「伝染るんです。」アニメ版
これは知らなかった。「伝染るんです。」のアニメ版DVDが出ていた。
このクオリティはすごい。この絵が動かせる日本のアニメ技術バンザイ! トオル君の手の動きとか、斎藤さんの飛び方とか、けっこう私のイメージ通りだったりする。これは買わねば。
それにしても、山崎先生はいつ見てもかっこいいなあ。
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これは知らなかった。「伝染るんです。」のアニメ版DVDが出ていた。
このクオリティはすごい。この絵が動かせる日本のアニメ技術バンザイ! トオル君の手の動きとか、斎藤さんの飛び方とか、けっこう私のイメージ通りだったりする。これは買わねば。
それにしても、山崎先生はいつ見てもかっこいいなあ。
ロシア文学者の水野忠夫さんが去る20日、亡くなられたそうです。享年72歳。
去年の三月に早稲田大学を定年退職されたばかりで、大学の職務から解放されたからには、また何か翻訳を……と期待していたところだったのですが。残念です。
翻訳者としての水野さんの業績といえば、やはり何と言ってもブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の翻訳が白眉でしょう。私もSFマガジン2008年10月号のMy Favorite SFで水野さん訳の『巨匠とマルガリータ』(河出書房新社・世界文学全集)をとりあげましたが……。あの訳文は、読みやすさは必ずしも「高尚さ」を損なうものではないという訳文の好例だったと思います。
専門も井上と近いだけではなく、(世代は全然違うけど)中学・高校は井上の先輩なんですよね。今年は妙に訃報が多いなあ。なんか、頼りになる先人がいなくなってしまうと、心細いですね。その分、我々がしっかりしなきゃいけないんだけど。
葬儀は明日。10時から東京都杉並区梅里1の2の27の堀ノ内斎場で。ご冥福をお祈りいたします。
諸般の事情により永田町に行く。行った理由は例によってロシアネタですが……話は始まったばかりで具体的な成果はまだなんにもないので、その話はまたいつか。
で、衆議院議員会館の売店でこんなものを買う。「鳩山民衆サブレー」。宇宙人いるしwww なんつっても友愛の兜かぶってるしwww
他にもいろいろあったし、まだ賞味期限が切れてないせいか、麻生さんのお菓子もあって、レアさを競うなら太郎くんものか、とも思ったけど、このあまりのイマドキっぽさにやられました(笑)。
7枚入り630円。まあどうせその金額の大半はネタ代だろうと思ってたけど、中はラング・ド・シャ系の生地でできた美味しいサブレでした。形はいうまでもなく鳩www やっぱりネタ代かwww
以下業務連絡。お探しの記事はこちらです。
ロシアSF小特集@SFマガジン10月号
佐藤優 × 亀山郁夫
【SF大会 2009】T-con 2009
【SF大会 2009】T-con 2009 そのニ
そのほかにもいろいろございますが、バカ話も多いので、適当にみつくろってお読みください。
先日、突然九月大歌舞伎の昼の部を見に行くことになり、急遽、行ってまいりました。中に入ってから出るまでの総拘束時間が六時間弱。こっ……こんな長いのは初めてだ…… 席は三階の東側。上手は切れるものの、花道を墨から墨まで見渡せる面白い席でした。
演目は
1.竜馬がゆく(りょうまがゆく) 最後の一日
2.時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ) 饗応の場 本能寺馬盥の場 愛宕山連歌の場
3.お祭り(おまつり)
4.河内山(こうちやま) 松江邸広間より玄関先まで
演目的には「時今也桔梗旗揚」がメインかな。春永の光秀いびりがスゴイ もうね、どこの橋田寿賀子ドラマのお姑さんかと(笑)。
ワタシ的には「竜馬がゆく」が実はうれしかったです。あれは歌舞伎というよりは演劇なので、そういう意味ではちょっとイマイチといってしまえばイマイチなんですが、何と言っても今回は中村芝のぶさんが近江屋女中とめとして出てますんです。
