電書版『ムジカ・マキーナ』『アイオーン』『ウィーン薔薇の騎士物語』そして薔薇の騎士電書版あとがき全文公開
長らく入手困難となっておりました私のデビュー作『ムジカ・マキーナ』と、やはり入手困難だったハヤカワSFシリーズJコレクションの『アイオーン』の電書版が早川書房より発売となりました。とりあえずAmazonのリンクを貼っておきます。
高野史緒『ムジカ・マキーナ』
そして、アドレナライズからは中央公論新社のC★NOVELSファンタジアから出した『ウィーン薔薇の騎士物語』全五巻が電書として再刊されました。もう四半世紀も前のことなのね……。いろんな意味驚きます。で、こちらの第五巻巻末に、電書版のあとがきを書き下ろしたのですが、プロモーションとしてそのあとが全文を公開いたします。これを読んでもしご興味を持って下さったら、是非ポチってやってください。
『ウィーン薔薇の騎士物語』電書版書き下ろしあとがき
『ウィーン薔薇の騎士物語』全五巻は、私がデビューして五年目、六年目にあたる二〇〇〇年~二〇〇一年にかけて、中央公論新社のC★NOVELSファンタジアで書かせていただいたライトノベル作品です。ライトノベルとはいっても、今(二〇二五年)から見てもう四半世紀も前のことなので、だいぶ概念が違う時代でした。「ラノベ」というより、ジュニア小説や少女小説に近い感じの領域でした。書き方については「分かりやすさ」に配慮してほしいという要望はありましたが、テーマも内容も自由にさせて下さり、書きたいものを書かせていただきました。久しぶりに目を通すと、記憶していた以上に本当にやりたいようにやっており、同社には感謝しかありません。
江戸川乱歩は(っていきなり話は飛びますけど)後半生の仕事について、「乱歩もあんなに文章が上手くなってしまってはもう小説は書けまい」というような評をされたそうです。ミステリ作家の芦辺拓さんはこのことについて「随筆・評論はみごとだが創作は激減し、たまに書いても魅力に乏しくなった。小説の文章も漫画の絵も、それ単体で完璧であったら物語は紡げない。どこか不安定で未完成だからこそ次々連鎖してゆく」と言っています。確かに、自分が小説を書き続けられたのは、文章力も物語もいつでもどこかが足りないからこそだったと思います。
それでもやっぱり、このシリーズは改めて読み返してみると、闇に葬りたい黒歴史原稿にも思えますし、同時に、今となってはこんな面白いものは書けない小説にも思えます。いずれにしても、この作品はあの時の私にしか書けなかったものだと思います。欠点も未熟さも含めて愛おしい、他ならぬ自分の歴史……なんだけれどやっぱりちょっと恥ずかしいですね。
この作品は、十九世紀末、音楽家になりたい一心で地方都市リンツから音楽の都ウィーンに家出してきた少年フランツが、音楽の仲間たちに出会ったりさまざまな事件に巻き込まれたりしながら成長してゆく物語です。といっても期間は一年ほどなので、そんなには成長してないかもしれませんが。まあ一言で言ってしまえばそれだけの話なのですが、各巻にはそれぞれに元ネタや思い出や「その後」があるので、それについて少々触れておきたいと思います。
第一巻『仮面の暗殺者』は、クラシック音楽好きの方はすぐに気がつかれたと思いますが、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』を物語の骨格にそのまま取りこんでいます。そこにロシアによる暗殺計画やフランツたちのオーケストラがからんでややこしいことに。シュトラウスのオペラは二十世紀に作曲された十八世紀が舞台のオペラですが、とても十九世紀的なウィンナ・ワルツが流れちゃうという、シュトラウスのやりたいようにやっている世界観でできています。この『薔薇の騎士』ネタの小説は最初は単発のものとして構想していたのですが、いろいろいじっているうちに短めのシリーズものになってゆきました。かの有名なオーストリア皇太子ルドルフも出てきますが、ルドルフはもっとシリーズで活用したかったという思い残しがあります。
第二巻『血の婚礼』は一度はやってみたかったBL&吸血鬼の話。吸血鬼を呼ぶと言われる曲や行方不明になったフランツをめぐって、ミステリ仕立てで書いてみました。終盤のスプラッタなシーンは、短命ながら大変多作だったオペラ作曲家ガエターノ・ドニゼッティの代表作『ランメルモールのルチア』の終幕をフィーチャーしました。「狂乱の場」と呼ばれるそのシーンは、恋人と引き離されて意に染まぬ結婚を強制された主人公が、その花婿を殺し、血まみれの婚礼衣装で祝宴に現われて、超絶技巧のコロラトゥーラ・ソプラノで二十分近く一人で歌いきる、鬼気迫る名場面です。中心となるアリア「あの方のやさしい声が」は、狂乱とはかけ離れた優美な長調の曲で、CDなどで音だけを聴くとまったく「狂乱」という印象はないのですが、オペラの中で見聴きすると本当にもう壮絶で戦慄します。今(二〇二五年)現在、You Tubeでナタリー・デッセイ(Natalie Dessay)による「狂乱の場」の大変な名演が見られるので、ご興味のある方は是非一度ご覧になってください。
