『赤い星』その後
なんか急に検索で追っ手がかかるようになりまして、何でだかわかんないけど、もしかしてコレか?というのがあるので、ヒミツじゃないようだし、他にも自分のブログで公表している候補者もいるし、あとでカッコ悪いことになるかもしんないけど、とりあえず検索で来てくださる方々の便宜のためっちゅうことで、貼っておきます。
まあ、演奏家のコンクールとかと違って、作家本人はもうがんばりようがないので、自信があろうがなかろうが、心配していようが落ち着いていようが、どうにもなりませんが……
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なんか急に検索で追っ手がかかるようになりまして、何でだかわかんないけど、もしかしてコレか?というのがあるので、ヒミツじゃないようだし、他にも自分のブログで公表している候補者もいるし、あとでカッコ悪いことになるかもしんないけど、とりあえず検索で来てくださる方々の便宜のためっちゅうことで、貼っておきます。
まあ、演奏家のコンクールとかと違って、作家本人はもうがんばりようがないので、自信があろうがなかろうが、心配していようが落ち着いていようが、どうにもなりませんが……
トレヴァー・ホーン強化月刊。
言わずと知れた(でもないか)t.A.T.u.のデビューアルバムのインターナショナル盤。ロシアで2001年にレズビアンイメージで売り出したレナとジュリアのデュオ。なんかねー、元児童心理学者の音楽プロモーターという、80年代のポール・モーリーもビックリな怪しい経歴のおっさん、イワン・シャポヴァロフがプロデュースしてたのよねー。
ロシアでバカ売れし、2002年にインターナショナルデビューを画策したシャポヴァロフが考えたのが、かのフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドをブレイクさせたトレヴァー先生にプロデュースしてもらうこと。
それ自体は成功。シングルカットしたNot gonna get us とAll the things she saidはヨーロッパでは大ヒット。もっとも、こちらはマーク・アーモンド以上に時間も予算もなかったようで、アルバム中トレヴァー先生が手がけたのはこの二曲と、ソングライトも手がけているClownsの合計三曲のみ。
トレヴァー先生的にはt,A.T.u.はかなり気に入ったそうで、プロデュースにも力が入っている。90年代テクノの成果をこれでもか!とつぎ込みまくった過剰サウンド。「聴くところ」がいっぱいあるトレヴァー先生'sワールド。
でもこの時点でアルバム一枚分に達しないレパートリーの少なさが危惧されていた通り、その後ツアーの内容のショボさが取りざたされる。日本公演で「世間の規範に従わない自由さ=ふてぶてしさ」のつもりでドタキャンとか、記者会見での態度の悪さとかを演出したシャポヴァロフの戦略が何もかも裏目に出ちゃったり。多分、「ブリトニー・スピアーズ以上」を演出したかったんだろうけど、ねえ。
ああ……バカだなあ、シャポヴァロフ。日本という市場を完全に読み誤ったね。このキャラを日本で売り出すなら、当然、萌えに走るべきだったのだ。ロシアには日本的「萌え」に走る土壌は充分にあった(実際、今けっこうみんな走ってるし)。何しろこのインターナショナル盤のロシア版(中身は同じ)は、こんなジャケなのだ。
……………………。
こっちのほうがずっといい。
日本盤もこれで売れば良かったのに。なんでやらなかったんだろう?
