど、泣きながらもカラダは動いていて、子供の頃かったるいと思ってた避難訓練って、やっぱりやっとくもんだなあと感心したり。

一時間くらいしてパソコンを立ち上げたら、mixiはあっさりつながって、結局夫とはmixiで連絡を取り合いました。結局、夫は港区から板橋区まで徒歩帰宅13キロ。まあ、13キロなんてまだマシなほうだし、このヒトは普段からそのくらいは平気で歩くので、大丈夫ではありましたが、距離云々より、人がいっぱいいて、場所によってはラッシュ時の駅みたいになっていたのが大変だったらしい。

ガスは安全装置が働いてたけど簡単に復旧。近所のお弁当、パン類は払底(当たり前)。私が本をどけて寝る場所を作り終わった後、夫、10時半ごろ帰宅。ガスを使ってる間に余震が来たら怖いので、カップラーメン(めったに買わない、グレードの高いやつを買ってみました)だけとりあえず食べる。阪神大震災経験者の友人からmixiでアドバイスしてもらった通りの装備で寝る。

夫実家や義弟一家@千葉は無事。しかし、問題は私の茨城の実家。まったく報道されないので茨城の外の人は知らないけど、茨城も現在、被災中なのである。そりゃ今現在も津波が来ている地域や原発のほうが重要なニュースであることは間違いないけど、それにしても、ここまで茨城を無いもののように扱うのはあんまりではないだろうか。茨城県はほぼ全域で断水中です。少なくとも土浦市は完全に断水中。常磐線も取手以北にはいかないし。今のところ実家近辺には給水車は来ているし、近所同士で様子を見て無事を確認し合っているし、遺跡用の配達もそこそこ来るので、だいたい大丈夫らしいですが。県南はまだマシなほうで、県北では死者も出ているし、ライフライン等、県南よりもっと大変な状態になっている。

大規模な余震の可能性が高いうちにうかつに被災地に行くとかえって向こうに迷惑になりかねないのでまだ行ってないけど、今後の状況によって夫実家の車を借りて土浦に行くことは考えている。今はとにかく、県外の人にも、茨城も被災地なのだということを知っておいてほしいと思っています。

2011年3月11日 (金)

【震災関係】震度五強

もっとあったと思ってた。とりあえず無事です。今日の日露シンポジウムは欠席しますすいません>関係者各位へ。

2011年3月 9日 (水)

真の親日家

「沖縄はゆすりの名人」米の前総領事が発言?
米国務省のケビン・メア日本部長(前駐沖縄総領事)が昨年末、米大学生を対象にした講義で、沖縄県民について「(日本政府に対する)ごまかしとゆすりの名人」「日本人は合意文化をゆすりの手段に使う」などと発言したとの一部報道があり、県議会と那覇市議会は7日、「県民を侮辱している」として、米政府に発言撤回と謝罪を求める抗議決議案をそれぞれ8日の本会議に提案することを決めた。

「親日家のあの人が……」とショックを受けている日本人が多いと聞く。でも、所詮、エライ人の親日家なんて、こんなもんじゃない? 想像はつくと思うけど。ショックを受けてる人たちがいるということに驚く。

今日までの報道によると、どうやら「その場にいる人たち向けサービスで言っちゃった」的要素が大きい様子。まあ、あれですね、日本の国会議員が支持者相手の講演会で失言するようなものですか。だとしたら、メアさん、日本のメンタリティを身に着け過ぎだ(笑)。ある意味、真の親日家ですね(笑)。

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