オネエ系マラーホフ@ベルリン国立バレエ「シンデレラ」
昨日、友人から譲ってもらった権利でベルリン国立バレエの「シンデレラ」のゲネプロを見てきました。
ベルリン国立バレエは2004年にベルリンの三つのバレエ団を統合してつくられた、伝統もあるけど新しいバレエ団。現芸術監督(初代)はウラシーミル・マラーホフ。来日は5年ぶり。東京公演のオケは東京シティ・フィル。
今回の「シンデレラ」はマラーホフ版の変わりシンデレラ。変わりくるみや変わり白鳥はいろいろヴァリエーションがあるだろうけど、シンデレラは限界があるんじゃないかと思ってたら、「その手があったのか!」って感じでした。
第一幕はバレエのけいこ場でスタート。シンデレラ=平団員、意地悪な継母=芸術監督(女性)、意地悪な二人の姉=先輩バレリーナ、実の父親=メートル・ド・バレエ、仙女さま=元プリマの指導者という置き換え。先輩バレリーナの二人は男性が演じるパターンで、一人は飲んだくれ、一人は食いしん坊。この二人の役どころを男性が演じるのは珍しくないというか、現在はそれが主流になってるけど、ここではバレリーナという設定だけあって、二人ともポアントで踊るのだった。芸術監督や指導者たちは、ベルリン国立バレエのホンモノ。衣装デザイナーもホンモノ衣装の人がやっているという凝り様。
これからこのバレエ団にやって来る大スターのゲストダンサーが、次の公演のパートナーを選ぶのだという。二人の先輩バレリーナは自分が選ばれるんじゃないかと思っている。皆が休憩に入って退場するが、シンデレラは一人で練習をしている。が、疲れて途中で眠り込んでしまう。すると、夢の中に元プリマ=仙女さまが表れて、四季の精の踊りを見せ、夢の中の宮廷に連れて行ってくれる。もちろん(夢の中の)12時までには帰ってこなければならない。ここで普通に第一幕は終わり。
四季の精の踊りは初めて出てくるヴァリアシオンなので、オケとタイミングを合わせるために二度通し。この時に入れた代役のダンサーを使って、第二幕のパ・ド・ドゥの当たりもつける。演奏が普段やってるオケでないので、重要なヴァリアシオンとパ・ド・ドゥは念入りに仕込むわけですね。
第二幕第一場は、シンデレラの夢の中の宮廷。宮廷というか、様式化されたショウビジネスの世界というか。この場は曲の省略や順序の入れ替えをやって、ストーリー重視の展開に。舞踏会に芸術監督とメートル・ド・バレエ、二人のバレリーナ(ここではハイヒールで踊る!)、スターダンサー=王子、シンデレラの順で登場。ここで曲を第36曲、第32曲、第33曲の順で配置してグラン・パ・ド・ドゥの構成にしている(コーダは第二場のラストに持ち越し)。オレンジの場面すぐ後真夜中の鐘のシーン。シンデレラは退場するが、ここでガラスの靴を残すわけではないところがミソ。
第二幕第二場は、またバレエ団のけいこ場に戻る。シンデレラはうたた寝から目覚め、他の団員たちや指導者たちが休憩を終えてけいこ場に戻ってくる。もうすぐ、ゲストになるスターダンサーがやってきて、次公演のパートナーを選ぶことになっている。当然、二人の先輩バレリーナたちは自分が選ばれるものと思って期待している。この時、シンデレラは二人の先輩バレリーナにやられっぱなしではなく、王子役の衣装を先輩たちと奪い合ったりする気の強さも見せる。けいこ場にやって来たスターダンサーは、芸術監督がひいきする先輩たちを差し置いて指導者たちが推すシンデレラをパートナーに選ぶ。ここでグラン・パ・ド・ドゥのコーダをやる。
アポテオーズは、普通のシンデレラなら当然、「王子とシンデレラは末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」の様式化だが、このマラーホフ版の最大のミソはそれをやらないところ。確かに、スターとシンデレラのロマンスの予感はあるが、この物語テーマは、芸術家であるシンデレラが実力で指導者たちやスターに認められてチャンスを掴み、これから芸術とショウビジネスの世界でたった一人で生き抜いてゆくスタート地点に立つというところなのだ。アポテオーズでは、誰もいない舞台に舞台衣装をつけたシンデレラが現れ、舞台袖のピアノの上に置いてあったファンからの手紙と花束を見つけ、それを抱きしめて観客のカーテンコールに応える。そこには、古典シンデレラの唯一のよりどころである王子とのロマンスはない。このテーマはノイマイヤーの「くるみ割り人形」と基本的に同じなのだ。
第二幕は何度か中断と確認があっただけで演目通り進行。最後にカーテンコールの練習もする。そうかこうやってやってたのかw
シンデレラはポリーナ・セミオノワ、スターダンサー=王子はミハイル・カニスキン。しかし……すんません、けいこ場とかオレンジの場面ではほとんどこの二人見てませんでしたすんませんすんません。何故なら、食いしん坊のバレリーナをやっている男性ダンサーというのが、実はマラーホフ本人なのである。二人の先輩バレリーナは、本番ではどぎつくメイクしてかつらや髪飾りもつけて登場するのだが、ゲネプロでは本番の衣装をつけているだけで、顔と髪は素のまんまなのだ。マラーホフは動作の細かいところから、ポアントでのアチチュードやアラベスク、ピルエット、表情に至るまで、すべて本番並みの熱演。けいこ場でバスケットからお菓子を出して食べるシーンが何度かあるのだが、ほんとにお菓子食べてるし……。バレエの舞台での「消えもの」って初めて見たよ……。ロシアのバレエ学校はキャラクテールの授業を重視していて、まだノーブルかキャラクテールかも決まらない子供の頃から、全ての生徒にみっちりとキャラクテールの方法論をたたきこむと聞いているけど、やはりロシアで教育を受けたダンサーはこういうところにその成果が表れるのかもしれない。個々の才能ということもあるだろうけど、やっぱりカリキュラムの力って大きいと思う。ロシアの全幕物ってキャラクテールの充実がハンパないしね。それにしても、マラーホフは、ポアントへの重心の乗せ方とか、女性ダンサーの脚の上げ方(デヴェロッペとか)がネタを超えてちゃんとできていて、動作の端々にもおネエ系っぽい演技を行き渡らせていて、ほんとにすごい。
もう一人の飲んだくれバレリーナはフェデリコ・スパリッタ。こちらは、やや小柄なマラーホフとは対照的な、大柄で男性的な感じの人なのがミソね。いずれにしてもこの二人の役は、いかに優れたキャラクテールであってもポアントで踊れないといけなので、踊れるダンサーは限られるでしょうねえ。
時々、芸術監督の顔になってダンサーたちに指示を出したり、いらんところでもオネエ系の演技を見せてくれたり、メイクなしの「見るからにマラーホフ」な状態でこれを見られたので、案外、本公演よりゲネプロのほうがお得だったかもしれない。私はトップスターが絶頂期を過ぎてからプロデュースや指導の能力を発揮してゆく姿を見るのが好きなので、マラーホフが10年、20年前のガラ公演で見せたプロデュース能力がより深化してきたのが見られて嬉しかったです。ダンサーとしてはすっごく好きというタイプじゃないんだけど、だからこそなおさら嬉しいというか。
本公演は今日(1月15日)から。
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