しかしいずれにしても、ロシアの女の子はオトナになっちゃうのがとても早いので、萌え路線で売り出しても2、3年後にどう路線転換したらいいのかとか、私にも案はないんですが。
その後2005年に新譜が出て、トレヴァー先生もClaving一曲だけプロデュースしてるけど、「頼まれ仕事」の時に精一杯見せる誠実さ以上のお仕事ではない。t.A.T.u.自体も、なんか方向性の見えないおねえちゃん達になっちゃったし。2004年のトレヴァー先生25周年コンサートの時に出てたけど、あ、意外とライヴでも上手いじゃんと思ったものの、実は口パクであることが判明。
これとかセカンドアルバムとか聴いててつくづく思うんだけど、私って結局、トレヴァー・ホーンが好きなだけなのねえ。ホントに でも2003年にアムステルダムでNot gonna get us がこの世のものとは思えないほどヘビロテになってた時はさすがに狂いそうになったけど。何しろ、空港に着いたらこの曲がかかってて、ホテルに向かうタクシーの中でもかかってて、ホテルのフロントでかかってて、部屋でテレビつけるとPVで、次の朝起きて朝食のサロンに行くとまた流れてて、交通機関の案内してもらおうと思ってフロントに行くとこの曲がかかってて、ホテルから美術館に行くまでの間にあるキオスクのラジオからも流れてきて、また別なキオスクからも流れてきて……というのが毎日だったんで。さすがにこの直後はCD取り出しませんでしたねぇ。その後数ヶ月してまた自主的にヘビロテしたけど(笑)。
先週、月刊『ニュータイプ』からのインタビューを受けてまいりました。私は基本的に自分が主役になる企画ではパニクりやすいので、今回もけっこうパニクってましたが、編集の方もライターさんもカメラマンもみんな女性だったし、自分自身も「ガンダムの第一回放送を見たことが自慢にならない世界(見てて当たり前だから)」のあたりで棲息してきた人間だし、塩澤編集長もついててくれたので、比較的まともに喋れたかとは思っております。
でも、インタビューとか取材とかって、されると、数日間は精神状態が混乱したまま元に戻んなくなっちゃうのよねー。なんか寝ながらうわごと言ったり(と夫は証言しているが自覚なし)、いらんメールひとに送っちゃったりとかね。ああ……
発売は11月10日。写真には、ロシア国旗コーディネートの着物を着て映っております。
1991年、数年間ヒットに恵まれなかったマーク・アーモンドが起死回生の一枚としてトレヴァー・ホーンにプロデュースを依頼して出したと言われるアルバム。とはいえ、トレヴァー先生が手がけているのは後半のみ。当時すでに「世界一高価なプロデューサーの一人」と言われていたトレヴァー先生が高くつきすぎたのか、それとも、時間がかかるのを恐れたのか(私は後者だと思ってます(笑))。半分だけっていうのは惜しいといえば惜しいんだけど、各曲に特色がありながらも一体感のある一つの組曲的な出来になっていて、結果オーライなナイスな仕上がり。でも前半ほとんど聴いてないけど(笑)。すまんマーク
Tenement Symphony部分に含まれている曲は以下の通り。
1.Prelude
2.Jacky
3.What Is Love?
4.Trois Chanson de Bilitis -Extract
5.The Days of Pearlt Spencer
6.My Hand Over My Heart
1は6をフィーチャーした序奏。4はドビュッシーの歌曲集『3つのビリティスの歌』の第一曲「牧神パーンの笛」の冒頭6小節。そう、Art of Noiseの『ドビュッシーの誘惑』にこれのフルヴァージョンが入ってます。トレヴァー先生、よっぽどこの曲が好きらしい。
で、マークの思惑は大当たりし、2のJackyが英国でぶっちぎりの大ヒット。当時マークは音楽雑誌のインタビューで「しょっちゅうスーパーマーケットに行くようになった」とか言っている。何故なら「いつ行ってもこの曲がかかってて嬉しいから」。分るよ。泣かせるぜ。選曲はマークだったのかトレヴァー先生だったのか、これはかのジャック・ブレルのカヴァーなのですね。テクノ+フルオーケストラ+スパニッシュなアレンジ。超カッコイイ。原曲がシャンソンだし、ミュージシャンもプロデューサーも英国ポップの人なので、当然と言うべきか、微妙に「ダサさ」は含んだ上でのカッコ良さなのでご承知置きを(笑)。もっとも、その最初からちょっとダサくてレトロだからこそ、今聴いても古臭さを感じない。ざっつ英国ポップマジック(笑)。
2は何と、裏バグルズ新曲だったのだ! トレヴァー先生とブルース・ウーリーの書き下ろし。いやあ、そのつもりで聴いているからそう聴こえるのか、やっぱりとってもバグルズっぽい。トレヴァー先生もかなりバックヴォーカルを入れている。ベースも弾いてるし。でもこの曲だけシングルカットしなかったのよね。もったいない。
5のThe Days of Pearly Spencerというのは、デヴィッド・マックウィリアムのカヴァー(<私はこの人よく知らないんだけど、同名の経済学者がいて、その人とは別人)。ブリティッシュ・トラッドの超豪華版みたいな感じのアレンジになってます。打ち込みは少なめでフルオーケストラ付きの人海戦術人力演奏。いやそれにしてもマーク・アーモンドって歌上手いわーと思わずにはいられない一曲でもある。
このpearly spencerって何だ? と我々日本人は激しくギモンに思うのですが、19世紀ロンドンの呼び売り行商人の「王」(自治&相互扶助講のヘッド)Pearly Kingが着る貝ボタンで飾ったヴェストのことで、英国では説明の要はないほど「自明」なものらしい。19世紀後半に孤児院出身の清掃夫の少年ヘンリー・クロフトが、この行商人の相互扶助講にヒントを得て作った孤児のための寄付金集めの講が発展したものが現在も残っていて、今なおこのpearlyな衣装を身につけた人たちが孤児のための寄付金あつめをしているのだそうで。
で。
奇しくも2004年にトレヴァー先生の25周年記念コンサートに行った時、妹がコヴェント・ガーデンの近くでこのPearly King & Queenを撮っていたのだ!
