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2009年10月10日 (土)

ボリス・アクーニン@本郷

ロシアの作家、元日本文学翻訳者のボリス・アクーニン(グリコーリー・チハルチシヴィリ)氏が2009年度の国際交流基金賞を受賞し、9日に本郷キャンパスで講演をするというので、行ってきました。

法文の大教室はほぼ満席。ロシア人率高し。司会は沼野充義先生。トレードマークの柄シャツもこの日は一段とレベルアップで、「蛇革か?!」というような柄。さすがです。

講演は当初発表されていた「日本と私」から、「ロシアから見た日本」に変更。最初は自分と日本との出会い等、個人的なことを話し、ロシア文学で日本人がどう描かれてきたかの話に。やがて「日本人とロシア人の心性の共通点は、『帝国』に生まれてきたこと。そして日本が好調な時にロシアは低調になり、ロシアが好調な時は日本が低調になる」と言い出す。やっぱり文学の人って、史料批判とかあんまりしないで、感性で壮大かつ魅力的な結論を出しちゃいますね。確かに話としては面白いし、講演としてはたいへん魅力的。大学の公開講座などは文学系の人に任されるのも当然かも。しかし、史学の人間にはこういうの、もやもやするのですよ。まあ、史学の人はみんな史料批判に明け暮れて、あまり話が大きくならないし、仮の結論と将来の課題で話が終わりがちなので、専門でない聴衆にはつまんない話と思われがちなのは認めますが……

アクーニンといえば、ご都合主義的ミステリっぽい冒険活劇「ファンドーリン・シリーズ」の作者。この人の話を聞いていると時々、何ともいえないもやもやを感じる。どうしても、「高尚」と「(いい意味での)通俗性」を、その場その場で自分の都合のいいように定義し直して使い分けているような気がしてならないんで。今回もそういう感じがして、やはりもやもや。しかし、後になってじっくり考えると、ちょっと私のほうに誤解があるかもと思えてきた。

三、四年前に来日した時、アクーニンはあくまで「ファンドーリン・シリーズ」の作者として話し、平然と「小説は売れてナンボ。売れないものはダメ。いいもの=売れるもの」と話していた。自分の小説も「これをやれば売れるはず」という計画性にもとづいて執筆しているという。アメリカのエンターテイナーみたいだな、とそれを聞いて思っていた。スティーヴン・キングとかみたいな。しかしここ数年急に「日本文学研究者」として野間文芸翻訳賞や国際交流基金賞を受賞するようになって、「高尚な文学研究者」としての顔を日本で求められるようになり、その期待にこたえようとしてがんばっているんじゃないだろうか、とちょっと思うわけです。

でも、それでアイデンティティが揺らぐようなやわな人ではないと思うので、これで執筆活動がこんらんしたりすることもないでしょう。「読者が日本ネタに飽きてきたから、もうやめて違うことやるかも」と、日本で平然と言っちゃってたし。わざと言ったのか口を滑らせたのかは分からないけど……

この日は井上はもともと来ない予定で、知っている人も何故か少なく、来そうな人も来ておらず、来るとメールくれた人も結局こなくて(別に用があったわけじゃないけどただ会いたかったのに~think)、テンションも上がらず。朝から腫れつつあった喉もどんどん悪化してきたので、レセプションは出ないで帰宅。

人間誰しも、やりたいことと出来ること、期待されていることと自分の路線等々の間にちょっとずつ、あるいは決定的に乖離があって、みんなそのどこに立脚するかで悩みながら生きているんだよね……。でも、アクーニンも、通人にしか分からないお芸術でもなければ売れ筋至上主義でもないどこかで小説を書いてくれたら、何かすごいものになりそうな気がするんだけど……余計なお世話でしょうか。ロシアのほとんどの読者はご都合主義ファンドーリンで満足してるんだろうけど、日本の読み手としては、もうちょっと違うことを期待したいんだけどなあ……

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