舞台が近江屋というだけで、もう「泣き」はデフォルトといえばデフォルト。実際、隣席のお兄さんは「しゃも鍋」云々のあたりですでに爆泣き。染五郎の竜馬が日本の未来を熱く語るのを聞いていると、ネットでしたり顔の政治評論なんかやる「だけ」じゃイカンのだ!とか、けっこう熱く真面目に思ったりしてしまう。しかし、実はこの演目の白眉は、竜馬が熱く語るシーンでもなければ、暗殺のシーンでもないかもしれない、とちょっと思った。
女中とめが竜馬の部屋でお給仕をしている時、竜馬が、「いずれおなごも、誰でも好いた男と一緒になれて、どこでも好きなところにいけるようになる」と、仲間たちと話しあう時と変わりない態度で語ると、とめがびっくりして「おなごでも……ですか?」と聞き返すシーンなんじゃないかと思う。とめはうだつの上がらないながらも真面目な醤油作りの桃助に思いを寄せつつ、桃助が手引きしようとしている竜馬暗殺計画との間で板ばさみになる。でも結局何が出来るわけでもない。まさしく、時代の中の無力な女なのである。しかしこの演目の中では、暗殺計画も知っていて、竜馬の人柄も志もしっているのはおとめ一人。出番は少ないけど、重要かつ美味しい役を芝のぶさんがやっているわけですね。嬉しくないわけがない
芝のぶさんは、年は私より一つ下……ってことは、正直、もう四十過ぎのおっさんですよ。なのに、あの美しい容姿と、本物の乙女かと思うようなあの美声。美しいけどちょっとドジっ子でさえない、芯は強くて誠実だけど、悲劇を目前にしてマンガやテレビ時代劇のヒロインのように大胆に活躍できるわけではない「どこにでもいる女の子」を、あの決して長くはない出演時間の中で演じきっている。すばらしいわ……。まいりましたです。
実は『赤い星』の芸妓月の兎(つきのと)は、中村芝のぶさんを想像しながら書いたんですけど、まさにおとめは私が想像した月の兎そのものでしたですよ。そう、もし『赤い星』を歌舞伎化するんだったら、月の兎は芝のぶさん。実は舞台用の一部分抜粋版の脚本草案はあります(笑)。まあ、小説なんかを書くような人間は、常にこのくらいの妄想はしていることです(笑)。すんません
もっと芝のぶさんの情報をこまめに仕入れていろいろ見に行くべきかしら。同好の士求む! ていうかそれ以前に、幕見でもう一回見に行くべきかしら。
コネタマ参加中: あなたのおじいちゃん・おばあちゃん自慢、聞かせて!
うちの母方のじいちゃん(故人)はムラヴィンスキーに似てましたよ、顔が(笑)。そんだけですけど、じつはひそかに自慢。あと、たまに予知能力を発揮したらしくて、関東大震災から逃れたりしてたそうです。もしかして後者のほうが自慢度高いか?!
ちなみに、母方のばあちゃん(故人)は、身内に何かあると知らせに来ます。……今でも。
巣鴨で、お神輿が信号待ちして横断歩道を渡るのを見た。都会もんの夫は当たり前だと思っているようだけど、田舎もんにはびっくりだ。いや、ただそれだけです(笑)。
【モスクワ=緒方賢一】ロシア通信によると、ロシアのプーチン首相は11日、モスクワで内外のロシア専門家との対話に出席し、2012年の次期大統領選挙について、「メドベージェフ大統領と話をして、私と彼のどちらかが立候補する」と述べた。大統領に復帰する意欲を示唆した発言として注目される。
(2009年9月11日22時37分 読売新聞)
はい。意外でもなんでもないニュースですね。ヘタすると、もうすでに聞いてなかったっけこんな話?とつい思っちゃう話。
この間友人が、今年のプー様休暇せくすぃ~写真の載ったロシアの新聞を送ってきてくれたのですが、これがもう、一ページ丸まるプー様写真集。ネットなら何枚も写真がアップされててもあんまり不思議じゃないというか、それでプー様人気がすっごく実感できるというものでもない。だけど、新聞というメディアにまるまる一面写真集だと、けっこうインパクトありますね。ああ、人気あるなあ、と、妙に生々しく実感できる。
いや~、こうなってくると、次はクレムリンで戴……あ、いえ、なんでもございません
NHKの『名曲探偵アマデウス』を録画して見ている。シリーズ途中から参入したクチなので、見てないやつもある。今日はドビュッシーの「月の光」の分を見た。
