チェブラーシカ・コネクション
モスクワ在住のゲナジー・ハリトノフ退役海軍少将(80)は「『チェブラーシカ』が誕生したとされる1966年以前に『チェブラーシカ』とそっくりの人形を東京のソ連貿易代表部で働いていた叔父から娘にプレゼントされた」と証言。59年春に娘と人形を撮影した写真のほか、「チェブラーシカ」とそっくりの人形を「日本生まれの証拠だ」としてみせた。
人形は、古くなり色あせて傷みがあるものの、チェブラーシカの特徴の大きな耳と目を持つ。どこで製造されたのかを示す商標などは紛失していた。
しかし、同退役少将は「チェブラーシカのデザインがロシア生まれでないことは確かで、それをロシア生まれと偽るのは誤りだ」と強調。「チェブラーシカは、日本でも人気があると聞いているが、日本のファンたちにはこの事実をぜひ知ってもらいたい」と述べた。
「チェブラーシカ」の“生みの親”である作家のウスペンスキー氏は、産経新聞の取材に対し、「私がチェブラーシカの本を書き、生みの親であることは事実であり、似たような人形をチェブラーシカだと主張し脅すようなまねをすること自体が、異常なことだ」と反論。今後、チェブラーシカのおばあさんやいとこなどのキャラクターを発表する計画もあることを明らかにした。
またこーゆーわけのわかんねー人出てくるし。ネットにエサを提供し過ぎですよ>ロシア。
もうね、だから何? としか言いようがないかと。ウスペンスキー自身、チェブの本のあとがきで「手元にあったぬいぐるみがあまりにも不恰好で、何の動物かも分からなくて、これは面白いと思って物語の主人公にしてみた」と書いているので、もしかしたらもしかしてこれがその元ネタだったという可能性もないではないと思う。だとしたら、それは「一次史料発見!」みたいな面白さはあっても、それで盗作がどうこうっていうのはあまりにもアホ過ぎませんか?
でも多分、この元軍人さん、多分、だけどね、自分の意思で言い出したんじゃないと思うのよ。実はチェブに関しては、権利関係で世界中でモメているのだ。そもそもこの手の権利関係が曖昧だったソ連時代の産物である上、最近になってわりとお金になるようになってきちゃったので、今さらのように権利を主張する人がわらわらと現れてきちゃったのだ。
実は上記のウスペンスキーの本の日本語版とかも、権利関係は全く問題ナシというわけにはいかないらしいし、数年前の劇場公開、DVD販売、グッズ製作なんかも同様で……(話がややこしいので何度聞いても頭入んないんすけどね)。ウスペンスキーが来日した時も、「どの本をウスペンスキーの目に触れないようにしたらいいのか」なんてゆー問題が浮上したほどで……
この人形はハリトノフ氏が本当にその経緯で手に入れたものなんだろうけど、おそらく誰かが「これは使える!」ということに気づいて、利権争いに巻き込んだんじゃないかなあと思うのよね。とにかく何とかしてウスペンスキーや撮影所から権利を根こそぎ引き剥がしたいんじゃないかと。少なくとも、お年頃・元の職業からしてどっぷりソ連な人だろうから、権利とか長期的利益とかそういうことには疎いんではないかと。そこにつけ込まれて利用されてるんじゃないかなあ。
何にしても、もしこの主張が通るなら、「バーン・ジョーズの『木に縛られた王女』に想を得て漫画を描きました」とか、「『ヴェニスの商人』に想を得て現代の金融小説を書きました」とかいうのもナシということになるかと。あ、それ言ったら歌舞伎の名作は大半アウトじゃん。『里見八犬伝』がある以上、『ドラゴンボール』はナシか? しまいには「桶狭間の戦いに想を得てスペース・オペラを書きました」っていうのもダメになりそうだ。
そもそも創作において個人は案外無力なんじゃないかとさえ思っているワタシ。個人の意識とか独創性とか、もちろんそれがないと創作はかなわないわけだけど、実は無意識や原型的なものに縛られてる割合って大きいんじゃないかと。芸術家の個性だとか、個人の思想だとか、過大評価され過ぎかもとさえ思う。ヨーロッパの人と話してると、「ああ、これが『自我が硬い』ってやつだなー」と思うことないすか? 自分の言動、考えは全て自分の自由意志で決めていると思い込んでるというか。実際は、日常生活から創作に至るまで、「どうしてか(意識的には)分からないけど突然そう思いついた」とか、「書いている時には分からなかったけど、後になって自分の自覚していなかった側面が現れていたことに気づいた」なんてことはいくらでもあるんだけど……。しかし泰西の人たちって(特にいわゆる知識人みたいな人たちは)、そういうの認めないよねえ。無意識的なものの介入を当然と思っているふしのある我々東洋人に対して、不条理だとか神秘だとか子供っぽいとか言い出すし。いやしかし、人間、こんなもんなんだって(だから泰西の人たちよりも無意識的なものに抵抗しないロシアのほうが私には親和性があるのかな、とも思う。ロシアもヨーロッパからは「神秘主義」とか「わけわかんねー」とか言われてるしね)。
