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2008年7月24日 (木)

トルストイの子孫は農民の智恵の夢を見るか?

上智大学にウラジーミル・トルストイ(トルストイ記念館館長)の講演を聴きに行く。…………………………。本当は昨日の東大のほうに行きたかったのに。井上は未だに肝心な情報にかぎって伝えてくれないんだよなあ。

講演の時はフツウに「理想主義者」という印象だったけれど、質疑の間に、あ、この人は理想主義的でありすぎるが故に俗物になっちゃった人だ、と分ってしまう。文学が世界規模で商業主義的になってるというのは、そりゃそうだとは思うけど、だけど、だからといって「文学が今、世界規模で真空状態だ」とまでは思いますかねぇ。彼にとってはペレーヴィンでさえ「文学とは言えない通俗作品」だそうですから……。その一方で、(画家についての意見だけど)、レーピンやニコライ・ゲーのようないわゆる「名画」と、有名でない画家の作品をネームバリューできっぱりと峻別してしまう。この人にとって、文学とか名作とかいうものは、古典とその模倣だけなのか……?

そもそも「文学」というもの自体、そんなたいそうなもんか?と私は思っちゃうんだけどね~。

私はどちらかと言うと、「通俗的であるが故の智恵」みたいなものを信じているし、自分の作品も「通俗的であるが故の真理」を追究していると思っている。デビューして間もなくの頃、すごく印象的だった出来事があってですね。「普段、本なんて読まないけど、テクノ好きなので『ムジカ・マキーナ』を読んだ」という読者さんの感想がテクノ系音楽雑誌に載ってて、「どうにかこうにか読み通しただけなので、理解できてるかどうか分らない」というその人の感想は、高名な評論家でも指摘しなかったような、作者本人さえ書いていた時には意識していなかった、鋭く核心を突くものだったのですよ。その後もその手のことは何度もあって、気楽に書かれたネットでの感想が有名な諸表家のそれに匹敵するようなことはあるのですよね。

そしてまた、自分の読者・受け取り手としての体験の中にも同じことはあるわけで。つまり、通俗的な娯楽小説の中に人間性に関する鋭い洞察があってはっとしたり、大衆ウケ狙いのハリウッド映画の中に、生きてゆく上での糧になるような「何か」を見いだしたりもするわけです。

どちらかというと、「本物はごく少数の者にしか理解できない」的な選民思想の方がよほど有害じゃないかなあ。作家本人より取り巻きや崇拝者のほうがヤバくて怖い現象もそういう選民思想が根本にあるだろうし。

ウラジーミル・トルストイ氏は大トルストイが愛でた「農民の智恵」という概念を失ってると思う。芸術の価値なんてものは、作ってる本人にさえ把握し切れてない無意識や経験の蓄積の彼方からやって来るものであって、意図的に理想主義に至ろうとして作られるものじゃない、まさしく「農民の智恵」的なものだと思うんだけどね……

トルストイという看板を背負ってるだけに妙に批判しにくい人だけど、講演を聴いていて「何かヘンなんじゃないか」と思ったら、聴き手はその素朴な直感をもっと信じていいと思う。

ところで上智の図書館、久しぶりに行ったら、外壁のタイルのキラキラが取れちゃっててただの白いタイルになってましたね。あれってただ風雨に晒されてキラキラが取れちゃっただけなの? それともタイル取り替えたの? 上智の中の人、知ってたら教えて下さい。

2008年7月22日 (火)

【SF大会2008】がらみ『赤い星』出版予定とプー様Tシャツプレゼント

(2008年7月22日記 8月16・18・20・26日追記)

早川のサイトに予告が出てまっせ、という指摘を頂きましたので、もうこっちでも発表しちゃってよいでしょう。っていうか、エドワード・リプセットさんもすでに情報を把握している……。知らないのはワタシだけだったりする間抜けさ。

発売日過ぎて各ネット書店にページができましたが、Amazonだけ何故か、ぐぐると出てくるのにAmazonないの検索にかからない状態が続いているので(これってどうしたらいいの?)、ここに貼っておきます。

Amazon 『赤い星』

『赤い星』、2008年8月25日に早川書房から出ました。Jコレです。ああ……結局、手をつけてから最終稿まで2年かかったよ……でも、最初の構想から18年かかってること考えたら、2年で済んでよかったかも。構想中、いったい何度ロシアに行ったことか(っていうほど行ってないけど)。でも、読んだ人たちから「そんなに時間かける価値あったのかぁ?」とか言われたらやだな。ま、それなられそれでそういう批判は甘んじて受けるべきではありましょう……

