パンダの名前、募集中!!!!!!!
しかもハンパな数ではない! 何しろ、中国のパンダ保護研究センターの子たちだからだ!
あまりにもカワイイので悶死注意。深呼吸し、ハラに力を入れ、気を引き締めてからクリックして下さい……
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しかもハンパな数ではない! 何しろ、中国のパンダ保護研究センターの子たちだからだ!
あまりにもカワイイので悶死注意。深呼吸し、ハラに力を入れ、気を引き締めてからクリックして下さい……
民主党の小沢代表、社民党の福島党首、国民新党の綿貫代表は30日昼、国会内で会談し、「(女性は)子供を産む機械」と発言した柳沢厚生労働相の辞任を求め、実現しなければ31日以降の衆院予算委員会の審議に応じない方針を決めた。
これに対し、自民党の中川幹事長と二階俊博国会対策委員長は30日の協議で、野党が欠席しても審議を進めることを確認した。ただ、与党内でも辞任を促す声が出ており、波紋が広がっている。
3党首は会談後、塩崎官房長官を首相官邸に訪ね、厚労相辞任を求める安倍首相あての文書を手渡した。
一方、自民党の笹川尭党紀委員長は30日、国会内で記者団に、「スパッと辞めた方がいい。国会答弁のたびに頭を下げ続けることになる。内閣支持率も下がるばかりだ」と指摘した。
そらまあ、早いうちに切り捨てといたほうがいいかなーって考えちゃうでしょう。
いやしかし、けっこー驚くのは、柳沢厚生労働相を擁護するブログって、意外とたくさんあるんだなーってことかな。まあ、こういう発言には反発するのが「常識」なので、あえてその常識に逆らって過激な発言をする俺は最初からクライマックスだぜ!みたいなカッコつけた気持ちとか、ポーズとかはあるかもしんないけど。
でも、「産む性」をめったやたら神聖視した反論とか、母性がどーの、差別意識がどーのというブログも同じくらいキモチ悪いと思ってしまう……
なんちゅーか、事はもっとシンプルなんでは。日々一生懸命働いてる人たちを「歯車」扱いしたり、患者を「1データ」扱いしたらダメだろ、っていうのは同じでは? 「それだけ」じゃん。でも「それだけ」でも充分タチ悪いじゃん。
もうさ~、産む性は神聖かどうかとか、そういう方向に話広げんのやめようよ~。別な干渉を招いて、最終的には柳沢発言よりいや~なところに着地しかねないじゃん。
そーいやシュヴァンクマイエルの肉アニメで思い出したことが。
さる高名な人文系研究者氏から聞いた話。
チェコに留学してた若い頃、その地も気に入り、好きな女の子なんかもいたりしたそうな。その女の子がある日「今日、うちでソーセージ作るの。来ない?」と言ってきたらしい。
そういう家族的なイベントにお声がかかるというのは嬉しいよね。しかも相手は……。ってことでさっそく出かける。
ソーセージ作り……。それはよく考えたら当然のことながら、自宅の敷地内でさっきまで生きていた豚をつぶし、肉やら血やら内臓やらを分別してアレコレして、ソレをナニして加工する作業であった。
愛しの乙女は血まみれになって、内臓の破片がこびりつきまくった己れの腕をべろーんと舐め、親族の女性たちと「今年はいいソーセージが出来そうね!」と嬉しそうにはしゃいでいたそうな。
「ああ……オレはここじゃ結婚できないな……」と思って帰国したらしい。
いや、ただそれだけです(笑)。なんか思い出しただけ(笑)。
その方は現在、かなりの業績をお持ちの研究者として立派にやっておられますです。
いやー、ホラー映画なんかを見慣れちゃってる現代人としてはヴィジュアル的には耐えられるかもしれけないけど、ニオイがスゴくて、これが参るらしい。それは確かに強烈だ……。そういや男色系の方々やア○○○ッ○○系の方々も、実はあれはニオイがスゴイとおっしゃるそうで。なるほど……。腐女子同人誌なんか見せてもらってると、それ自体には動揺しなくなるけど、現場にはそういう問題があったか……
やっと『ルナシー』見てきました。