創作だって当然、無意識からは逃れられないわけで、アーキタイプ的な骨組みに近似性のある作品が歴史に繰り返し現れるのは当然なんじゃないかと。というより、ア-キタイプ的なテーマ──貴種流離譚、怪物退治、多重人格、二元論、宝探し、親殺し・子殺しetc.──はむしろ、さまざまな時代、さまざまな文化圏において、いろんな作者がちょっとずつ違った道具立てやパターンの違う登場人物、作者自身の解釈等々を用いて繰り返し描くことでこそ意味を持つのでは。
もちろん、創作者同士の間では「このやり方はあいつにパクられたな」とか「パクられたとまでは言えないけど、創作としてはクロだよな」みたいなのはあるだろうし(ワタシも『カント・アンジェリコ』はさるラノベにヤラレた~と思ったことありますよ……。もうタイトルも覚えてないけど)、「盗作」の線引きや証明って、相当に困難なことじゃないかと思うし、文章丸ごとぼったくりとか、作者Aのゲラを出版前に作者Bが見ていたという事実を証明する何かがある、とかでもない限り、実際にそれを問題にするのは無理なんだろうなあと思うことです。で、創作者たちはむかつきつつ読者を信じる(そらまあ、読めば分かるよこれは、ってのありますし)とか、そのムカつきもまた次の創作の糧になるという方法で対処してゆくものなんだろうけど、ここに出版社とか配給会社とか、その創作物でカネ作ってる人たちがよりカネになる方法を求めて創作物を転がす(そして誰かにしわ寄せする)から禍根を生じるんじゃないかと。
チェブも当分、ビジネス系の人たちに食いものにされるんだろうなあ……(嘆)。なんかやってらんないすね。チェブ絡みで暗躍してるのはユダヤ系ばかりだそうで……。少数の○○系の人たちが動くことで、○○系全体がそういう目で見られる、という意味でも、ええことやないですね……
この旧ソ連の勲章いっぱいくっつけたじーちゃんも、最晩年を汚さずにすむといいんだけど……
ああう。やっぱりムラヴィンスキーにソ連崩壊以降を見せなくて済んでよかった……。ごんめよジェーニャ、こんな世の中で……
その後の情報。
友人が教えてくれたんだけど、ネットのあるところでは「これってカステラ一番♪の文明堂のCMで踊ってたアレじゃん」という話が出てるらしい。あ、ホントだ。ビンゴじゃないですか? もうそうとしか見えなくなったぞ。なんかショボい結末を迎えそうだ……そのほうがいいんだろうけど。
« Concrete | トップページ | うめめ »
「ロシア・ソ連」カテゴリの記事
- キン・ザ・ザ見られます!(2018.03.01)
- オーケストラ・ディマンシュ 第42回演奏会 ガイーヌ(2016.09.25)
- 信じるか信じないかは、あなた次第です!(2015.12.31)
- 発売:書き下ろし日本SFコレクション NOVA+ 屍者たちの帝国(2015.10.09)
- 予告:『書き下ろし日本SFコレクション NOVA+ 屍者たちの帝国』(2015.09.08)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« Concrete | トップページ | うめめ »
でもやっぱり「ライオンキング」は「ジャングル大帝」のパクリだよな(ニヤニヤ)
投稿: 美千香 | 2007年1月 8日 (月) 01時20分
最近で酷いなぁと思うのは、隣の国が剣道や柔道、空手などの起源は自国だと宣伝しまくっている件なのですが……。あれは許せないですよ。
投稿: おーの | 2007年1月 8日 (月) 07時09分
『ライオン・キング』みたいに「見たら分かるやろ」っていうやつは、明らかに向こうの「負け」だし、その評価は永遠について回るよね。パクリが損なところは、作品が残る限り、その不名誉がついて回ることでしょう。
だからまあ、こっちは放置でもいいとして、日本の諸武芸のルーツが……とかいうのは放置できない感じですね。そーゆーことするからーまたーなんかー嫌○のひとたちをしげきしたりしちゃうんぢゃーーーーーないでしょうかーーーー。結果として損なのは同じ……
投稿: ふみお | 2007年1月 8日 (月) 10時56分