冥王星が惑星じゃなくなっちゃいましたよん。
http://www.cnn.com/2006/TECH/space/08/24/pluto.ap/index.html
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060824it15.htm?from=top
昨日まで惑星だったものを、「もう惑星じゃない」って言われてもねえ……。生活に密着してないだけに妙な感じ。死者が出たり難民が出たり、環境に影響を与えたり、市場が混乱して失業者が出たりしないし、とにかく「実害」がないので、キモチの持っていきようがないっちゅうか。ユベントスみたいに降格に対して地方裁判所に提訴、なんてこともないし。
つい昨日あたりまで「惑星として定義されるのは13個になるかも」と言われていたら、一転してこれだよ……。ブレイン・ストーミングは往々にして最も過激な結論に行き着きがちだそうだけど、ああなるほどって感じ。あとでみんな我に返ってから「しまった」とか思わないかなあ。別に惑星にしといて困るもんじゃないし、20世紀に地上から光学的に視認されたことってけっこう意義あると思うけどなあ。
マシューズ作曲の「冥王星」の運命やいかに。
ホルストの『惑星』は冥王星の発見以前に作曲されているので、「海王星」で終わってるわけですよ(以前にも書いたことがあるので省略しますが(11月2日))。で、西暦2000年、コリン・マシューズがケント・ナガノに委嘱されて新たに作曲した「冥王星」つきヴァージョンというのがあるわけです。わりと最近は認知されているようで、CDも増えてきているところですが、ついにと言うべきか、先月、ラトル&ベルリンp.o.盤が出たところ。
今までデヴィッド・ロイド・ジョーンズ&ロイヤル・スコティッシュ盤を聴いてきて、「冥王星」は演奏的には決定打に欠ける気はするけど曲自体はけっこう好きかも、と思ってましたが、ラトル盤の「冥王星」……うう……スゴイ。綿密で繊細でありながら自然で、何ていうか、それまでのポピュラリティの世界とは違ったパラダイムに踏み込んだような感じ。それでいてホルスト部分との違和感もない……。ああっ、「冥王星」、好きだと思ってたけど、私はこの曲の何を聴いて認めたつもりになってたんだ。恥ずかしいorz 「冥王星」が気に入っていた人も、判断を保留していた人も、一聴の価値アリ。というか、これ聴いて気に入らなかったら、もう「冥王星」はキライと断言してもいいかもだよ。
しかもこのCD、ラトルが現代音楽の作曲家四人に委嘱した小惑星関係の新曲つきなのでありますよ。カイヤ・サーリアホのAsteroid 4179: Toutatis(地球と衝突するかも、ということで一時期話題になってた小惑星トータティス)、マティアス・ピンチャーのtowards Osiris(太陽系外の惑星で大気の存在が観測されたオシリス)、マーク・アンソニー・タネジのCeres(言うまでもなく、今回の国際天文学連合会議で惑星に格上げになりそうだったアレ)、ブレット・ディーンのKomarov's Fall(これはちょっと毛色の違う作品で、革命50周年に無理やり間に合わせるため、未完成のソユーズ一号に搭乗させられ、大気圏突入に失敗して死亡した宇宙飛行士コマロフの曲)の四曲。まあこれは……どれもいかにも現代音楽~なアレ系なので、どれも「うう~ん、いい曲ぅ~」といって聴くようなものではないのですが……。しかし企画としては超ナイス。ワタシ的にはサーリアホはけっこう気に入ったとです。
マシューズの「冥王星」は演奏もちと難しく、権利料も発生するので、ホルストの本編ほどには普及しないかもと思っていた矢先にこの仕打ち。ヒドイ。でも合唱団はほっとしてるかもだよ。なんたって、合唱的には最も避けて欲しい使い方だもん。6分の曲の中、最後の最後に、しかも入りにくいところで一和音だけ歌うなんて……。合唱に対するイヤガラセかと(笑)。
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