どーん。
これがそのロンドンのPearly King & Queen。
妹はこれがナニの人たちか知らなかったけど、あ、何か変わった衣装の人たちがいる、と思って撮影したのだという。わたしゃ一緒にいたのに気がついてさえいなかった……orz 補正がうまくいかなくて今ひとつよく分らないけどすんません。妹がもっとちゃんとした補正をした画像をくれたはずなんだけど、すんません埋もれてます未発掘です。
そして最後の6は、マークらしいねっとりもっちりしたラヴソング。Tenement Symphony中、この曲だけがマークのオリジナルだけど、もう「いかにもマーク」という曲で、ファンは当然、必聴。盛り上げながら転調につぐ転調のコーダのアレンジも「いかにもトレヴァー先生」らしい。これを聴き終わると「おおお、聴いたー!」という充実感を感じる。
マークとホーン・プロダクションの相性はかなりいいんじゃないかと思う。もっと聴きたい。マークは2004年の10月末(ちょうどトレヴァー先生コンサートの直前)に交通事故に遭ってかなりの大怪我をしたそうだけど、その後立て続けにアルバムやDVDを出してて、ちゃんと活躍している様子で何より。またこの組み合わせで、そして今度はアルバム丸々一枚を製作して欲しいなあ。時間かかりそうだけど(笑)。
それにしても……17年前のアルバムかあ……これ……(遠い目)
さる所にペテルブルクネタの小品を書いています(詳細は後日)。
で。
ちょっと自分の記憶だけじゃナニなので、と思ってGoogle Earthでペテルブルクを見ていたら……
どうやらごく最近更新されたらしく、レンエクスポの新棟なども写っていた。それはいいのだが、何と! 新ホラント島がほとんど更地になっているではないか! そしてマリインスキー劇場のクルコフ運河をはさんだ向かい側のブロックもまるっきり更地になっていた。私が4月に行った時は、手入れが行き届かない感じながらまだ古めかしい建物が建っていたのに……
そういやここにはマリインスイキーの新しいオペラハウスが建つことになっていたんだった。それが着工したというだけの話といえばそれまでだけど、しかし、新ホラント島は……orz
Google Mapにはまだどちらの旧住所表示が残っている。ううっ……Google Earthの画像って、案外、保存しておかなきゃいけないものなのかもしれない。しかし、何をどの程度保存したらいいのか、変化した後になってからじゃないと分からないかも。
しかし、しかし……まさか新ホラント島が……orz どうなってるのか、ロシアの中の人に聞いてみよう。いかにも現代的な安普請のビルとか建っちゃうのかなあ。イヤだなあ。
柔道家として知られるプーチン首相の56歳の誕生日前日にあたる6日、ロシア西部サンクトペテルブルクで、自らも出演しているビデオ教材「プーチンと柔道を学ぼう」の発表会が開かれ、プーチン首相も出席した。
あの企画、どうなっちゃったんだろう?と思っていたら、ちゃんと進行していたのね。
おおお……こ、これは!
やっぱり買うしかないでしょうか(笑)。うち、ロシアのDVD見られる設備あるし……。やっぱり買うしかないでしょうか。
つい「キングオブコント2008」を見てしまいました。
こっち方面は無知なのでやっぱり知らなかったのですが、バッファロー吾郎、ツボりましたね。セミファイナルがドラゴンボールっぽいヒロイックファンタジーネタ、ファイナルがレトロなアンドロイドネタで、ある意味統一感があったのもよかったかも。
関西の人たちの日記を読むと、関西ではバッファロー吾郎は実力派ベテランとして定着している様子。ううむ。地球は広いなあ。私は全然知らなかった。こんなに面白いのに。You Tubeで他のネタを見たけどやっぱり面白い。
あとツボったのはチョコレートプラネットかな。ただ、それはローマじゃなくてギリシャだろう!とツッコミは入ったけど。しかし、何故あれだけ研究しててギリシャとローマと混ざるかなー。惜しい。
キングオブコントって、採点方法に問題はあるし、このまま続くかどうか分らないけど、キャラ芸とか一発ネタじゃなくて、それなりに時間を取ったコントをフィーチャーしているというのは私好みだ。
バッファロー吾郎のネタ、埋め込みが無効なのでリンクを貼っておきます。見られるのは今のうちかなあ。それとも残るのか。よくわかんないけど。
バッファロー吾郎・セミファイナル
バッファロー吾郎・ファイナル
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