ハヤカワ・オンラインで予約開始。表紙もできました(プロフィール写真をこれにしておきます)。イラストは加藤俊章さん。

『赤い星』に関しては、実は水面下で他にもいろいろとプロジェクトが進行しています……が、こっちは(こっち「も」?)超低速なので、一体いつ発表できるやら。

つい最近まで不確定要素(特に健康上の問題というか)に翻弄されて参加が確定しなかったSF大会DAICON7も参加確定しました。まあここまで来てドタキャンはないと思います。うう……ゼッタイ倒れないとも言い切れないんですが(笑)。関係者の皆様すみません……明日申し込み用紙返信します。本当にすんません。

で。

Red_star_senjafuda 多分DAICON7で『赤い星』を先行発売できます。先行ったってほんの1日2日の話ですが。ディーラーズルーム地元の書店さんにお願いしてあります。ご希望があれば(高野を見かけた時点で可能だった場合)サインなどもいたしますし、限定千社札など作りましたので、多少のメリットもあるかと。40枚くらいあります。

Put ところで、ペテルブルクで買ってきたプーチンTシャツはこのページでプレゼントしちゃいましょうかねえ。『赤い星』を買ってくれた人の中から、と言いたいところだけど、取りまとめがめんどうなので、とりあえず8月25日までにここのコメント欄に書き込んでくれた人の中から抽選で一名様に(メールも可。スパムと一緒に捨てちゃわないよう、タイトルに『赤い星』を入れてくらさい)。ロシアサイズでXLなので、それなりにでかいです。まあ、当たったはいいけど小さくて着られん!ということになるよりはマシかと。ことに若い女の子はこういう「いかにもメンズ」なTシャツ着るとかえって可愛いしね。とりあえずこのエントリは8月25日までトップに上げておきます。会場でも名乗りを上げるの可。それプラス、ネット応募の中から抽選。抽選はは25日。

というわけで、だらだらと書き連ねましたが、どちら様もよろしゅうお願いいたします。

プー様Tシャツの写真upが遅くなってしまったのと、SF大会直後はちょっと死んでる予想なので、締め切りを今月いっぱいに延期します。いろいろ怠惰ですいません……

2008年7月19日 (土)

我が青春のナントカ(ロシア・アヴァンギャルド展)

金曜日、Bunkamuraに「青春のロシア・アヴァンギャルド展」を見に行く。うちはねえ……二人そろって渋谷に行くと雨が降る(しかも雷雨系)というジンクスがあって、この日もジャストその通り。ウンザリだす。

1999年に開館したモスクワ市近代美術館という新しい美術館があって、そこの収蔵作品のみで構成された展覧会。ここはズラーブ・ツェレテーリのロシア・アヴァンギャルドの個人コレクションが土台となっているそうで。名前からしてグルジア系じゃん、と思ったら、やはし、ツェレテーリというのはグルジアの名家だそうです(井上談)。多分、革命時のメンシェヴィキ指導者の一人イラクリー・ツェレテーリと同じ家柄でしょう。だから今回の展示でもピロスマニの作品がいっぱいあるわけですね。ソ連時代、一時期は「なかったもの」扱いだったロシア・アヴァンギャルドの一点ものの作品を個人で集めていたというのもスゴイ話だ。

展示はネオ・プリミティヴィズムのあたりから1930年代まで、ロシア・アヴァンギャルドの周辺的なものも含んでいて、今まで日本で展示されてこなかったようなものも見られる。いや~、しかし、一点もののファインアートのみでロシア・アヴァンギャルドを語るのは難しいわ……。何しろ、ポスターや写真などの「いかにも」な作品が無いのだ。高校生の頃の私が超シビレまくったロドチェンコやエレンブルグの、あの大衆性、普遍性のあるカッコよさとはある意味対極の、ロシア・アヴァンギャルドのアカデミックなファインアート的側面でしょうか。これでロシア・アヴァンギャルドを語るのは難しいけれど、でもしかし、普段なかなか見られないものばかり集めているという意味ではものすごく画期的な企画というか。

ところで気になるのがこの「青春の」というタイトル。確かに、ロシア・アヴァンギャルド自体がソ連という実験的大国の青春時代そのものの現象だったという意味でありましょう。けれど、ここに並んだ画家の誰もが、「一時期その現象にかぶれたけれども、それは一過性だった」という意味で、それぞれの画家にとっての、ある種の青春だったとも言えるのではないか、などとちょっと考えてみたり。

ロシア絵本コレクターの沼辺信一さんはよく、20年代にロシア・アヴァンギャルド的絵本を作っていた画家たちが、50年代、60年代に、体制的なおとなしい「フツウの」絵本を作っていることに関して、彼らの感性をだめにしたソ連(特にスターリン時代)を非難するんだけど、私はそれは違うんじゃないかなーと思っている。あのロシア・アヴァンギャルドなんていう、ああいう路線は、誰にとっても「一時的に熱狂して、二度とそこに戻れなくなる」種のものだからこそ魅力的なのであって、たとえ体制が奨励し続けたとしても、模倣者は出てきてもオリジナルの画家たちはリタイアしたんじゃないだろうか、と思うわけです。

