国母問題とソ連のフリーダムな記憶
林譲二さんに教えてもらった、河野太郎氏のプログ。おおむね同意。でも、もし私の葬儀に腰パンの若者が来てお焼香してたら、私は平気だ。っていうか、チャラい格好した若者がきちんとお焼香して手を合わせてくれるんだったら、かえって嬉しいじゃん。
私が国母選手をリアルPants on the Groud(笑)と揶揄しながらも擁護するのは、私も彼の服装はだらしなかったなあとは思うものの、そういうユルいファッションなんて、別にさほど悪いと思ってないから。というか、誰もがきちんとしている世界がイヤだ。そしてその「きちんと」を守れ!と押し付けてくる世界がイヤだ。フェアか否か、というところ以外で「ルールを守れ!」と強制してくる世界がイヤだ。
国母選手くらいの人が「しょうがないな~w」とちょっと言われながらも容認されるくらいの世界がいいです。
80年代半ば、まだペレストロイカという言葉も出てきていないソ連で、モスクワの小学校の音楽の授業を見学しに行ったことがある。一番衝撃だったのは、みんな制服の着方が各自好き勝手だったこと。特別厳しいわけでもなければお嬢様学校だったわけでもないフツーの公立高校出身者の私の目には、「この規律の乱れ方はヤバイのではないか」と思ったほど(当時の10代の私だったら、国母選手は批判したと思う。何しろ田舎モンでしたんでね)。特に、ピオネール(青年共産主義同盟加盟のジュニアクラスのようなもの)の赤いスカーフを、「いちおう巻いてりゃいいんだろ~こんなもん」的な扱いで適当にしている子がいたり、単なるファッションアイテム的に扱っている子が多くてビックリ。制服の他のパーツはともかく、ピオネールのスカーフをそんなふうに扱ったりしたら大変なことになるのでは……と思ってたけど、先生たちもあの程度は「いいかげんに扱っている」と認識してさえいないようだった。私の公立中学校では、セーラー服の白いスカーフの襟からの出方とか、「きちんとしろ!」と何度も何度も言われましたが……
当然、授業後の質疑応答の時間には、日本人側から制服についての質問が出た。いちおう制服はあるけど、とりあえずそのパーツのどれか好きなものとピオネールのスカーフを身につけていれば別にいいそうだ。ブラウス・シャツの型は自由。女の子のタイツの色も決まっていない。むしろ、日本人の制服に対する考え方に驚かれてしまった。
外国人に公開するからには、ソ連の中でも特別に模範的な学校であるはず。それでもこれですかいっていうフリーダム。っていうか日本人の制服についての考え方って一体……?
あれから25年。
日本では、若者が街頭インタビューで国母選手を批判している……。君ら、そんなに規律が好きかい?
ところで、もし国母選手が「腰パンはスノーボードのルーツであるアフロアメリカン系ストリート文化への敬意を表し、ドレッドヘアは暑い国であるにも関わらず冬季オリンピックに参加しているジャマイカのオリンピック精神への賞賛を表しております」とか記者会見で言ってたら、スキー連盟の会長とか世間はどう反応しただろうね(笑)。
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