ちょっと年末年始の風邪の残りで空咳が続いたもんで、舞台・映画関係は自粛してました(本人は別にええねんけど、周りの人がうるさかろう)。だいたい落ち着いてきたので、もうええかな、と。
午前中は初期の短編集。『棺の家』、『エトセトラ』 『ドン・ファン』 『コストニツェ』、『レオナルドの日記』、『アッシャー家の崩壊』。一番古い『棺の家』は1968年の作品。うーん。そう、シュヴァンクマイエルって、私が生まれたくらいの頃からずーーーーーっとこういうことやってるのよね……(汗)。
『ルナシー』は最新作にして、亡き妻、エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーが参加している最後の作品(ということは、これからシュヴァンクマイエルの作品ってどうなって行くんだろう……?)。冒頭からいきなりシュヴァンクマイエル本人が出てきてご挨拶。「ご来場の皆様。ご覧に入れます映画はホラーです。ホラーならではの落胆をお届けします」って……orz でも本当(笑)。教訓とかアレゴリーとか、引き出そうとすればいくらでも引き出せる映画だけど……
「夜中に拘束服を持った男たちが精神病院からお迎えに来る」という悪夢に悩まされて暴れてしまう青年ベルロは、精神病院で亡くなった母の葬儀の後、「侯爵」と名乗る男と知り合い、あんなものを目撃したりこんな目に遭ったりした挙句、画期的な治療法を行っているという精神病院に体験入院することになって……
相変わらず踊ってます。肉とか内臓とか。血は沸かないけど肉は踊っちゃう(笑)。今回、コマ撮りアニメ部分はこの肉だけ。人形アニメならぬ肉アニメ(笑)。肉のような、すぐ変質しちゃって扱いにくい素材でアニメーションを撮るコツとしては、シュヴァンクマイエルいわく「いい肉屋と知り合いになること」だそうだけど(笑)、肉屋、映画見て「おお! オレの肉、活躍してる~! オレんちの肉いい演技してるなあ」とか思うのかな?
思うよね(笑)。
しかし、去年のシメが鈴木忠志ヴァージョンの『リア王』で、今年の事始が『ルナシー』か……。なんかやばいな……
まあせいぜい、パック詰めにされないよう、こっそりやりましょう……
むむう。うちのマンション、時々下駄で歩く人が出現。まあ下駄そのものはよろしゅうございますが(冬なんだけど)、マンションとは名ばかりの安普請なので、夜中にあれは勘弁してほしいところでございます。特に階段はね。
そういやナチスの拷問の一つに「音の響く階段の下に閉じ込める」というのがあったそうで……
いや、ただちょっと思い出しただけです……
ま、あれだったら六本木ヒルズだろうがクレムリンだろうがうるさいと思うけどね……
リトルモアさんから梅佳代さんのファースト写真集『うめめ』をいただきましたー。献辞つきサイン入りだぞ。どうだ羨ましかろう。うははははははははは。
何というか……こういうの、ツボなんですよ……。あの「ほぼ日イトイ新聞」の「味写」とか、そういうの。ほぼ日にうめかよさんのインタビューがありま~す(「うめかよ参上!」)。私もどちらかというと性格的にはこういう「何とも言えない写真」が撮りたいほうなんだけど……。なんつーか、うまくいきませんねえ……。うめかよさんはこのインタビューの中で「おもしろい写真になるときってだいたい、空気がおかしいから」と言ってるけど……そうか、まずそれを察知しないとダメなのよね。やっぱりまずそういう才能のところからして違う感じ。しかも、単に「面白い写真」を集めている感じではなくて、ちゃんと統一された「作家性」があるところがスゴイよね。
被写体はツッコまれることを予期していないけど、写真がツッコミを要求しているというか。
こういう、何とも説明のしようがない、「味」としか言いようにないものって、やっぱり、すっごく「日本的」なものなんじゃないかとも思うことです。巻末のうめかよさんのエッセイも、その後に英語訳ヴァージョンがあるんだけど、英語版にはどうにも「味」がない。ちょっとオシャレでノスタルジックな詩的エッセイになっちゃってるし。Mr.ビーンが「英国的」としか言いようがなく、天安門広場の電飾が「中国的」としか言いようがないようなもの……かな? 違うかな?
