ぎゃはははははははははは(笑)。どーしてもトム・ハンクスは「いい人」でジャン・レノは「悪い人」なのね。見たまんまじゃん(笑)!
それはともかく。えーと、先に言っちゃおう、私はいろんな意味で「肯定派」でございます。原作はまだ読んでいないので、「あの小説」の映画化としてはいいのかどうかについては分かんないし、文句っぽいこともいろいろ書くけど、でも肯定派。理由は後ほど。
まずなんと言ってもたまげるのは、モナ・リザ、イエキ・キリスト、聖杯、テンプル騎士団、ニュートン、最後の晩餐etc.という異常なまでのメジャーさでしょうなあ(赤面)。みてるほうが恥ずかしくなるよう。なんちうか、エッフェル塔とポン・ヌフと凱旋門とサクレ・クール寺院をコラージュした絵葉書を観光客に売るみたいな路線というか(でもワールドカップの公式グッズだったりするとかえってウケ狙いで買っちゃうのだ(笑))。ロンドンで「墓を飾る球体」という言葉が出てきただけで「まさかアレじゃ……?」と思うと本当にアレだったりするorz 。作者、歴史に興味無いのかとさえ思っちゃうよ。タネ本が透けて見えるっぽいところもちらほら。衒学的な目で見たら、それこそツッコミどころは満載でしょう。それ考えると、『薔薇の名前』超肯定派には絶対お薦めできない。いや、ツッコんでいぢめたい衒学の徒にはかえってオススメか。
館長、そのハデな死に方とモナ・リザは必要ないのでは……。労力のわりには無意味。まあ冒頭をハデに飾るという意味では正解なのかなぁ……。でもなんかそういうのもハズカシイぞ。言い様にないハズカシさを感じる……
って、ううう、できれば気づきたくなかったけど、ディテールとか、歴史ネタの使い方とか、やってることとか、かなーり『架空の王国』とかぶってるので、自分の小説のトホホなところを暴き立てられてるみたいなキモチになっちゃうのだな(赤面)。誰かに『ダ・ヴィンチ・コード』と『架空の王国』の類似性を論じられたら共倒れで大恥になりそう……
あーゆーこととか、こーゆーこととかって、誰がやってもおなじよーなことになるのねっ(赤面)。
とかいって文句たれたれだが、それでも私は肯定派なのだった。これを見終わって残るのは、歴史や運命に翻弄されるだけの人間でもなければ、意志の力とやらで未来を切り開いちゃう手垢つきまくりの人間賛歌でもなく、歴史や個人の過去を背負いつつモその中でできる最良のことを探してゆく、極めて現実的で実寸大の人間がそこにいるという印象ではないのかな、と思う。そういう意味で、これは活字ではなく、実際に人間が演じて動いている「映画」という形で見るべき作品のような気がする。んなことを高尚なおブンガクの中で言われると「あ~ハイハイ偉い偉い」と流したくなるけど、単なる娯楽のつもりで見た映画だと、なんかただストーリーを追ってただけのはずなのにいつの間にかそんなことで感動させられちゃったりする。こういうところもエンターテイメントのスゴイところではないかとも思ったり。
『薔薇の名前』が中世史のプロをも満足させる「出来」であるにもかかわらず、見た後に残るのはちょっとした感傷と衒学的「おもしろさ」だけである一方、『ダ・ヴィンチ・コード』は絵葉書的こっぱずかし~メジャーさでそのスジの人たちからはいろいろ突っ込まれるだろうけど、以外に大きなものを残す。どっちのほうがいいかというと……うーん、20代の頃だったら前者だろうけど、今は後者だなあ。
というわけで、意外に評価は高いのだった。館長のハデな死に方は必要ないじゃんとか、モナ・リザも必要ないじゃんとか、まだまだツッコミどころは山盛りだけど(笑)。
めちゃめちゃメジャーな観光地なのでお気づきの方も多かろうと思いますが、ピラミッド口から入場しても逆ピラミッドは見えないし、子午線は逆ピラミッドの上を通ってないよん。どちらかというとクール・カレのほう。ここには中世のダンジョンの基底が残っているので、ここを「その場所」にしちゃっても良かったんじゃないかなあ。原作ではどうなっているのやら。やっぱり読まないとダメすかね。
むかーーーーし、大蔵省が入っていたリシュリュー翼に彫刻部門とかがこれから引っ越す、という頃、好奇心に負けて壁にかかったシートをぺらりとめくると、その向こうではダンジョンの発掘と展示用工事が最後の段階に入ってるところだったのを見てしまったことがある。あれはエキサイトしたなあ。でも今考えると、一般入館者が入り込めてしまう状態で発掘するのはどうなのよ、と思うけど。でも得したけど(笑)。もう15年以上前の話だ……。どうりでわしらが年を取るはずじゃ。げほがほごほ。
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