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2010年11月14日 (日)

大衝撃! 訃報 遅塚忠躬先生

そのスジから回状が回ってきました。今現在フランス革命史関係の研究室と直接かかわりがなくて連絡が行きわたっていない関係者も多いので、連絡事項としてここで公開いたします。

遅塚忠躬先生が今朝(11月13日)9時12分にお亡くなりになりました。お通夜は11月14日(日)18:00~19:00、告別式は11月15日(月)12:00~13:00、いずれも目黒碑文谷会館(〒152-0003
目黒区碑文谷4丁目21-10、 電話03-5722-9111、 東急東横線 都立大学駅 徒歩8分、もしくは東急バス
目黒駅⇔大岡山小学校(黒01系統) または大森駅⇔新代田駅(森91系統)で、いずれも「平町」停留所下車0分)です。

衝撃過ぎて言葉もないです。今日、私が風邪で寝込んでいる間に故二宮宏之先生のところへ行ってしまった……。ロシアと東欧(と、将来的にはフランスを含んだ西欧の)アンソロジーの完成報告も、「日本SF全集」掲載の報告もできませんでした……

遅塚忠躬最後の弟子と言われつつ、研究者としては使い物にならなくて作家などと言いヤクザな仕事をしてますが、学問的には研究者よりだいぶ落ちるとはいえ、私はこの仕事で歴史学にはつながっていたつもりだし、少なくとも遅塚の弟子と名乗って恥ずかしくないだけの仕事もしてきたつもりです。

デビュー作の『ムジカ・マキーナ』は書き始めが実は修論の執筆と重なっていて、実はそのデビュー作以前に初稿が存在した『架空の王国』はまさに歴史に関する物語だったし、どちらも遅塚先生のところで学んでいた時に考えたことやら何やらが基礎になっています。まさしく、私が今日作家としてあるのは遅塚先生のおかげだと思っています。作家として誰かに弟子入りしたり、何かの講座を受講したり、教えをうけたりしたことはないので、そういう意味では、作家としての私の唯一の師だと言っても過言ではないのです。

遅塚先生は、才能があってやる気のある学生や研究者にはすごく厳しく、才能があろうがなかろうがやる気のない人はスルーで、才能はないけどやる気のある人にはすごーく甘かった……。当然、私には甘かったですね。修士課程を修了した後でも、ご自宅に遊びに行ったり、ドジョウをごちそうになったりしてました。ほんとに私には甘かったなあ。研究する気はすっごくあったけど、カラダ弱いし、才能がないのは丸わかりだったし、要するに「かわいそうな子」だったから。東大では禁帯出のアルシーヴ・パルルマンテールも、私が修論書いてる間は私蔵のを無造作に貸してくださいました。その恩に報いるレベルの修論は私には書けなかったけど、遅塚先生は最初からそうなることは分かっていたのだと思います。

今までに自著の献呈は一度の例外を除いてしたことはないです。その例外が遅塚先生に献呈した『架空の王国』。ワタシ的にはこれは修論の提出し直しのような作品だと思っています。今読むといろんな意味でトホホなところはあるわけですが……

でも遅塚先生はこのバカ弟子のやくざな仕事を結構嬉しそうに見ていてくださって、私としてはそれで幸せだったのです。

昨夜、夫と「和風総本家」の江戸っ子特集を見ながら、私にとっては江戸っ子と言ったら遅塚先生だなあ、という話をしていたところでした。ロシア・東欧アンソロジーが年内にはちょっと無理かもしれないので、完成してから報告じゃなくて、「短編ベストコレクション 現代の小説2010」とSFマガジンの10月号ををお送りして活動報告をしよう、と思っていたところでもあたのですが……

遅塚先生はフランス政府からシュヴァリエの肩書きをもらって「大御所様」になってから久しく経ってもほんとうに偉ぶるところがみじんもなく、だけと自然に品格と威厳があって、粋でカッコよくて、いかにも若い女の子向けのかわいいレストランなども喜ぶ感性があって、誰と誰が同棲してるの別れたのという話も平気で学生としてて(これはフランス史全般がそういう雰囲気なのですが、遅塚先生はことのほか粋な余裕がありました)、自分で出汁にこだわった美味しい煮物を作って遊びに来た私たちをもてなしてくれて、アルシーヴ・ナシオナルで居眠りして美人の司書に注意されちゃったとかパリの石畳で疲労骨折したとかいう話も楽しそうにしてて、何をやっても温かみと人情味のある、本物の騎士で江戸っ子で学究の徒でした。

私はこれからも学術的には研究者レベルになることはないだろうけど、「歴史改変小説の作家」といえば高野史緒だなと言われ続けるよう、自分にできる限りの努力をしていきたいと思っています。そしていつまで経っても「私が今日あるのは遅塚先生のおかげで……」という話をしたい。それで遅塚先生の名を耳にする人を増やし、記憶を新たにする人を絶やさないようにしたい。フランス史に直接興味を持っていない人でも、私の小説を読む読者さんはすべからく、間接的に遅塚先生の影響力のもとにあるとも言えるのだし。

Requiescat in Pace.

*追記:遅塚先生の最後の著書はこちら。
『史学概論』

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