誰もが遭遇していて、どこにでもあるはずなのに何故かなかなか味わえない「味」の世界……。やっぱり説明のしようがないので、実物を見てください。やっぱり才能がないとキャッチできないかなー。くやしいなー。でもやっぱりまたカメラ持って歩いちゃうんだろうなー。「面白いモノ」とか、単なる失敗写真とかは撮れるんだけどねえ……
モスクワ在住のゲナジー・ハリトノフ退役海軍少将(80)は「『チェブラーシカ』が誕生したとされる1966年以前に『チェブラーシカ』とそっくりの人形を東京のソ連貿易代表部で働いていた叔父から娘にプレゼントされた」と証言。59年春に娘と人形を撮影した写真のほか、「チェブラーシカ」とそっくりの人形を「日本生まれの証拠だ」としてみせた。
人形は、古くなり色あせて傷みがあるものの、チェブラーシカの特徴の大きな耳と目を持つ。どこで製造されたのかを示す商標などは紛失していた。
しかし、同退役少将は「チェブラーシカのデザインがロシア生まれでないことは確かで、それをロシア生まれと偽るのは誤りだ」と強調。「チェブラーシカは、日本でも人気があると聞いているが、日本のファンたちにはこの事実をぜひ知ってもらいたい」と述べた。
「チェブラーシカ」の“生みの親”である作家のウスペンスキー氏は、産経新聞の取材に対し、「私がチェブラーシカの本を書き、生みの親であることは事実であり、似たような人形をチェブラーシカだと主張し脅すようなまねをすること自体が、異常なことだ」と反論。今後、チェブラーシカのおばあさんやいとこなどのキャラクターを発表する計画もあることを明らかにした。
またこーゆーわけのわかんねー人出てくるし。ネットにエサを提供し過ぎですよ>ロシア。
もうね、だから何? としか言いようがないかと。ウスペンスキー自身、チェブの本のあとがきで「手元にあったぬいぐるみがあまりにも不恰好で、何の動物かも分からなくて、これは面白いと思って物語の主人公にしてみた」と書いているので、もしかしたらもしかしてこれがその元ネタだったという可能性もないではないと思う。だとしたら、それは「一次史料発見!」みたいな面白さはあっても、それで盗作がどうこうっていうのはあまりにもアホ過ぎませんか?
でも多分、この元軍人さん、多分、だけどね、自分の意思で言い出したんじゃないと思うのよ。実はチェブに関しては、権利関係で世界中でモメているのだ。そもそもこの手の権利関係が曖昧だったソ連時代の産物である上、最近になってわりとお金になるようになってきちゃったので、今さらのように権利を主張する人がわらわらと現れてきちゃったのだ。
実は上記のウスペンスキーの本の日本語版とかも、権利関係は全く問題ナシというわけにはいかないらしいし、数年前の劇場公開、DVD販売、グッズ製作なんかも同様で……(話がややこしいので何度聞いても頭入んないんすけどね)。ウスペンスキーが来日した時も、「どの本をウスペンスキーの目に触れないようにしたらいいのか」なんてゆー問題が浮上したほどで……
この人形はハリトノフ氏が本当にその経緯で手に入れたものなんだろうけど、おそらく誰かが「これは使える!」ということに気づいて、利権争いに巻き込んだんじゃないかなあと思うのよね。とにかく何とかしてウスペンスキーや撮影所から権利を根こそぎ引き剥がしたいんじゃないかと。少なくとも、お年頃・元の職業からしてどっぷりソ連な人だろうから、権利とか長期的利益とかそういうことには疎いんではないかと。そこにつけ込まれて利用されてるんじゃないかなあ。
何にしても、もしこの主張が通るなら、「バーン・ジョーズの『木に縛られた王女』に想を得て漫画を描きました」とか、「『ヴェニスの商人』に想を得て現代の金融小説を書きました」とかいうのもナシということになるかと。あ、それ言ったら歌舞伎の名作は大半アウトじゃん。『里見八犬伝』がある以上、『ドラゴンボール』はナシか? しまいには「桶狭間の戦いに想を得てスペース・オペラを書きました」っていうのもダメになりそうだ。
