我が青春のナントカ(ロシア・アヴァンギャルド展)
金曜日、Bunkamuraに「青春のロシア・アヴァンギャルド展」を見に行く。うちはねえ……二人そろって渋谷に行くと雨が降る(しかも雷雨系)というジンクスがあって、この日もジャストその通り。ウンザリだす。
1999年に開館したモスクワ市近代美術館という新しい美術館があって、そこの収蔵作品のみで構成された展覧会。ここはズラーブ・ツェレテーリのロシア・アヴァンギャルドの個人コレクションが土台となっているそうで。名前からしてグルジア系じゃん、と思ったら、やはし、ツェレテーリというのはグルジアの名家だそうです(井上談)。多分、革命時のメンシェヴィキ指導者の一人イラクリー・ツェレテーリと同じ家柄でしょう。だから今回の展示でもピロスマニの作品がいっぱいあるわけですね。ソ連時代、一時期は「なかったもの」扱いだったロシア・アヴァンギャルドの一点ものの作品を個人で集めていたというのもスゴイ話だ。
展示はネオ・プリミティヴィズムのあたりから1930年代まで、ロシア・アヴァンギャルドの周辺的なものも含んでいて、今まで日本で展示されてこなかったようなものも見られる。いや~、しかし、一点もののファインアートのみでロシア・アヴァンギャルドを語るのは難しいわ……。何しろ、ポスターや写真などの「いかにも」な作品が無いのだ。高校生の頃の私が超シビレまくったロドチェンコやエレンブルグの、あの大衆性、普遍性のあるカッコよさとはある意味対極の、ロシア・アヴァンギャルドのアカデミックなファインアート的側面でしょうか。これでロシア・アヴァンギャルドを語るのは難しいけれど、でもしかし、普段なかなか見られないものばかり集めているという意味ではものすごく画期的な企画というか。
ところで気になるのがこの「青春の」というタイトル。確かに、ロシア・アヴァンギャルド自体がソ連という実験的大国の青春時代そのものの現象だったという意味でありましょう。けれど、ここに並んだ画家の誰もが、「一時期その現象にかぶれたけれども、それは一過性だった」という意味で、それぞれの画家にとっての、ある種の青春だったとも言えるのではないか、などとちょっと考えてみたり。
ロシア絵本コレクターの沼辺信一さんはよく、20年代にロシア・アヴァンギャルド的絵本を作っていた画家たちが、50年代、60年代に、体制的なおとなしい「フツウの」絵本を作っていることに関して、彼らの感性をだめにしたソ連(特にスターリン時代)を非難するんだけど、私はそれは違うんじゃないかなーと思っている。あのロシア・アヴァンギャルドなんていう、ああいう路線は、誰にとっても「一時的に熱狂して、二度とそこに戻れなくなる」種のものだからこそ魅力的なのであって、たとえ体制が奨励し続けたとしても、模倣者は出てきてもオリジナルの画家たちはリタイアしたんじゃないだろうか、と思うわけです。
私も、ロシア・アヴァンギャルドの路線は今でももちろん好きだけど、高校、大学の頃のあのシビレた感じは、やはりもう「記憶」であって今現在の体験ではないのよねー。まああの頃(80年代前半)は当然だけどソ連は本当にソ連だったし。85年に初めてモスクワに行った時、街中の映画のポスターなんかがちょっとロシア・アヴァンギャルド的雰囲気だっだけでシビレたもんです。
ピロスマニの見たことない作品がたくさん見られたのもよかった。ピロスマニについてはまた機会があったら。
ところで、図版に正誤表が挟まっている。ある作品の、図版で右辺になっている辺が正しくは上辺だという。そりゃマレーヴィチじゃないの~(笑)と茶化しながらそのページを見たら……本当にマレーヴィチの作品でした。ベタな展開だなあ(笑)。期待を裏切らない図版でございました。
どうせならこちらも読んでってください。
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