エピ3終了。いや~、ルーカスはチャンバラが好きだねw 好き過ぎてエピ3では4回もやっている。どう考えてもやり過ぎ。もっとも、エピ1、エピ2でやりたいことを何でもやっちゃうと今後の観客動員数に影響するかもしれないけど、エピ3はみんな「見に来ざるを得ない」からやりたいようにやっちゃえ、と思ったのかもw ストーリー的にはオテロ+オイディプス(古典はただただ高尚なばかりのお芸術作品だけじゃなく、こういうエンターテイメントにも転用できるところがすごい)。オヤジ萌えの私としては、ジョン・ウィリアムスの音楽を聴きながらイアン・マクダーミッドを鑑賞する映画とも言えますがw
1978年、田舎のガキだった私を魅了したジョン・ウィリアムスの音楽ですが、高尚なおクラシックも聴くようになり、かつ30年以上経った今でもなお聴いている罠。ルーカスは当初、『2001年宇宙の旅』みたいに、既存のクラシックを使うつもりだったらしい。いずれにしても、コルンゴルトが映画のスコアを書いていた頃のような大時代がかった冒険活劇の雰囲気を出すために、フル・オーケストラの音楽を使いたかったとかで。そこで起用されたのが、当時『ジョーズ』や『タワーリング・インフェルノ』等で注目が集まっていたジョン・ウィリアムス(スピルバーグが紹介したという話もあり)。昔読んだウィリアムスのインタビューでは「フル・オーケストラの曲は書いたことがなくて本当は自信がなかったけど、チャンスだったのでいかにも自信があるかのような態度で引き受けた」というようなことを言っていた記憶がある。
これは典拠が明示できなくて、記憶と推測に頼った発言になるけど、確かウィリアムスの発案でライトモチーフ法を採用したんじゃなかったかなあ。ライトモチーフ法というのはワグナーが楽劇の中で確立した方法で、それぞれのキャラクターや特定の状況に対応する旋律を与え、音楽の中でそのキャラや事物に関連のあるシーンでその「ライトモチーフ」を使用するという方法。SWではテーマ曲の冒頭のあの部分はルークのライトモチーフ。レイア姫はまるごと一曲コンサートピースになる曲をもらっている。オビ・ワンのライトモチーフはその後、新三部作でも、フォースそのもののライトモチーフとして使用されている。
なんだけれども、実はハン・ソロ専用のライトモチーフというのが無いのだ。エピ4ではダース・ヴェイダーのライトモチーフというものも登場しない。もしルーカスがこのライトモチーフ法をもっとちゃんと理解していたら、今後のシリーズ化のために、ハン・ソロにもダース・ヴェイダーにもライトモチーフを作ってくれと注文を出していただろうなあと思うとちょっと残念な気がしないでもない。
もっとも、ダース・ヴェイダーは「帝国の逆襲」で、かの有名なあの曲をもらうので、エピ4の頃よりもさらに修行を積んだウィリアムスが作曲したという意味ではこれで良かったかもしれない。でも、 ハン・ソロはなんかその後も何となくライトモチーフなしのままになっちゃうのよね……。ジャワズやジャバ・ザ・ハットにもライトモチーフがあることを考えると、あまりと言えばあんまりな……。新シリーズではアナキン・スカイウォーカーのライトモチーフも登場するけど、この旋律は最後にダース・ヴェイダーのライトモチーフに転化する仕掛けになっている。ここんところはさすがにウィリウムスらしく巧い。
70年代、ルーカス本人も含めてまだ誰もがこの壮大な計画に対応できる状態でないまま始まったシリーズだったんだなあ、と、今さらながら思うことです。でもやっぱり、完全に準備が整ってからと思いながら準備し続けるものは永遠に始まることが出来ない。「完全に準備が整った!」と言える状況で『カラマーゾフの兄弟』を書き始めたドストエフスキーがどこの世界にいるっちゃうねん。どこかで「いける!」と見切って発進しちゃわないといけないわけで。この「発進してしまえる」かどうかっていうのはホントに大事だな、としみじみ思いますね。
当時不満だったところはあとから直しちゃえばいいんだしw というわけで、今日はルーカスが70年代にはできなかったこと、20世紀中にはできなかったことを追加しまくったエピ4の登場。
今日はこんなのを貼ってみる。アイスランド・フィルのコンサートをヴェイダー卿が支配下に……
別アングルからの動画は コチラ 。どうも指揮者だけ知らされてなかった様子w
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