そもそも創作において個人は案外無力なんじゃないかとさえ思っているワタシ。個人の意識とか独創性とか、もちろんそれがないと創作はかなわないわけだけど、実は無意識や原型的なものに縛られてる割合って大きいんじゃないかと。芸術家の個性だとか、個人の思想だとか、過大評価され過ぎかもとさえ思う。ヨーロッパの人と話してると、「ああ、これが『自我が硬い』ってやつだなー」と思うことないすか? 自分の言動、考えは全て自分の自由意志で決めていると思い込んでるというか。実際は、日常生活から創作に至るまで、「どうしてか(意識的には)分からないけど突然そう思いついた」とか、「書いている時には分からなかったけど、後になって自分の自覚していなかった側面が現れていたことに気づいた」なんてことはいくらでもあるんだけど……。しかし泰西の人たちって(特にいわゆる知識人みたいな人たちは)、そういうの認めないよねえ。無意識的なものの介入を当然と思っているふしのある我々東洋人に対して、不条理だとか神秘だとか子供っぽいとか言い出すし。いやしかし、人間、こんなもんなんだって(だから泰西の人たちよりも無意識的なものに抵抗しないロシアのほうが私には親和性があるのかな、とも思う。ロシアもヨーロッパからは「神秘主義」とか「わけわかんねー」とか言われてるしね)。
創作だって当然、無意識からは逃れられないわけで、アーキタイプ的な骨組みに近似性のある作品が歴史に繰り返し現れるのは当然なんじゃないかと。というより、ア-キタイプ的なテーマ──貴種流離譚、怪物退治、多重人格、二元論、宝探し、親殺し・子殺しetc.──はむしろ、さまざまな時代、さまざまな文化圏において、いろんな作者がちょっとずつ違った道具立てやパターンの違う登場人物、作者自身の解釈等々を用いて繰り返し描くことでこそ意味を持つのでは。
もちろん、創作者同士の間では「このやり方はあいつにパクられたな」とか「パクられたとまでは言えないけど、創作としてはクロだよな」みたいなのはあるだろうし(ワタシも『カント・アンジェリコ』はさるラノベにヤラレた~と思ったことありますよ……。もうタイトルも覚えてないけど)、「盗作」の線引きや証明って、相当に困難なことじゃないかと思うし、文章丸ごとぼったくりとか、作者Aのゲラを出版前に作者Bが見ていたという事実を証明する何かがある、とかでもない限り、実際にそれを問題にするのは無理なんだろうなあと思うことです。で、創作者たちはむかつきつつ読者を信じる(そらまあ、読めば分かるよこれは、ってのありますし)とか、そのムカつきもまた次の創作の糧になるという方法で対処してゆくものなんだろうけど、ここに出版社とか配給会社とか、その創作物でカネ作ってる人たちがよりカネになる方法を求めて創作物を転がす(そして誰かにしわ寄せする)から禍根を生じるんじゃないかと。
チェブも当分、ビジネス系の人たちに食いものにされるんだろうなあ……(嘆)。なんかやってらんないすね。チェブ絡みで暗躍してるのはユダヤ系ばかりだそうで……。少数の○○系の人たちが動くことで、○○系全体がそういう目で見られる、という意味でも、ええことやないですね……
この旧ソ連の勲章いっぱいくっつけたじーちゃんも、最晩年を汚さずにすむといいんだけど……
ああう。やっぱりムラヴィンスキーにソ連崩壊以降を見せなくて済んでよかった……。ごんめよジェーニャ、こんな世の中で……
その後の情報。
友人が教えてくれたんだけど、ネットのあるところでは「これってカステラ一番♪の文明堂のCMで踊ってたアレじゃん」という話が出てるらしい。あ、ホントだ。ビンゴじゃないですか? もうそうとしか見えなくなったぞ。なんかショボい結末を迎えそうだ……そのほうがいいんだろうけど。
というか、実は去年のCDでございます。すいません。前言撤回していいですか(笑)? 去年のCD総括、ムラヴィンスキーの下にこれを入れちゃいます。もっと早く買っておくべきだったのに出遅れた上、配送が年越しちゃったんで、これを書いた時は未聴だったのです。
2006年5月にロンドンで行われたPetShop Boysのコンサートのライヴ盤。ただのライヴぢゃないぞ。トレヴァー・ホーンがプロデューサーなのだ!