第三巻『虚王の歌劇』はやはりミステリ仕立ての話で、リヒャルト・ワグナーの楽劇のいくつかに言及しますが、特定の作品のストーリーは借りてはいません。バイエルン王御前演奏会のオーディションがちょっと『タンホイザー』の「歌の殿堂」っぽくはありますね。この巻でキーパーソンとして登場するベルンシュタイン公爵は、私のデビュー作『ムジカ・マキーナ』のベルンシュタイン公爵と同一人物、あるいは異世界版のベルンシュタイン公爵だと思ってくださってけっこうです。バイエルンの「狂王」と呼ばれたルートヴィヒ二世は直接には登場しませんが、それが私の中で消化不良になってしまい、二〇〇五年に「SFマガジン」に「白鳥の騎士」という中編でルートヴィヒ二世とベルンシュタイン公爵のスチームパンクな話を書きました(『ヴェネツィアの恋人』河出書房新社、二〇一三年収録)。「白鳥の騎士」はさらに後日談があって、二〇二四年に英国の出版社Luna Press Publishingからシャーニ・ウィルソンさんの翻訳で『Swan Knight』として英語版が出版されました。消化不良や後悔も、時には未来につながることがありますよね。
第四巻『奏楽の妖精』では、フランツは母国のオーストリア・ハンガリー二重帝国を離れて、帝政ドイツのベルンシュタイン公国に行きます。いつもの仲間たちの助けが借りられない中、可愛いけどちょっとウザいソプラノのクリスタ嬢の存在感が増します。第四巻のラストで愛用の楽器を失ったフランツが、ベルンシュタイン公国に伝わるいわくつきのヴァイオリンの名器〈シレーヌ〉を貸与するかどうかの試練を受けますが、巻きこまれ型の主人公だったフランツは、ここで自分の意志である決断を下します。この巻ではついに明らかに殺人事件としか言いようのない事件が起きますが、その事件に絡んでくる小国ボーヴァルは、私の『架空の王国』(中央公論社、一九九七年)のボーヴァルと同一だと思ってくださってけっこうです。いやー、ほんとにやりたいようにやってますね……
第五巻『幸福の未亡人』は、もうタイトルからしてお分かりの通り、フランツ・レハールの代表作、オペレッタ『メリー・ウィドウ』が骨格になっています。オペレッタというのは、日本語では「喜歌劇」と訳されることもあり、その名の通り、多くの場合、ハッピーエンドのライトな内容であることがほとんどです。『メリー・ウィドウ』も、複数のカップルが恋愛がらみの行き違いを繰り返しながらも音楽はハッピーエンドの予感しかしないテイストの作品ですが、そんなことを知る由もないフランツたちは振り回されながらも事態の収拾に奔走します。もうすぐジルバーマン楽団の試用期間を終えるフランツの運命やいかに……
この巻を書く時、登場人物たちそれぞれの行動のタイムテーブルはどうなっているのだろう、と、だいぶ考えました。この時の経験がのちに『カラマーゾフの妹』の執筆に生かされ、乱歩賞の受賞につながったのですから、何が幸いするか分からないものです。
……と、物語はここでひとつの区切りを迎えますが、フランツ、アレクシス、エゴン、トビアスの四人はまだそれほど弦楽四重奏団として活躍していないし、クリスタも声楽家としてよりいっそうの研鑽を積む様子だし、ジルバーマン楽長の音楽家としての野望はまだまだありそうです。本当にここで終わってしまってよいのか?と当時の読者さんたちにもずいぶん言われました。が、この後、史実としての世紀末には暗雲が垂れこめ、急激に暗い時代に向かっていきます。バイエルンの「狂王」ルートヴィヒ二世が謎の死を遂げ、トビアスとつながりの強い皇太子ルドルフが身分違いの愛人と心中、その母である皇后エリザベートも暗殺されるなど大事件が続いて、フランツの故国オーストリア・ハンガリー二重帝国には早くも一九世紀中に崩壊の兆しが現れます。ヨーロッパとロシアは革命と戦争の時代に突入してゆくのです。音楽シーンでは、ワルツやポルカは次第に時代遅れとなり、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの楽団も解散、交響曲はより重厚長大大規模指向になり、オペラもシリアスで時には暴力的な内容のヴェリズモ・オペラが主流となってゆきます。それを考えると、フランツたちの物語は、まだいくらかは呑気さの残っていたこの古き良き時代で終えておくほうが幸せなのかもしれません。
最後に、この物語を電書という形で復刊しただけではなく、当時のイラスト全点の再録を手配して下さったアドレナライズの井手邦俊さんと、当時素敵なイラストを描き、今回その再録を許可して下さった瀬口恵子さんに、改めてお礼を申し上げたいと思います。そして、この物語を待っていて下さった読者の皆様にも、深く深く感謝いたします。未だに作家としては未熟さのある私ですが、だからこそ、これからも小説を書き続けられるのだと思っております。
二〇二五年三月 高野史緒
とりあえずAmazonのリンクを貼っておきます。
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まだまだ未熟なところのある時期の作品群ではございますが(って、それじゃ今が成熟しているのかというとそうでもなく……)、私にとってはどれもが命を削り、お腹を傷めて産んだ愛しい子供たちです。当時からの読者さんたちも、最近『ツェッペリン』などから読み始めたという読者さんも、どなたさまも楽しんでいただけたらと思っております。
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