で。
たまに出てくるらしいディープ内藤という女流作家が気になります。
クラシック音楽ネタのミステリ、バレエ、テクノ、ジュリアナ東京、妄想、SF、イタキャラ……
なんか、すっっっっっごく気になるんですけど(笑)。
*やはり、あれの元ネタは私なんじゃないかと思っている人は他にもいるようです……
ソクーロフの『ボヴァリー夫人』の試写見てきました。
1898年の167分(!)ヴァージョンを128分に再編集したもの。89年だから、劇映画の監督としては比較的初期の作品ですね。
ストーリーはほぼ原作のまま。だけど、舞台設定とかを「分かりやすく説明してくれる」わけではないので、原作を知らないと最初は入りづらいかも。
いかにも80年代ミニシアター系ヨーロッパ映画。羽やハエを象徴とも演出ともつかない形で何度も使ったり、時代設定は変えていないはずなのに車や飛行機やルイ・アームストロングの曲が出てきたり、もしかしてこのソ連末期の時代、ソクーロフもデレク・ジャーマンとかケン・ラッセルとかの映画を見るようになったのかな、という感じ。
しかし……どうも主演女優、セシル・ゼルヴダキがあかん。ソクーロフが偶然に見つけて気に入って起用した素人だそうだけど、何故わざわざそこまでしてリクルートしたのかなあ。年寄りじみた動作と年寄りじみた発声で(フランス語を喋ってる時はまだマシ)一本調子な演技を二時間も見せられちゃうので、正直、ザセツしかけた。ソクーロフはそもそも女に興味がないので、見た目だけで選んじゃったのかなあ。途中で「しまった」と思わなかったんだろうか。
しかし、もしかしたら、「ボヴァリズム」(理想と現実のギャップへの苦悩。まさしくこの『ボヴァリー夫人』が語源)というものの皮相性を描くために、あえてああいう素人を起用したのかなあ、と、いいほうに考えてみるテスト。真の底からの苦悩ではない皮相性をこそ追求したのか。もともと、主人公の内面を表現するような描き方はしていないし、そもそもソクーロフは女に興味ないんだから、女の苦悩を描きたいと思うわけがない(笑)。「皮相性」を「名演技」で表現されちゃったら、それは本物の「皮相性」ではなくなる。
そもそもボヴァリズムや不倫の苦悩って、はたから見てるとアホくさいものなのよね。理想と現実のギャップっていったって、要するに今の生活がダレてるなんかいいネタないの?っていうだけでしょ、って感じだったり、本人は運命の恋、一世一代の情熱だと思ってるかもしれないけど、結局は掃いて捨てるほどあるネット人生相談の一スレッドに過ぎなかったり。しかし当事者にとっては下らない、ありきたりと分かっていても脱出できないところが悲劇なわけだけど。ソクーロフは後者ではなく、前者の視点をあえて選んだのかも。何しろ「このシロート女優あかんわー」と思いつつ、結局最後まで見てしまったことですよ。本当にキャスティングに失敗した失敗作だったら、絶対耐えられるわけないんだし。
結婚も手に入れたし、いろんな男に言い寄られて情事もできるけど、結局は誰からも本当には大事にされない女エマ。フロベールもソクーロフも、「女の苦悩」ではなく、「もしかしたら自分って、一見評価されてるようだけど、本当は誰にも心底から愛されてるわけじゃないのかも……」という自分自身の不安感をエマ・ボヴァリーの中に見ているからこそ、こういう作品を書いたり撮ったりするんじゃないだろうか、と思う。
そして、何よりこの映画のすごいところは、あの影像美でしょうねえ。構図の安定ポイントからちょっとだけずれたところに人物を配したり、微妙に露光が足りないように見えたり、色合いがあいまいだったりするだけで、何故あそこまで美しい影像が作れるのか。やっぱりああいうのを見ると、他の映画じゃなくてソクーロフの映画を見た甲斐があるなあ、と思うことです。
公開は9月下旬。東京は渋谷のイメージフォーラム、大阪ではシネヌーヴォで。劇場窓口でチケット買うと、オリジナル・クリアホルダーのおまけつきだそうです。
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