一曲目の Left to my own devices の冒頭からして「おわー! なんじゃこりゃー!」としか言いようがない。何だこのオーケストラの厚みとアンサンブル力は? いかにトレヴァー大先生のプロデュースでの録音だからといって、それでこんな音が出せるわけな……ああ、ブックレット見て納得、BBC Concert Orchestra って……掛け値なしの「ホンモノ」ですがな(笑)。失礼いたしましたorz
曲PSB、オケ超本物、書き下ろしオケ編曲、参加ミュージシャンは全部トレヴァー先生の手の者(トレヴァー先生自身ベース弾いてるし!)、録音とCD化はトレヴァー先生のプロデュース……といったら、もうね、私のために作られたCDかと(笑)。コンサート行きたかったな…。『戦艦ポチョムキン』のために書かれたAfter allもやってるんだけど、こーれーがー! めっちゃめちゃいいのだ! やっぱりこれ、映画つきオケつきでライヴで見たいな……。誰か日本に招聘してよ~(号泣)。
生オケの使用とその録音にはハンパじゃなくこだわりのあるトレヴァー先生がいたからこその企画。ウェンブリーでライヴのプロデュースの面白さにも目覚めたのかもしれません。ええこっちゃ。この勢いで他のミュージシャン達のコンサートもやって欲しいっす(そしてCDにしてくれえ~)。
これもトレヴァー・ホーン原理主義者が聴きたいものを全部聴かせてくれるCD。DVDもあるんだよう。早く買わなくちゃ。
おめよろ。
今年も、誰にも待望されていないどうでもいいことをユルい信念と正しくない日本語で配信しまくりたいと思います。中には有益な情報も含まれているかもしれませんが、あんまり期待しないでね。
ところで、何でも安倍晋三くんが年頭所感を発表したそうだね。そっちがその気なら、こっちだって年頭所感ぐらい発表しちゃうもんね。
安倍晋三首相は1日、年頭所感を発表し「活力とチャンスとやさしさにあふれ、自立の精神を大事にして世界に開かれた美しい国、日本を実現する」との考えを強調した。また「たじろぐことなく改革の炎を燃やし続ける」と改革姿勢をアピールした。
憲法改正については「新しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書き上げていくべきだ」とし、その前提となる日本国憲法改正手続きに関する法律案を通常国会で成立させることを目指すとしている。
なんて言いながら、もうすぐ防衛庁は防衛庁になっちゃうのよね。なんかもう、云うてることがキレイゴトなわりにやろうとしてることがヤバくて、お前はパルパティンかって感じですね。民主主義と自由を守るため、と言いつつ裏で銀河共和国の分裂と軍隊の導入を画策してたりしてね。当然ながら核兵器の開発とか言い出すのは時間の問題だよね。ってゆーかもうすでに銀河のはずれの星を地図から消してクローン兵を製造させてるかもだよ。
まー勝手ついでに言うけど、日本は弱くてこそ存在意義があるのではないかと思っております。ジェダイ騎士団みたいなものかと。ジェダイってエピ2の時点ですでに「弱過ぎ! あれだけのパワーを持っててチャンバラしか能がないんかい。キレイゴトを言うばっかりで全然銀河共和国を守ってないじゃん!」と言われてたけど、ジェダイは本当はあれでいいのだ。力があるはずなのにショボいチャンバラと旧弊な空中戦くらいしかできず、銀河共和国を守る存在だと言いつつキレイゴトを言うばかりで泥をかぶらず、特別な能力を持った選ばれし騎士のはずなのに普通の飛び道具と雑魚なクローン兵にあっさりやられちゃうようなジェダイだからこそ存在意義があったのだ、と。
そんなジェダイが維持できるような社会こそが平和であり、ジェダイが維持できなくなる時こそが「世の終わり」だったしね。そういう意味で、ジェダイは確かに銀河共和国を守っていたと言えるのではないか……などと思うわけです。
日本が軍隊を持たず、旗幟を鮮明にせず、唯一の被爆国だしぃ、と言っていられる世界であるうちはまだマシなのではないかと……。日本のこういう弱っちい国是が認められなくなる世の中がどんなであるか……想像力がなくても、昨今のニュースを見てれば見当がつこうかというもんです。
ユルスナールの最高傑作『黒の過程』(岩崎力訳 白水社)の中に、ゼノンが最後に身を寄せたコルドリエ修道院長ジャン・ルイ・ド・ベルレモンの言葉としてこんな一節が。
「神が全能者として精神世界を支配しておられるのを認めるにやぶさかではない。しかしここ、わたしたちが現にいるのは肉体の世界なのだ。そして神がお歩きになったこの地上でわたしたちがそのお姿を見たとすれば、国王の軍勢に荒らされたケンペンの村々の雪の上に寝かされた乳飲み子そっくりの、麦藁の上の無垢の人、あるいは頭を休ませる石ひとつなく放浪する者、あるいはまた、四辻で絞首刑に処され、やはり神はなぜ自分を見捨てたのかと考えた死刑囚以外に、どんな姿をとりえただろう。わたしたちひとりひとりはかよわい存在だ。しかし、《彼》はさらに無力であり気落ちしてしまっている。人間ひとりひとりのなかに《彼》を生み出し、《彼》を救うのがわたしたちの務めだと考えれば慰められる……」
まあそれに対するゼノンの答えは……もっと、その、近現代的リアリズムなんですが(汗)。
正直、核兵器持ってまで生き残りたくないっす……orz それが許されないというのなら、キレイゴトを言いつつ滅亡さして下さい。でもルーカス、せめてジェダイにはもっとちゃとした殺陣をつけてくれよ。弱いのとカッコ悪いのとじゃ全然違うんだからさ。
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