私も、ロシア・アヴァンギャルドの路線は今でももちろん好きだけど、高校、大学の頃のあのシビレた感じは、やはりもう「記憶」であって今現在の体験ではないのよねー。まああの頃(80年代前半)は当然だけどソ連は本当にソ連だったし。85年に初めてモスクワに行った時、街中の映画のポスターなんかがちょっとロシア・アヴァンギャルド的雰囲気だっだけでシビレたもんです。

ピロスマニの見たことない作品がたくさん見られたのもよかった。ピロスマニについてはまた機会があったら。

ところで、図版に正誤表が挟まっている。ある作品の、図版で右辺になっている辺が正しくは上辺だという。そりゃマレーヴィチじゃないの~(笑)と茶化しながらそのページを見たら……本当にマレーヴィチの作品でした。ベタな展開だなあ(笑)。期待を裏切らない図版でございました。

どうせならこちらも読んでってください。

グルジアの母の像(と人海戦術)

2008年7月16日 (水)

干し首 in Paris

ちょっとテンパっておりました。まだインディ・ジョーンズさえ見てない……orz

インディ・ジョーンズ4のサブタイトル、「クリスタル・スカルの王国」を見聞きすると、全然別なことを思い出す。

20年ほど昔、パリの人類博物館にはこの水晶の髑髏というやつがあってですね~。少なくとも80年代にはわりと無造作に展示してあったような気が。21世紀になってから(いろいろとイデオロギー的に問題のある)ケ・ブランリ美術館に移されて、ごく最近、電子顕微鏡で研磨痕を研究したら近世の作だったということが判明したらしい。それはまあいい。でも、こういうのと一緒にね~、80年代の人類博物館は干し首も展示していたのですよ。

私が見たのは二つ。頭蓋骨や脳などを取り除いた……というか、多分、頭蓋骨から皮を剥いで乾燥させるんだと思う。握りこぶしくらいの大きさで、軟骨のせいか鼻と耳だけ妙に大きい。その鼻からはビーズの飾りが下がってたり。何の予備知識も覚悟もなく見てしまったからかえってびびらなかったのかもしれないけど……。あの部屋には巨人症の骨格標本とか、六本指の手のホルマリン漬けとか、そういうものが展示されてたものでございます。

21世紀間近の頃に久しぶりに行って見たら、それ系の展示は一掃されてて、ヴィジュアル系科学雑誌のグラビアみたいなパネル展示になっちゃっててちょっと(というか、えらく)ガッカリしたもんです……

干し首はケ・ブランリに移したのか否か。いずれにしてももう展示できないものではないかと思うけど……。井上は90年代になってからスミソニアンで見たという。今はどうなのかなあ……。ペテルフルクのクンストカメラにも一つくらいあるかもしれないけど、それも展示してるかどうか。

まあそれはともかく、水晶の髑髏というと、連鎖してこの干し首を思い出すのであります。ただそれだけです。オチはないです。

2008年7月 6日 (日)

元気な露人とヘタレた日本人の集い

いきなり暑くなってグッタリでございます。関東地方生まれの関東地方育ちなのに、毎年夏になると「こんなにヒドイんだっけ……?」と思うことです。これはいったい何の拷問なんだ?! 国家の機密でも匿っている宇宙人でも何でも売り渡しますので、早く解放してください……orz

こんだけ暑くて湿度も高かったらロシアの人たちなんかさぞかしグッタリしているだろうと思うと、これが意外と元気なのである。昨夜品川の蕎麦屋で呑みましたが……日本人のほうがよっぽどゾンビ。ことに日本男児のヘタレ具合といったらハンパではなかった。ああいう人たちと戦争して、ビギナーズラック以外で勝てるわけないじゃんよ~(笑)。

こういうだらけた飲み会の時ほど、女同士の馴れ合い力ってスゴイなと思う。どうりでサミットとかにファーストレディ外交なんていうのが組み込まれているはずだ。

暑さへの耐性は汗腺の数でほとんど決まってしまうとか。ロシアの人たちは子供の頃(成長過程で汗腺の数が決まる頃)からサウナに入ってるので汗腺が熱帯の人なみに発達しているとかいう話を聞いたことがある。そうか……そうかもしれん。

でも汗ってかいたらかいたで疲れるのよね……。いずれにしても、今年も「来るべきもの」が来てしまいました。皆様ご自愛下さい。ぐったし。

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